研究所から帰って来て数時間。すっかり夜になった。
荷物を片付けていると、フィルさんからもらった黒縁メガネが出てきた。
これをかけて、ひとりの時に夢魔が見えたら、正直怖い。知らぬが仏ということもある。しばらくはお守り代わりってことにしよう。メガネケースに入れて、机の上に置いた。
同じタイミングで、スマホが鳴った。
桃香からのメッセージだった。
春斗と駿太が出るコンテストの日、7月の最終日曜だけど、一緒に見に行かない?
まだ1ヶ月以上も先の予定だ。桃香はよほど見に行きたいらしい。
春斗と駿太は、私達と同じバンドでコンテストに参加したけれど、二次選考で落選の後、実力を認められて、選抜メンバーとして他のメンバーとバンドを組むことになった。コンテスト本選とは別枠で、ステージに立つことになっているため、毎日練習に励んでいる。
そりゃぁ、私だって見に行きたいけど……。見に行くことになれば、私がしなくても桃香が事前に駿太にも連絡するだろう。私だけが駿太を避けるのは変だし、どうしようか。
スマホの画面を睨む。
カイさんに相談してもいいだろうか。でも、私がカイさんに、駿太に会っても大丈夫かどうか確認するって、変だよね。それは好きにしていいって言われるだけの気もする。でもなぁ、些細なことでも連絡していいって手紙に書いてあったし。
何度もカイさんの電話番号を画面に表示しては消してを繰り返す。
決心がつかない。
するとスマホの画面が光って、音が鳴った。またメッセージが届いた。今度は駿太からだった。
話したいことがあるから、バンドの練習の帰りに家に寄ってもいい?たぶん、21時30分くらいになるけど。
鼓動が早くなる。もはや、こっちが意識しすぎてどうやって接していたかを忘れるレベルだ。
時計を見ると、駿太が来るまであと1時間しかない。早く返事をしなければ。どうしよう。普通に会える自信がない。
とりあえず駿太の夢魔は浄化されて、駿太の夢の中に帰ったはずで、起きてて会うわけだから、たぶん夢魔が発生することはない。──って、勝手に決めつけて大丈夫なのかな。
またカイさんの電話番号を眺める。時間の猶予はない。
心を決めて、電話をかけた。
シンプルな呼出音が繰り返す。
────まさか、出ないなんて。崩れ落ちそうな心で、電話を切った。当然だけれど、忙しければ出られない。
着信って何回も入っていたら、鬱陶しいだろうし、もう電話もできない。
机に伏せた。
着信があれば折り返してくれるよね?
でも、自分の携帯番号を研究所の人に教えていない気がする。ってことは、カイさんは私から電話があったとは思わない。
あぁ、もう、八方塞がりだ。
スマホが憎らしい……と思っていたら着信音が鳴った。駿太だったらどうしようと思って画面を見ると、そこにはカイさんの名前が。
折り返してくれたんだ。
「もしもし、那津です」
慌てて名乗る。
「那津だったのか。さっきの電話。どうした?なんかあった?」
あぁ、カイさんの声が耳元で聞こえる。少しざらついた低い声がくすぐったい。
私は駿太に会いたいと言われたことと、コンテストを見に行くかもしれないと話した。
「なるほど。で、那津はどうしたい?」
まさかの質問だった。そして、カイさんに見透かされているように感じた。
知らず知らずのうちにカイさんに結論を委ねようとしていた。やはり、受け身で流されてきた自分を変えることは難しいようだ。
けれど、自分を取り繕ってもたぶんカイさんには、全てバレてしまう。だったら、ちゃんと話して助けてもらおう。
スマホを握る手に力が入る。
「駿太が私にしたい話の内容まではわからないですけど、正直、普通に接することが不安で、会うべきか会わない方がいいのか結論がでなくて、カイさんに相談しようと思って電話したんです」
「つまり、どうしたらいいかわからないってことか。那津、悩むのは悪いことじゃない。結論を出すまでの過程を放棄するな。那津の友達だろ?俺に相談されても正しい答えには導けない」
カイさんの言っていることは、間違っていない。だから心に痛いほど刺さる。
カイさんが言うとおり、駿太と私は友達だ。これからも変わらずにいたい。
駿太の笑顔が浮かんだ。春斗と桃香と一緒にいた時間を思い出す。
「ずっと会わないっていうわけにはいかないのはわかっています。だから」
そうだ。最初からカイさんに伝えるべき言葉は、こっちだった。
私は言葉を続けた。
「駿太と会おうと思います。だから、なにか気をつけることがあったら教えてください」
「那津は、真っ直ぐだな。それなら普通に会えばいい。夢魔の心配があるなら、今から俺が向かう」
「今からですか?」
夜は夢魔がいつどこで発生するかわからないので、研究所は忙しいはず。それに今日、カイさんは別の仕事で出かけていたから、疲れているかもしれない。
「空を飛ばせば、15分か20分。駿太より先に着くから大丈夫だ」
それは心配してないんだけど。
私はカイさんが居てくれるだけで、安心はできる。でもそれだけでカイさんを動かすって、どうなの?
カイさんは冷たいことを言っているようで、いつも助けてくれる。
甘えてばかりでは駄目だ。カイさんの声を聞いたら、落ち着いてきた。
「すいません。私ひとりで大丈夫です。駿太と会う決心がつきました。カイさん、ありがとうございます」
流されてばかりで、自分のことすら自分で決断できなければ、あの研究所に就職できない気がする。みんな芯があって、しっかりと自分のやるべきことをやっていた。
だから、私も駿太から逃げるのはやめよう。少し不安はあるけど、ちゃんと本人と向き合おう。
「わかった」
カイさんはそれ以上なにも言わなかった。
電話を切った後、私は駿太に、家で待っているとメッセージを送った。
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