「鶏肉がないから、ベーコンでもいい?」
突然カイさんからの質問が飛んできた。正直、どちらでもいい。
振り返ってカイさんを見ると、すでに野菜は細かく切られている。そして、手際よくベーコンを切っていく。
「カイさんって、なんでもできるんですね」
「出来ないことはカバーしてもらってるだけで、そんなことはない」
フライパンに具材を入れながらカイさんが、答えた。
「なにができないんですか?」
思わず聞いてしまった。
フライパンの中身は、カイさんの手の中で踊っている。
「俺は、音弥みたいなコミュニケーション能力はないし、トリコさんみたいな冒険心もないし、柚月みたいな真っ直ぐさもない。那津にできて、俺にできないこともたくさんあるはずだ」
私から見れば、カイさんは仕事で多くの人に接しているし、こんな変わった研究所の所長だし、カイさんが思っている足りないところなんて、足りないうちに入らない。
私にできてカイさんにできないことなんて想像つかない。
話しているうちに、ケチャップライスが完成していた。
「那津、卵割って」
普段料理はしなくても、卵くらいは割れるので、受け取った卵をボールの縁で、コンコンと叩いた。
ガシャ。
しまった。力を入れすぎて、卵の殻が少し潰れた。殻が入ってしまった。
隣からサッと手が伸びて、卵の殻が救出された。
「俺も、それよくやるんだよ。で、トリコさんから卵割るの禁止令が下ってる」
カイさんにも、できないことかあったんだ。って、失敗した私が言うのもなんだけど、少し嬉しくなる。
「私は、今、ちょっと緊張して失敗しましたけど、いつもはうまくできますよ!」
「いつも?そんなに料理するの?」
「しないですけど」
「それに卵を割るだけで、緊張しないだろ?」
「それはカイさんが見てたから」
私がギャーギャー言っている間に、カイさんが玉子焼を作って、ごはんを包んだ。
シンプルでキレイなオムライスが2つ完成した。
「すごい。美味しそうですね」
「鶏肉はなかったけど、チキンブイヨンで味付けしてあるから、大丈夫でしょ」
得意気なカイさんと一緒に、テーブルにオムライスを運んだ。
「そこ座ってて。お茶出すから」
大きなダイニングテーブルの隅に座った。すると、お茶を持ってきてくれたカイさんが、隣に座った。向かいの席ではなく、隣に。
気にはなるけど、オムライスに集中する。
「美味しい。カイさんすごいです」
と、ふと我に返った。もしかして今は、勤務中で、もしかしなくてもこの人はこの研究所で一番偉い人だ。
私の対応は、絶対、間違ってるよね……?料理作ってもらって、お茶出してもらって、美味しいとか浮かれて。恐る恐るカイさんを見る。
「それはよかった」
カイさんも、オムライスを口に運ぶ。
「あの、今って一応勤務中ですよね?」
「今は、待機だから気にしなくていい。夢魔が出るとずっと仕事中になるし、夕方だけは一度顔合わせしてるけど、出れなくても問題ない。こんな生活だから、仕事とプライベートの区別がつきにくいけど、ずっと緊張している必要はない」
確かに、オンとオフの境目が難しいと思う。でも、みんな家族みたいで羨ましい。
「那津は真面目すぎる。俺に緊張する必要もないぞ。所長って肩書ついてるだけのただの人間だから」
カイさんに緊張する理由は、所長の肩書だけてはないと思う。存在そのものが緊張してしまうのだ。まだ、謎だらけだからかなぁ。
オムライスを食べながら、この生活に慣れることができるのかを、ぐるぐると考えてしまった。
ピピピピピピ……。
カイさんのスマホが鳴った。画面を見て、一瞬躊躇ったように見えたが、そのまま電話に出た。
「もしもし。……あぁ、今は、無理だ。……悪いが、そんなつもりはない……いや……」
歯切れが悪いカイさん。電話の向こうからかすかに聞こえる女性の声。
「付き合うつもりはない」
はっきりと聞こえたカイさんの声。
気まずいので、さっさと食べて席を立つ。
さっきまで少し楽しかったのに、なんか心が重い。
「たっだいま〜」
音弥さんが戻ってきた。
カイさんはまだ電話中だ。
「……俺には、恋愛感情はないから、付き合えない」
「え?カイくん、女の子と電話中?」
音弥さんはわざとらしくカイさんをくん付けで呼んで、真向かいの椅子に座った。
カイさんが電話を切って、残りのオムライスに口をつける。
私は食器を洗いながら、ふたりをハラハラと見守る。
「なに?別れ話??」
音弥さんにはデリカシーが欠落しているのか。直球の質問にこっちがびっくりする。
「付き合ってもないよ」
「誤解させるようなことするから〜」
「そんなことより、柚月は?」
「振られちゃったから、別行動してた。まだ帰ってないんじゃない?」
カイさんは、聞いておいて興味がないらしく「そう」と適当な返事をした。話を逸らしたかっただけみたいだ。
「でも、カイ……なっちゃんとふたりのときにその電話はデリカシーないわ〜」
音弥さんがデリカシーを語っている。カイさんは無視してオムライスを食べている。
「ねぇ、なっちゃん?」
急に話しかけられて、お皿を落としそうになった。
確かに、音弥さんが来なかったら空気は重くなって、気まずかった。それに、カイさんにそんな女性がいることが少しショックだったというか、冷たく断っていることが辛かったというか。
「いえ、私は別に」
そう答えるしかない。
「音弥の言うとおりだ。悪かったな」
いや、謝られても困ってしまう。
カイさんが食べ終わってスプーンを置いた。
「ところで、なっちゃんに駿太くんがなんで夢魔を生んだのか説明できた?」
音弥さんが言うと、カイさんが小さく息を吐いた。
「那津は鈍すぎて、理解するまでたいへんだったぞ。あれなら、音弥くらいストレートに言っても大丈夫だったな」
カイさん、私に、聞こえてますけど?わざとですよね。
「私は恋愛経験ないから、わからなかったんですよ。大体、好きとか付き合うとか……」
もごもごと口籠る。
「カイと同じだな」
「俺はその感情については理解している。理解していて避けているだけだ」
「これだから、天然でモテるやつは……」
音弥さんが呆れている。
カイさんが食べ終わった食器を持って、キッチンに来た。
「カイさん、ごちそうさまでした。おいしかったです」
まだ言っていなかった「ごちそうさま」をしっかりと伝えた。
「どういたしまして」
カイさんは自分の食器を洗い始めた。隣で立っていても邪魔になるので、さっき洗ったお皿を拭くことにした。
「さっきの話からすると、なっちゃんは彼に恋愛感情なかったんだよね?」
椅子に座ったまま、こちらを向いて音弥さんが話しかけてきた。
「たぶん。仲間としては好きですけど……」
「なっちゃんて、片想いもしたことない?好きでたまらないとか、逢いたくて仕方ないとか、そばにいるだけで幸せっていう気持ち」
片想い──それが恋愛かと言われたらわからないけど、逢いたくて逢いたくてたまらない気持ちは知っている。心を囚われて、未だに時々探してしまう「あの人」の歌声。
「私にも逢いたくてたまらない人はいます」
カイさんがこっちを向いた。
「へぇ。那津から、恋愛の匂いは全く感じなかったけど」
カイさんは人の恋愛とか、全く興味なさそうに見えたのに、質問してくるのでちょっと驚いた。
「いや、だから、その──憧れの人というか」
私はいつか見た「あの人」のことをふたりに話した。
心がざわつくほどの歌声に心惹かれた。それは、今もまだずっと変わらない。ただ逢いたいと願っている。
これを片想いと呼んでいいのかはわからないけれど。
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