月夜の歌は世界を救う

あめくもり
あめくもり

81.ラブレター

公開日時: 2024年2月12日(月) 02:12
文字数:4,021

 コンテストからの帰り道。車は渋滞にはまり、すっかり日が落ちていた。車内は来たときと同じ配置で座り、カイさんが運転していた。

 夜になれば夢魔が現れるかもしれない。カイさんと音弥さんは仕事に向かわなければいけないののに、大丈夫だろうか。まだ多くの人が眠るのには早い時間だから少しは余裕があるはずだけど、桃香が一緒にいるときに誰かから連絡があっても仕事の話はできないし。少し落ち着かないまま、後部座席からふたりの頭を見ていた。


「桃香ちゃんはプロにならないの?」


「私くらいの演奏の人はたくさんいるので…それに私は別の夢があるので、プロは目指していません」


 音弥さんと桃香の会話をぼーっと聞きながら窓の外を見ていた。

 しばらくして桃香を家まで送り届けたあと、車内は3人になった。車は次の目的地である私の家に向かったが、すぐに音弥さんが話を切り出した。


「さて、と。遅くなる前に研究所に着かないと夢魔が出たら大変だから、俺は空から帰るから、人目につかないとこで俺を降ろしてよ」


「那津を送った後でも間に合うだろ」


「夢魔は間に合うけど、君たちはよく話した方がいいんじゃない?」


 音弥さんがそう言いながら、助手席から私の前に封筒差し出した。


「なんですか?」


 受け取って、表と裏を見たけれど何も書いていない。


「ラブレター、かもね」


 すぐに前を向いてしまったので、音弥さんの表情は読み取れなかった。


 車は住宅街を過ぎて、人通りの少ない道に出た。音弥さんが急かすので、カイさんが車を路肩に寄せて停車した。


「じゃ、俺は急ぐから。なっちゃんまたね」


 音弥さんが車から降りて、背を向けた。どこか目立たない場所から飛ぶらしく、街灯のない方向へ歩いていった。


 カイさんとふたりきりの車内は広いようで狭い。


「それ、なんだったの?」


 言われて手に持っていた封筒の存在を再認識した。恐る恐る中身を取り出す。

 カイさんは私をバックミラー越しに見ているようだった。車のルームライトをつけてくれた。

 手紙は手書きの文字が並んでいた。見たことがない筆跡だったので、音弥さんが書いたものではないことはすぐにわかった。


『星川那津様

 君の歌声は魅力的だった。本当は君の歌声を独り占めしたかっただけかもしれない。カイに必要とされる君の声が妬ましかったのかもしれない。傷つけたことは、夢魔のせいだけじゃない。ごめん。それでも君の頑張りや、真っ直ぐな姿勢に俺自身が前を向けた気がする。助けてくれたお礼に、君が望む全てのことに俺は協力する。もし、人前で歌いたくなっても必ず力になる。そのときは連絡して。芹沢』


 芹沢からの手紙だった。

 カイさんは私が手紙を読み終わっても何も言わなかった。車内にはカイさんの優しい空気が広がっている。今ならわかる。


「芹沢からでした。謝罪と、これからは力になるって書いてあります」


「俺じゃなくて、音弥に手紙を託すところがいい性格してるな」


 カイさんが呟いた。


「カイさんは、芹沢のことどう思ってるんですか?」


 私は最初、芹沢は敵だと思っていた。夢魔に操られていたのか、芹沢自身だったのか、記憶を繋いでみても、昔の芹沢を知らない私にはわからない。


「芹沢は器用なヤツで、俺にはないものをたくさん持ってた。けど、あいつはそれに気づけてなかったのかもな」


 カイさんの曖昧な答えを、私はなんとなく飲み込んだ。

 今になって少しだけ理解してきたことがある。研究所の人達は、夢魔に感情移入しない代わりに、夢魔を憎んだり恨んだりもしていない。

 だから夢魔を倒したりせず浄化するのだろうか。


「カイさん、私はまだ夢魔のことも芹沢のことも、研究所のみんなのことさえ本当のことはわかりません。私は芹沢のこと嫌いでした。この手紙をもらっても急に好きだとは思えないし…」


「芹沢だって那津に好かれたくて書いたんじゃなくて、たぶん、謝罪したかっただけだよ。深く考えても答えなんかない。人間の感情っていうのは、それだけ複雑にできてるからな」


 カイさんは前を見たまま後部座席の私に話しかけてくる。昔、助手席に座ったときよりも近くに感じる。


「で、その手紙は結局、ラブレターだった?」


 カイさんがルームライトを消した。そろそろ出発のだろう。


「この文章でラブレターだと思えるほど、私は自信過剰ではないです」


「それはよかった」


 よかったってどういう意味?なんて聞けるわけもないので、動揺で固くなる。


「カイさん、私、ちゃんと研究所に就職したいです」


「那津のことは研究所のみんなが待ってる。ただ、那津に他にやりたいことがあるなら、応援する」


 そこまで言うと、カイさんは大きく深呼吸した。そして、言葉を続けた。


「今から言うことは俺の独り言だから、那津は聞かなかったことにしてほしい」


「はい」


 決して目が合わない後部座席から、運転席のカイさんを見つめた。


「以前、俺の声を好きだって言ってくれた子がいた。俺もその子の声はいいなと思った。声は伸びやかなのに、意外と堅くて真面目で頑固なとこもあって。その子自身にも興味が湧いた。もう少し若ければ、肩書がなければ言えることも、今は言えないでいる。けど、彼女の未来に協力するのは芹沢じゃなくていいと思っている」


「それはカイさんが協力してくれるからですか?」


 一生分の勇気が口から出ていった。


「もちろん、俺は那津に協力する。けど、那津が人前で歌うのは少し複雑だ」


 カイさんの言い方は遠回しだ。でもこれって、下手くそな告白みたいだ。自惚れてるのかもしれないけど、今を逃したらカイさんの本音は一生聞けないかもしれない。

 私は後ろからカイさんの腕を掴んだ。

 カイさんが驚いて振り向いた。


「私はカイさんが……好きです。だから、歌うならカイさんの近くで歌いたい」


 恥ずかしくて顔があげられなかった。ふと、告白してくれた駿太が脳裏に浮かんだ。真っ直ぐ私を見てた。なんで気づかなかったんだろう。すごく勇気を出して、私に向き合ってくれていた。いつだって優しかった。でも、私が好きになったのはカイさんだ。

 顔を上げた。


「那津が好きなのは、俺の声だけじゃなくて?」


「声だけじゃないです」


 カイさんはまた前を向いてしまった。

 私はゆっくりと手を離す。

 さっきまで近くに感じたカイさんが、なぜか遠くに感じた。


「俺は肩書とかに囚われたくないとは思ってる。けど、こればっかりは……な。那津の気持ちは嬉しい。けど、やっぱりさっきの俺の気持ちは、聞かなかったことにしてほしい。俺は、那津の就職先の社長だから、那津が高校を卒業するまでは立場は崩せない。だから、今は那津の気持ちには答えられない。今後は二人きりで会うのもやめたほうがいいかもしれない。問題になってもいけないから」


 カイさんの言いたいことはわかる。けど、カイさんも私のことを好きだって思ってくれたのかなと思ったのに、こんなフラレ方って、あるの?


「わかりました。確かに内定先の社長と夜に二人きりはよくないですよね。私、ここからなら歩いて帰れます。ありがとうございます」


 私はカイさんが止めるのも聞かずに、車を降りた。そして走った。確かに歩いて帰れない距離ではないけれど、遠い。それでも、ここでカイさんと一緒に居続ける理由はなかった。

 車もあまり通らない道なので、左右をよく見ずに飛び出して車道を渡った。薄暗くなった道を、近くの公園までひたすらに走った。

 音弥さんがカイさんは来るもの拒まず去るもの追わずだって言ってたけど、ちゃんと拒まれた。

 息が上がる。運動不足かもしれない。公園に到着する前に、交差点で足を止めた。もう、走れないや。


「那津っ!!」


 背後から聞き覚えのある声がした。

 ──去るものは追わないんじゃなかったの?

 振り向けないまま、空を見上げた。私の足はもう走り出そうとはしていない。


「ちゃんと話を聞いていたのか?」


 カイさんの足音は私から少し離れたところで止まった。

 返事はできない。聞いていたから逃げ出したのだ。黙っている私に、カイさんが少しだけ近づく足音が聞こえた。背後に気配を感じる。ふんわり、カイさんの匂い。


「那津が高校を卒業して研究所の職員になるまでに、世間に誤解を与えるわけにはいかない。俺は研究所のことも那津のことも守らなければいけないからな。けど、ごめん。那津と一緒にいると冷静さを失って、言わなくていいことを……。ただ、夜に那津を置いて帰るわけにはいかない。送らせてほしい。俺が駄目ならトリコさんにお願いするから」


 私が研究所の職員になれたら、カイさんは私の告白をもう一度ちゃんと聞いてくれるのだろうか。いや、2回も告白するなんてそんな勇気が湧くだろうか。

 空を見つめたまま、感情をどこにやればいいのかわからなくなった。今、告白なんてしてしまった自分を恨んだ。立場を考えたら、カイさんが言っていることの方が正しい。

 沈黙が流れる。数台の車のライトが私達を照らしては通り過ぎていく。黙ったままの私に何を言うでもなく、カイさんはずっとそこにいた。

 数分後、どんっという鈍い音がして思わず振り返った。人間の反射は怖いものだ。


「那津〜!このムッツリスケベに何もされなかった?」


 明るい声でトリコさんが左の手の平をひらひらさせている。そして右手に持ったバッグを顔の位置まで持ち上げた。


「コレでぶん殴っておいたから、もう大丈夫よ。あとは、カイを煽った音弥と芹沢にも説教しとくからね。さ、帰りましょ」


 トリコさんの明るい声にホッとして、涙が出そうになる。


「トリコさ…」


 トリコさんが私の肩にそっと手を乗せた。そしてカイさんから車の鍵を受け取った。


「トリコさんが送ってくれるから。悪かったな」


 カイさんは、私が行こうとしていた公園の方へ歩いていった。何を言ったらいいかわからなくて、カイさんの背中を見ていた。


「大丈夫よ。私達は私服のときもスーツのときも関係なく、いつでも飛べるようにスティックは持ってるから。さ、車に乗って」


 トリコさんに促されて車まで戻った。


 






 







 

 


 

 


 

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