月夜の歌は世界を救う

あめくもり
あめくもり

20.正面から話せば

公開日時: 2022年3月1日(火) 21:39
文字数:2,368

 カイさんが車に戻ってきた。


「カイさん」


 ほっとして声をかけた。

 しかし運転席に座ったカイさんの表情は重苦しいものだった。


「なぜ約束を破った?」


 カイさんは私と目を合わせず、静かに言った。

 心臓がぎゅっと掴まれたように痛い。

 私は、カイさんの力になりたいと思った。でも、思い上がりだったのかもしれない。そう思うと返事ができない。


「すみません」


 やっとのことで絞り出した声は、少し震えていた。元々親しかったわけじゃないけれど、嫌われてしまったかもしれない。


「那津は、素人だ。下手に歌えば危険なだけだ」


 夢魔に会う前のカイさんとは空気が違う。怒っているんだと思う。

 私は更に何も言えなくなる。


「研究所に帰るぞ」


 カイさんは、それ以上私を責めることはなかった。その後は何も言わなかったので、車内は静まり返って、張り詰めた空気が漂う。

 夢魔のおかげで遠回りしたので、これからまだまだ研究所への道のりは長い。


 約束を守れなかった私は上を向けない。


 張り詰めた空気を切るように、電子音が鳴った。カイさんへの電話だ。


「ちょっと、カイ!!通信機の電源、まだ入れてないの?」


 柚月さんの声だ。通信機はさっきまで繋がっていたはず。


「すまない。壊れた」


 何事もなかったような、いつもの声でカイさんが答えた。


「壊れたって、どういうこと?」


「夢魔の攻撃を腕で受けたら、破壊された」


「大丈夫なの?」


「あぁ、でも夢魔には逃げられた」


 逃げられたのは、私のせいかもしれない。


「浄化できなかったの?」


「すまない。でも、予想通りだ。問題ない」


 カイさんは短い返事しかしない。電話がきても、車内の空気は変わらない。

 ただ、通信機が攻撃を受けて壊れたのなら、私がカイさんに怒られたことは、柚月さんや音弥さんには聞こえていなかったかもしれない。いや、聞こえていなくても、事実が消えるわけではないけれど。


「那津は?もちろん無事でしょ?」


「安心しろ。無事だ。これから研究所に向かう」


 私は、体温が全て奪われていくような気分だった。

 夢魔に会うまでは、カイさんと会話することができていたのに。今は、顔を上げることさえできない。なぜ、歌おうと思ったんだろう。

 後悔が頭の中をぐるぐる回る。

 どうしよう。

 私は就職の内定を受けたわけじゃない。そして、研究所のトップであるカイさんの指示に従わなかった。私の就職は、なくなるかもしれない。


 頭から被っていたストールが、私とカイさんの間に薄い幕を作っている。

 見た目以上に距離を感じる。

 カイさんから、私の表情が見えないのが救いだった。

 重たい気持ちのまま、車は再び高速道路の入口に来た。

 車が大きくカーブを曲がるとき、ふわりといい香りがした。ストールの香りだ。

 カイさんが、好きだと言った落ち着く香り。

 爽やかだけど、ほんのり甘くて柔らかい。

 本当だ。少し落ち着くかもしれない。香りに守られているみたいだ。

 守られて──そういえば、カイさんは夢魔と戦う前に私に「守るから、心配しなくていい」って言ってくれた。

 それに、その言葉の前にカイさんを信じるって約束をした。


 夜の田舎の高速は交通量も少なく、車は順調に走っていく。


 研究所に着いてしまえば、カイさんとふたりで話す機会はないかもしれない。

 いつも流されてきた私が、働きたいと願った研究所への就職も、出会った人達との繋がりも、このまま失うのは嫌だ。だったら、カイさんに拒否されたとしても、ちゃんと自分の気持ちを話さなきゃいけない。


 私は両手に力を込めた。

 この勇気が失われる前に、カイさんにもう一度きちんと謝って、次からは必ず約束は守るって言おう。

 カイさんは私が正面から話せば、必ずちゃんと話は聞いてくれるはず。もしも悪い結果でも、何もせずに諦めるよりも、自分の気持ちを話そう。


 顔を上げて、ストールを取った。運転しているカイさんの腕に視線をやった。


「次のサービスエリアで少し休憩しよう」


 思いがけないカイさんからの提案だった。


「はい」


 やはりまだ覚悟が足りなくて、返事するのが精一杯だった。

 もしかしたら、ここで、見学すら許されず送り返されるかもしれない。そうなる前に、サービスエリアの駐車場に車が止まったら、必ず言おう。

 早くなる鼓動を感じながら、タイミングを待つことにした。



 車が駐車場に停車した。

 急いで自分のシートベルトを外し、カイさんが車の扉を開ける前に、慌ててカイさんの左腕を掴んだ。

 ストールが、カイさんと私の座席の間にするりと落ちた。

 驚いたような表情で振り返るカイさん。


「待ってください」


 カイさんは座り直してこちらを向いた。

 思った通りだ。カイさんは、私が正面から話せば、ちゃんと聞いてくれる。


「さっきのは、本当に私が悪かったです。ごめんなさい。でも、少しでもカイさんの力になりたくて。力になれるなんて思い上がりだったんですけど、歌わないという選択肢がなかったんです。本当にごめんなさい。声を出さないって約束を守れなくて」


 カイさんは真剣な表情でこちらを見ていた。そして、落ちたストールを拾って私の頭から被せた。

 私の視界はストールで遮られた。


「それだけじゃない。もうひとつ約束を破ったな」


 外には出ていない。もうひとつは、カイさんを信じること──。


「信じられなかったか?守るから心配するなって言ったこと」


 信じてた。だけど、それ以上にカイさんの力になりたくて……。あれ?それはカイさんが夢魔に負けると思ったことになるの?


「ちがっ」


 違うと言いかけたところで、ぐっと体を引き寄せられた。私の顔は、カイさんの胸の中。


「那津のこと、心配したんだ。無事でよかった。それから、怒ってすまなかった」


 カイさんの声は、優しく、落ち着いていた。


 ストールの中で、溢れそうになる涙を堪えた。私、カイさんに嫌われたわけじゃなかったんだ。心配したから、叱ってくれたんだ。

 今、顔が見られなくてよかった。



 





 



読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート