芹沢は落ち着いた声で言った。
「雨宮カイの研究所は、夢魔が災害を起こすという理由で排除する。しかし、最後は夢魔を出した人間任せ。自らの手で退治する覚悟も夢魔と生きる覚悟もない。そこに正義があると思うかい?」
正義はわからない。でも、芹沢からカイさんへの痛いほどの嫌悪感は伝わってくる。
「正義の定義は人それぞれだと思います。あなたとカイさんの間に何があったのかは知りませんけど、私は自分の道は自分で選びます」
私は私の目で見て、触れたものを信じる。流されたりしない。
芹沢の目を真っ直ぐに見た。
「私は、カイさんの言葉に嘘はないと思ってます」
カイさんは、大切な人を失って傷ついた音弥さんが信じた人だ。無責任に夢魔と接するなんて有り得ない。
柚月さんもトリコさんも、凛もフィルさんも、きっとカイさんが好きだから一緒に仕事をしているんだと思う。
夢魔を夢主の元に返すことで、夢主は苦しむかもしれないけど、乗り越えて成長していくはず。カイさんも、きっとそう信じている。駿太が自分の生み出した夢魔を自分の中で消化できたのだって、カイさんたちの浄化があってこそだ。
芹沢の言うように、夢魔の居場所を作ってしまったら、人は次に進めない。夢魔と切り離されても、悩みは消えないと思う。
「君もすっかりカイの虜ってわけかい?」
芹沢は呆れたように言った。
「カイさんのことは関係なく、夢魔の還る場所は夢主のところだと思います」
夢魔は浄化された方がいい。私の少ない知識でも、それが最善で、芹沢の意見とは違う。
「はっきり言うね。でも、俺の後ろに無数の黒い夢魔がいて僕が指揮をとれることは忘れないでね」
芹沢が闇夜に向かって両手を広げた。
そういえば、さっき柚月さんとトリコさんが追いかけていたのも異常な数の黒い夢魔だった。
「まさか、さっきの黒い夢魔もあなたが操って……」
「気づくのが遅いね。ちょっと君と話したかったから、邪魔ものには消えてもらったよ」
芹沢は、柚月さんとトリコさんをここから遠ざけるために、わざと大量の夢魔を放ったのだ。
ということは、たぶん、さっき道路上で夢魔の行き先を見ていた人はこの人だろう。
「でも、なんで私の家を知ってるの?」
ストーカー並に気持ち悪い。
「駿太くん。彼の中に現れた夢魔を成長させて、君の家を探してもらったのさ。コンテストの会場で君の歌を聴いて、君に近づく方法を探していたら、ちょうどよく君に恋してる彼を見つけてね。彼に近づくのは意外と簡単だったから、夢魔を引き出すのに時間はかからなかったよ」
芹沢の言葉に、思わず窓枠から外に身を乗り出した。
夢魔は負の感情を吐き出すだけで、自我がない。自我がないから、負の感情さえコントロールできれば、操るのは簡単なのかもしれない。
「駿太がコンテストの選抜メンバーに選ばれたのは?まさかそれもあなたが?」
駿太の気持ちを知った上で、近づく手段として、選抜メンバーに選んだのだとしたら……酷すぎる。
しかも芹沢は、夢魔を成長させたと言った。駿太の気持ちを無視して悩みだけ膨らませるなんて、最低だ。けど、芹沢ですら駿太の気持ちに気づいていたなんて……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「駿太くんの演奏が素晴らしかったのは本当。それを疑ったら彼に失礼じゃないのかな?」
芹沢は、すっと家の一階の屋根の上に降りて、ゆっくりとこちら側に歩いてくる。
ヤバい、の、かも。
私の持っている武器は、まだ未完成な歌声だけ。これで芹沢と戦うには、ショボすぎる。
だけど、自分の道は自分で決める。私は、カイさんの研究所で働くんだ。
歌声や、芹沢の呪文のような声が届くなら、もしかしたら、私の声も届くかもしれない。まだ浄化の歌も退治もできない私ができることなんて、ないけど、やってみなければわからない。
私は黒い夢魔の塊が動くのを目で追った。会話できなくても、想いだけなら伝わるかもしれない。
「黒い夢魔たち。よく聞いて。あなたたちの主は深い悩みの中にいた。でも今は、解放されて天に昇った。あなたたちも自由に飛び立って、空に還った方がいい」
芹沢の周りにいる黒い夢魔が風もないのに、大きく揺れた。
芹沢が今度は私の目の前に飛んできた。
顔と顔がこれ以上ない程近づいたので、私は後ずさりして、部屋の中に尻もちをついた。
芹沢の瞳の奥に熱を感じなかった。
「しっかり雨宮カイに刷り込まれた思想だな。それはお前たちのエゴだ」
「それでも、私はカイさんを信じる」
痛たっ。お尻の鈍い痛みに手をあてながら立ち上がった。
「話は平行線だな。まぁいい。次は新月の夜に会おう」
窓の向こうで、黒い夢魔を引き連れた芹沢は夜空に消えていった。
なぜ急に去ったのだろうと思った瞬間、スティックに乗った音弥さんとカイさんが上から下りてきた。
「なっちゃん、大丈夫?」
「大丈夫ですけど」
音弥さんとカイさんの並んだ顔を見たら、急に
何もできなかった自分が悔しくなった。もっと言い返せばよかった。
だけど、そんなことより。
「柚月さんとトリコさんが黒い夢魔を追っていきました。黒い夢魔は芹沢って人が操っていました」
「なっちゃん、芹沢と話したの?」
音弥さんとカイさんの視線が刺さる。やはり、ふたりは芹沢を知っているんだ。
「少し」
短く答えた。会話したこと自体がいけなかったのだろうか。困惑する。
カイさんは黙って空の様子をうかがっている。音弥さんが口を開いた。
「なんか言ってた?」
なんか、と言われても……私を勧誘しにきたり、カイさんを否定したり、研究所にとっては悪い情報しかなかった。でも、もっと重要なことがある。
「あの人は、夢魔に生きる居場所を作るって言ってました。亡くなった人の心を軽くするためにって。だから自分で夢魔を統制するって」
「耳障りな話だな。綺麗事を並べて。でも、なんでなっちゃんに近づいたんだ?」
音弥さんの疑問に、カイさんがこちらに視線を戻した。
「たぶん俺が那津に近づいたからだろうな」
「カイからなっちゃんを奪うつもりで?だとしたら、またなっちゃんの前に現れる可能性が高いな」
「あぁ、那津を守る必要が出てきたな」
ちょっと待って。それでは、私はまた守られるだけで何もできない足手まといになる。研究所の負担にしかならないのは絶対に、嫌だ。
「あの、私も自分で自分のことくらい守れます」
「なっちゃん、芹沢はそんなに甘くないよ」
「今はまだ無理かもしれないけど、早く夢魔と戦えるようになりたいし、芹沢にも負けたくない。だから、いろいろと教えてください」
そして、夢魔を浄化できるようになりたい。研究所のみんなの力になりたいから。
「焦る必要はないと思うけど」
音弥さんに言われた。
「音弥さんなら、わかってくれると思います。自分に力があればよかったって後悔はしたくないんです」
私の声に、カイさんがため息をついた。そして音弥さんの肩に手を掛けた。
「それなら、音弥に任せた」
「は?俺がなっちゃんの教育係?お前がやれよ」
「俺には無理だ」
「逃げるなよ、カイ。所長だろ?」
「そんな肩書関係ない。それに最初に、那津の声に目をつけたのは音弥だろ?」
「俺じゃない、柚月だ」
「柚月か」
「柚月だ」
「じゃぁ柚月だな」
「ああ、柚月だ」
ふたりは顔を合わせて笑っている。
いやいやいやいや、私のこと嫌がってなすりつけあった挙句、この場にいない柚月さんに押し付けるってどうなの?
しばらくすると、柚月さんとトリコさんが戻ってきたので、私は玄関から外に出た。家の横を通る道路で、みんなと合流した。人通りの少ない場所なのでここで集まって話していても、人に気に留められることはないだろう。
私の部屋の明かりが漏れているので薄明るく、ちょうどいい。
カイさんが芹沢のことをふたりに伝えた。ふたりとも予想の範疇の出来事だったらしく、あまり驚いてはいなかった。
「そんなわけで柚月、那津にいろいろと指導を頼む」
カイさんが切り出すと、柚月さんはあっさりと受け入れた。
「このメンバーじゃ、教えられるのは私しかいないと思うわ」
「柚月さん、よろしくお願いします」
柚月さんにまで断られなくてよかった。
「こちらこそ。じゃぁ、週末に迎えに来るわね。研修生として迎えるわ。カイ、それでいいでしょ?」
「もちろんだ。アルバイト扱いで給料も出す。親御さんと学校には俺から連絡する」
アルバイトに学校の許可とか、校則には載ってるらしいけど、正直いらないと思う。みんな勝手にやってるし。
「カイは、なっちゃんに隙ができないようにしてるんだよ」
音弥さんが、付け足した。
「どういう意味ですか?」
「前のメールみたいに、小さな綻びを突いてなっちゃんの就職をやめさせたり、退学させようとする奴が出てくるといけないからね。まだメールの犯人、わかってないんでしょ?」
私は、黙って頷いた。
確かに犯人は、未だに不明だ。でも、そんなことまで考えてくれるんだ。私でさえ、あのメールのことは忘れかけていたのに。
「それはそうと、なっちゃんのパジャマ姿なかなかイケてるね」
音弥さんの言葉にびっくりして、足元から自分の服装に目をやる。
げっ。そういえば、すでに布団に入ってから連絡をもらったから、ずっとパジャマのままだった。
急に恥しくなって、しゃがみこむ。
「あらぁ、いいじゃない。かわいくて。私は好きよ。襟付きのパジャマ」
トリコさんのフォローが耳に届いた。
「寝る時間に声かけた私達が悪いのよ。さ、那津の睡眠時間を奪うだけだから、私達は帰るわよ」
柚月さんに促されて、音弥さんがスティックに跳び乗ると、私に手を振って飛び立った。
私も立ち上がって手を振った。
トリコさんと柚月さんも、続いて飛び去った。
「那津、芹沢はまた必ず現れる。だが、無茶だけはするな」
カイさんが上着のポケットに手を突っ込んだ。そして、腕時計を取り出した。
「凛が作ってくれた。見た目は腕時計だが、文字盤が開く。緊急時に、俺たちと通信できるようになっている。これなら、学校にも着けていけるだろ?」
カイさんから腕時計を受け取った。
「何があるかわからないから、肌身離さず持っていてほしい」
「ありがとうございます。凛にもありがとうって伝えてください」
「了解。じゃぁ、おやすみ」
カイさんも三人を追いかけて飛び立った。
静かで落ち着いたカイさんの「おやすみ」の声が、ゆっくりと胸に落ちてきた。
心の中で「おやすみなさい」と唱えた。
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