いろんな人と出会って、私の二泊三日の研究所見学は終了した。
帰りは音弥さんが車で送ってくれるらしい。
午後2時。車の後部座席に荷物を載せていると、凛とトリコさん、カイさんが見送りにきてくれた。それからもうひとり。
「那津さーん」
研究所の扉が開いて、小走りのフィルさんが出てきた。少し大きな体が重そうだ。
「間に……あってよかっ……」
息が上がっている。
「コレはワタシからのお礼です」
お礼されるようなことはなにもしていないけれど、言われるがままに手を出す。
小さな箱の蓋をパカッと開けると、黒縁メガネが入っていた。
「今は、まだあなたに通信機を渡すわけにはいかないので、コノ眼鏡を受け取ってください。なにかの役に立つかもしれません」
この眼鏡は、夢魔が見える眼鏡だ。慣れれば眼鏡なしで夢魔が見えるようになると聞いた。私の場合は、見える夢魔と見えない夢魔がいたので、これで訓練しなさいという意味かもしれない。
「ひとつ、聞いてもいいですか?なんのお礼ですか?」
フィルさんは大き口を開けて、がははと笑った。
「凛と仲良くしてくれたことだよ」
「ちょっと、なに言ってるの。恥ずかしい」
凛がフィルさんを引っ張る。
「那津〜。また戻ってこいよ。絶対だぞ」
そう言って、凛はフィルさんを連れて去っていった。
「あの子、人見知りなのに、那津のことは気に入ったみたいね」
トリコさんが、凛を目で追った。
もしも凛が近くにいてくれたら、私も心強い。
明日からは日常生活に戻るけど、早くここに戻ってこられたらいいな。
「那津、送ってやれなくて悪いな」
カイさんが声をかけてくれた。
「いえ、音弥さんが送ってくれるので、大丈夫です」
「それから、これが研究所の表向きの概要と、雇用内容。家に帰ってから、しっかり確認しておくように」
カイさんから大きな封筒を渡された。中を覗くと、いくつかのクリアファイルで分けられた書類が入っている。
お礼を言って、受け取った。
「じゃぁ、俺は別の仕事が入ってて時間がないから先に出るけど、音弥、気をつけて行けよ」
「はいはぁ〜い。任せといて」
音弥さんが軽く返事をした。
カイさんは、その後すぐに自分の車に乗り込み、私達よりも先に出掛けていった。
私がカイさんを見送ってから、車の助手席に乗った。
「じゃぁね、那津。次にあんたが来るときには、好きなものを食べさせてあげるから、事前に言うのよ」
「ありがとうございます」
「じゃぁ、出発しようか」
音弥さんが運転席に座った。
たった二泊三日だったけれど、ここを離れるのが名残惜しい。みんな、温かくて、ずっとここにいたくなる。でも、ここにいるためには、きちんと学校を卒業しなきゃいけない。
車内から手を振って、トリコさんと別れた。凛は、すでにフィルさんを連れて建物内に戻っていたので、建物に向けても手を振っておいた。
これからまた長いドライブが待っている。来たときはカイさん相手で、めちゃくちゃ緊張したことを思い出す。今回は長い時間みんなと過ごした後だし、口数が多い音弥さんとふたりなので、あまり緊張はしていない。だけど、男の人とふたりの車内が落ち着かないことは変わりない。
車は研究所のある丘を下り、森の中を走っていく。
「来るときさ、カイと一緒で悪かったね。あいつ、女の子に気を遣うタイプじゃないから、気まずくなかった?」
音弥さんが笑った。
「カイさんって、なにを考えてるのか全くわからなくて、緊張しました。でも、いろいろ話はしてくれましたよ」
「へぇ、あのカイが。俺は、ずっと無言だったんじゃないかと思って心配してたんだよ」
心配というわりには、楽しそうに笑っている。
私は送ってもらう立場だから、正直、誰がいいなんて言えないけど、柚月さんだったら、いっぱい話が聞けたのになと思う。
昨日の夜は結局、凛の部屋に泊めてもらったけど、寝る直前までリビングにいたので、凛とも深い話はできなかったし。
「柚月さんは大丈夫なんですか?」
頭痛いと言って眠ってしまった柚月さんは、夫の寿太郎さんに連れていかれたまま戻ってこなかった。
「大丈夫だよ。寿太郎さんは医者だから。自分の病院に入院させるって言ってたし、すぐ元気になると思う」
寿太郎さんは医師だったのか。それなら、柚月さんは安心だ。
「よかった」
「柚月のことはいいとして、なっちゃんは自分の心配はしなくていいの?」
就職までにしなければいけないことが、たくさんあるのだろうか。カイさんから渡された書類に細かく書いてあるのかもしれない。
「がんばります」
「本当に大丈夫?まだ学校に届いたメールの犯人も判明してないんだし、なんかあったら俺たちを頼りなよ」
あ、その話だったのか。言われるまで、学校生活のゴタゴタはすっかり忘れていた。今は、就職することしか考えていなかった。
「でも、メールが嘘だってことは先生達も理解してくれていますし」
メールの内容は、私がホストと付き合っていて、学生にふさわしくない場所で遊んでいるという、私を退学に追い込むための作り話だった。
音弥さんが学校側に説明してくれたため、私は退学にはならなかった。つまり、犯人の目的は達成されていないことになる。
「なっちゃん、それだけじゃないでしょ。駿太くんのことも、深入りしないように、でも不審がられないように接することも忘れないように」
「……はい」
間の悪い返事になってしまった。
駿太の気持ちがまだよくわからない。夢魔から駿太の気持ちを感じとったのは、音弥さんとカイさんであって私じゃない。
駿太が私を好きだと言われても、困っただけで実感は薄い。と、なると、確かめたくなるけれど、夢魔から得た情報を元に、夢主と接することは禁止されている。
「音弥さん……私、どうすればいいですか?」
「今まで通り、彼と接するしかないかな」
ですよね。
外の景色を見ながら、駿太が見た悪夢の中から出てきた夢魔のことを思い出していた。
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