「帰ったか?」
駿太が去るとすぐにカイさんが戻ってきた。
「帰りましたけど……」
言いたいことがまとまらない。
「悪かったな。本当はあいつが来る前に、着く予定だったけど、人が居て直接この場所に降りられなかったから、向こうで降りたら意外と距離があって」
カイさんは、空を飛んで駆けつけてくれたようだ。ベルトには空飛ぶスティックが挿してある。
「わざわざ、すいません。夢魔が出る気配もなかったのに」
「いいよ。俺が来たくて来ただけだし」
「でも、仕事中なのに」
言いかけて、やめた。夢魔の確認に来たのだから、これも仕事のうちだろう。
「もしかして、俺に悪いと思ってる?」
「はい、少し」
「じゃぁ、ちょっと一緒に散歩して」
相変わらずカイさんの考えてることは、よくわからない。
「いいですけど、夢魔の見回りとかですか?」
「いや、単純に歩きたいだけ」
こんな夜に散歩しても景色が見えないから楽しくないんじゃないの?と思う。でも、カイさんの行動には理由があるはずなので、黙って付き合う。
「でも、この辺りは畑ばっかりですよ?」
「だから、空がよく見える。まぁ、研究所も似たようなもんか」
周囲に畑しかない道を歩いて行くので、どこまで行っても私の家は見える。
ゆっくりと歩調を合わせて話しながら歩く。よく晴れた夜空は星も月もキラキラと輝いている。
「さっき、告白されたみたいだったな。邪魔して悪かった」
突然、カイさんが謝った。
「大丈夫です。本当は返事の仕方に困ってたから」
夢魔の存在を確認するためとはいえ、カイさんが駿太を挑発するから、話は変な方向に行きかけたけど、駿太の告白にはちゃんと向き合えた。
「ちゃんと話はできました。前みたいに普通に接してくれるまでには時間がかかるかもしれないけど、また友達でいられたらいいなって思います」
「よく頑張ったな」
カイさんが足を止めて、私の頭を撫でた。
大きな手が頭に触れた。
心臓がキュッと締め付けられる。
「が、がんばったのは、私じゃなくて、駿太です」
カイさんが本気じゃなくても、こっちはいちいち動揺してしまう。
そうか。わかった。カイさんが天然でモテると言っていた音弥さんの言葉は、これだ。
カイさんのなにげない行動に女の子が動揺して勘違いする。私はたまたま就職に関わる相手だから、勘違いしないように、理性を保っているけど。
「那津の片想いの相手、どのへんにいたの?あの歌のうまい奴」
カイさんは真剣な眼差しでこちらを見た。まさか、それを確認するために散歩したいなんて言い出したの?
「カイさん、片想いというか、会ったこともないんですよ。一方的に、彼の声に惹かれただけで」
二階の部屋の窓から見えた人影が、声の主だとすれば、もう少し先の外灯の近くだったと記憶している。
「声だけで、那津の心を奪うとはね。駿太が聞いたら泣くぞ」
「いや、あの声は本当にすごくて、カイさんたちが聴いていたら、私じゃなくて、あの人をスカウトしたと思います」
「そんなに、すごいんだ。そいつ。ちょっと妬けるな」
カイさんが空を仰いだ。
妬けるって、どういう意味だろう。
まさか、まさか……。
「カイさん、駿太と会ったときから変ですけど、私のことからかってますか?」
思いきって聞いてみた。私はカイさんに振り回されるわけにはいかないのだ。
「からかってない」
カイさんがしっかりと私に向き合った。
「彼のライバルだって言ったのは本当だよ」
ちょっと待って。何がどうなっているの?まさか、さっき駿太に言った言葉は、本気だった?
「カイさん、ライバルって……」
カイさんは頭を掻いた。そして私に背を向けると、大きく伸びをした。
「ダサい話だ。誰かに取られるかもしれないと思ったら、ここまで来てた。まぁ、俺の気持ちと就職の話は別だし、聞かなかったことにしてくれればいい」
それって、カイさんが私を好きってこと?いや、好きとは言ってないな。付き合ってくれって言われたわけでもないし。聞かなかったことにするなんて、気になって悶々とする。
高まる鼓動がバレないように、自分を落ち着かせる。
カイさんは、正面からぶつからないと、いつも通り過ぎてしまう気がする。たぶん、今じゃなきゃ聞けない。
少しだけ震える手で、背を向けられたままのカイさんの服の裾を掴んだ。
「カイさんの言ってることって──」
「那津が気になってるってこと」
カイさんは振り向かずに答えた。服を掴んだ手は、離せない。
「なんでですか?」
私のどこが気になるんだろう。聞くのは怖いけど、後には引けない。
「那津は、取り繕ったりせずに言いたいことをちゃんとぶつけてくれるし、嘘がないでしょ。俺はこんなだから、俺の肩書に人はたくさん近づいてくるけど、中身なんて見てない人が多いってのは、わかってるから」
取り繕っても、バレるだけだと思ってた。大人のカイさんから見たら私なんて子供だから、見透かされるのが怖くて、取り繕うことすらできなかっただけかもしれない。
「でも、私はカイさんが所長だから、緊張してました。正直、よく見られたいとか思う余裕もなかったというか」
私の言葉にカイさんが、振り向いた。驚いて、手は離れた。
「その言葉は遠回しに、俺を振ってる?」
「ち、違います。そういうわけじゃ」
「告白してもいないのに、振られたのかと思ったよ。ま、いいけどね」
薄明かりの中で見つめられた。危ない。吸い込まれそうなほど、カイさんの瞳が優しく映る。
「や、やめてもらってもいいですか」
思わず目を逸らす。
「嫌だと言ったら?」
カイさんがすこしかがんで、顔を近づけてきた。サラサラの銀の髪が風に揺れる。
「キャラが変わりすぎてついていけないです」
心臓持たない、というか、なんかこの状況おかしくない?
なんで、私の方がこんなにドキドキしてて、カイさんが余裕なの?
私が後ずさりして、カイさんから離れる。
カイさんは笑った。
「那津は、俺といるといつも緊張してるし、かしこまってるけど、気を遣わなくていいよ」
もう、やだ。どうしたらいいのか更にわからなくなる。
しゃがみこんで、顔を伏せた。
「緊張して当然ですよ」
カイさんの手が私の頭をくしゃくしゃにした。
「戻るぞ。今日は、那津の『あの人』はいないみたいだしな」
顔を上げたら、カイさんが右手を差し出してくれたので、その手をとった。
途端に、カイさんに手を引っ張られた。バランスを崩して私の顔はカイさんの胸にぶつかった。そして、カイさんの腕が優しく私を包んだ。
動けないし、なにも言えない。でも、カイさんの腕の中が心地いい。
カイさんって、本当に私のこと好……いや、考えるな。考えない方がいい。
「あ、でもこれって、就職希望の高校生にセクハラしたことになるのか?マズいな」
カイさんがひとりで呟く。どんな顔をしてるのか、すごく気になる。
両手でカイさんの胸を押して、体を離した。
「セクハラです」
嫌ってわけじゃないけど、どうしていいかわからなくなる。
「訴えるか?」
「訴えません」
カイさんが私の顔を見て大笑いした。
その後、私の家まで送ってくれると言うので、家の方向に歩き出す。
「そういえば、進路は決めたのか?」
「一応、カイさんの研究所に……明日、学校に希望を出します」
「そう。じゃぁ、待ってるから」
待ってるって言われたら、純粋に嬉しかった。
ふたりで話している間に、家の前に着いた。
付近には人もいないし、車も通っていない。このままならカイさんは、ここから飛べそうだ。
なぜだろう。ちょっと別れ難い。
「じゃぁ、またなんかあったら連絡して」
「はい、ありがとうございました」
カイさんが飛び立つために、ベルトのスティックを抜いて、下に向けて振った。スティックは長く伸びた。
カイさんがスティックに飛び乗る。そして、飛び去る瞬間に、私に声をかけた。
「またな」
私がなにかを伝える間もなく、カイさんは月の光に守られて、星空の中へと消えていった。
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