家に着くと、母が玄関先で出迎えてくれた。正確には私ではなく音弥さんを。
「音弥さん、ごめんなさいね。お迎えに行ってもらっちゃって。所長さん達、もういらっしゃってるわよ」
母がスリッパを出しながら、音弥さんを招き入れた。
二人は私の見ていない短時間に打ち解けたのか、ずいぶん親しげだ。
「あ、いや、俺はこれで帰ります。続きの仕事があるんで」
「あら、残念ね。また、いらしてね」
音弥さんが帰ってしまったことで、不思議と心細くなる。所長といえば、偉い人でしょ?音弥さんみたいにフランクに接してくれるわけではないだろう。
深呼吸して家の中に入ると、リビングにはソファーに座ったスーツ姿の男性と女性いた。立ちあがって挨拶をする。
男性は短い銀髪で、ややツリ目のシャープな顔立ちだ。
女性は、髪型やスタイルから昨日会った人だとすぐにわかった。明るい場所で会うと、はっきりした目鼻立ちで、モデルさんのようだ。
音弥さんも含めて普通に生活してたら、絶対に出会わない人たちだな。きっと、この人たちと私は住む世界が違う。
「那津さんですね。私は特殊気象研究所の柚月と申します。こっちが所長のカイ。昨日は驚かせてごめんなさい」
柚月さんに紹介されて、所長が軽く会釈をしたが表情が読み取れない。私は緊張して固まる。
「あらあら、皆さん。座ってちょうだい。かしこまらなくてもいいのよ」
母がお茶を持ってきて、皆がソファーに座った。この人には緊張感のかけらもないらしい。
「那津、お母さんは先に話を聞いたわ。いいお話だから、しっかり聞きなさい。邪魔しちゃいけないから、私は買い物にでも行って来るわね」
母はお茶をテーブルに置くと、慌ただしく去って行った。
父は仕事、兄は県外の大学に通っていて、ひとり暮らしをしているため、家には私達だけとなった。
「音弥は?一緒じゃなかった?」
「帰りましたけど」
「あいつ──」
何か言いかけた柚月さんの肩にカイさんが手を置くと、自ら話し始めた。
「まず俺たちの仕事から説明しよう。特殊気象研究所とは、原因不明の災害を防ぐために作られた機関だということは音弥から聞いているかな?結論から言うと、君にこの研究所で職員として働いてほしい」
そもそも学生なので、今すぐ働くことは不可能だ。それに、特殊気象研究所という名称は聞いたこともない。
「なぜ私なんですか?」
「柚月と音弥の希望だ」
「ちょっと、カイ。話を省略しすぎてわけがわからないわよ」
柚月さんが口を挟む。
「なぜあなたに声をかけたのかを話す前に、原因不明の災害について説明するわ。ただ、これは機密事項のため、他言無用よ。ここから先はあなたのお母様にも話していないわ」
この人たちが私に嘘をつく理由がないけれど、信じても大丈夫だろうか。
母は何も考えずに信頼を寄せていたみたいだけど。
私は二人の顔を見た。
柚月さんは真剣な眼差しのまま話し続けた。
「原因不明の災害には、実は公にはされていないけれど本当はちゃんとした原因があるの」
「公表できないってことですか?」
そんな重大な話を聞いてもいいのだろうか。
「できないというよりは、信じてもらえない。もしくはショックが強すぎるから事実を伏せていると思ってもらった方がいいかしら」
柚月さんはお茶を飲んで、ひと息ついた。
「その原因というのは、人の悪夢から生まれた夢魔と呼ばれる幻獣よ。夢魔は人の負の感情から生まれてくる。幽霊みたいに実体がない負の塊と言えばわかりやすいかしら。それが力をつけると大災害を巻き起こす。私達は夢魔が力をつける前に浄化して災害を未然に防ぐ仕事をしているわ」
昨日の光景を思い出した。彼らは屋根の上を走ったり、空を飛んだりしていた。常識では考えられないが、真実かもしれない。
でも、全てをすぐに信じることは難しい。本当かどうか判断するためには、まず会話に矛盾がないか確認してみよう。
とりあえず最後まで話を聞くことにした。
「その夢魔を浄化するために、あなたの力が必要なの。具体的に夢魔の浄化に必要なのは、月の光と鎮魂歌。昨日、あなたの歌を聞いて、あなたには鎮魂歌を歌える素質があると思った。だから研究所への就職を勧めにきたの」
私の歌には魅力がないと言われたのに?
「私の歌には魅力がないと言われました。そんな歌を歌える素質があるとは思えません」
誰かに私の歌を必要とされたい。評価されたい。その気持ちが叶わなかった時、コンテストでの言葉がまた私を縛る。本当に素質があるのなら、教えて欲しい。
「そう思うなら、練習するしかないわね。ただ、あなたの透明感のある歌声は夢魔に届く。この声質は欲しいと思って手に入れられるものじゃない。それに──」
柚月さんが次の言葉を発する前に、カイさんが口を挟んだ。
「人に否定されたら諦めるのか?自分を信じられないなら、歌うこと自体やめた方がいい。それならばうちの研究所にも向かない。俺達がやっていることは、少数の人間にしか理解してもらえない仕事だから」
理解……研究所のことを理解する前から、無意識に私の歌を肯定してくれることを期待していたことに気づいた。
彼らの仕事に疑いすら持っていたのに。
認めてくれる言葉さえあれば、誰でもよかったみたいだ。
急に顔が赤くなる。
今は、冷静に彼らの話の真意を探らなきゃいけなかった。
ぐっと両手を握りしめた。
相変わらずカイさんは無表情だ。緊張してあまり視線を向けることができない。
「質問をしてもいいですか?」
「いいわ。なんでも聞いて」
「夢魔は人の夢からどうやって生まれてくるんですか?」
「人間の恨みや憎しみ悲しみが、悪夢を見ている間に抜け出るの。たいていは、夢主の目が覚めると同時に夢の中に帰ってしまうから害はないけど、大きな負の感情は夢主から離れてこの世に存在してしまう。それが夢魔よ。だけど普通の人には見えないから、幻獣とも呼んでいるわ」
負の感情が外に出ていくということは、夢主は楽になるのだろうか。しかし、たとえ自分が楽になったとしても災害の種になるのなら、あまり喜べることでもない、か。
「見えないのにどうやって退治するんですか」
「まず、退治じゃないわ。浄化して夢主の元に返すのよ。私達が退治してしまうことにより、夢主が自分で負の感情を処理できなければ、また同じかそれ以上の悪い感情に囚われてしまう可能性があるから。それからもうひとつ。普通の人と違って、私達には夢魔が見えるの。最初は特殊なメガネで見るんだけど、慣れてくれば自然に見えるようになるわ」
わかるような、わからないような。見ていないものを信じるのは難しい。
「その夢魔がどうやって災害を起こすんですか」
「夢魔の負の感情が集まって巨大になると、大きな振動を起こすことができる。そこから竜巻や台風、地震などを起こす。やり場のない怒りをぶつけているのかもしれないわね──」
話が長くなりそうだったのか、カイさんがまた柚月さんを止めた。
確かにこれ以上話されても、理解は追いつかない。ただ、私には柚月さんとカイさんが嘘をついているとは思えなかった。もちろん、音弥さんも。
「これ以上のことは、研究所に来る気になったら話そう。無理にとは言わない」
カイさんが立ち上がり、柚月さんも続いた。
「でも、あの、私はまだ学生で、大学受験もしようと思ってるんです」
私も慌てて立ちあがった。
重要なことを思い出した。すぐに就職なんてできない。
「だから無理にとは言っていない。それにうちの研究所には学歴なんて必要ない」
カイさんが言った瞬間、柚月さんが笑った。
「そりゃ、あんたには学歴なんて必要ないでしょうよ。でも、まぁ、カイの近くにいれば、そうかもしれないわね」
柚月さんの表情が和らいだ。それを見ていたカイさんが、目を背けた。
さっきまでのどこか張りつめた空気が変わった気がした。
二人を玄関先まで見送る。
「研究所に見学にくるといいわ」
柚月さんが別れ際に言った。
あぁ、そうか。お母さんがいい話だと言っていたのは、単純に就職内定の話だと思ったんだな。
娘が非日常の中に誘われているのに、呑気なものだ。
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