「那津、大丈夫か?」
カイさんが黒い夢魔の間を抜けて、空から戻ってきた。
「カイ、悪い」
音弥さんが肋を擦りながら、カイさんに近寄った。
私達の周りは黒い夢魔が取り囲んでいる。でも、襲ってくる気配がない。
「音弥、後ろに下がれ。このままだと肋骨が悪化する」
「下がらないと言ったら?」
「……俺なら下がらない」
カイさんの答えに音弥さんが笑った。
そして拳を突き出した。カイさんは無言で音弥さんに拳を合わせた。
「音弥と俺が飛んで、取り囲んでる夢魔をすべて消す。1曲あればいい。那津の得意な曲を聴かせてほしい。できるな?」
カイさんの声は落ち着いていた。さっきまで動き回っていたのに、すでに息も整っている。
私は闇の中の夢魔をぐるっと見渡した。煙のような灰色のもやが揺れている。
「歌います」
私の好きな歌を。コンテストで歌った大切な曲を歌おう。
私の声は自然と伸びた。夢魔を空に還すことよりもカイさんに聴いてほしくて、音弥さんに歌えるところを見せたくて、トリコさんの助けになりたくて、暗闇に光が差すように歌った。
周りにいた夢魔達が少しずつ減っていく。音弥さんはさっきまでが嘘のように、スティックに乗って、夢魔を翻弄しながら飛び回っている。
私が歌い終わる頃には、私達を囲んでいた灰色のもやもやを纏った黒い夢魔は、消えていた。鎮魂歌を歌っているわけではないから、消えたといっても逃げただけなので、またすぐに復活するかもしれないけど、今は近くの夢魔を排除しただけでいいらしい。
「やるじゃない」
トリコさんも戻ってきた。
「芹沢とそれを囲んでいる夢魔を消せば、この台風は消滅するわ」
トリコさんが上空に目をやった。暗闇に灰色の大きな雲がひとつ。これを倒さなければ、大きな台風が来てしまう。
カイさんと音弥さんも砂浜に下りてきた。
「次は俺と那津が歌う」
カイさんが私を見た。
私は黙って頷いた。
「なっちゃん、平常心で歌える?」
音弥さんの言葉で思い出してしまった。全身に鳥肌が立つ。カイさんの声は私の初恋で、今でも心に残り続けている。憧れるのももったいないほどの胸を締め付ける歌声。
「だ、大丈夫じゃないかもしれません」
「大丈夫だ」
私の言葉にすぐに反応したのはカイさんだった。びっくりするほどあっさり大丈夫と言われてしまった。
風はだんだんと強くなり、立っているのがたいへんなほどになってきた。
「これでは、スティックで空が飛べないわね」
トリコさんが呟いた。
私達は四人で集まって、砂浜から離れることにした。そして島の森に続く木々の中に隠れた。木々は大きく揺れ、葉を散らす。少し歩いて森の中の大きな岩の後ろに避難した。四人とも風を避けられるほどの大きさだった。
風の音がうるさいので、フードを被って通信機越しに会話をすることにした。こんなに近くにいるのに、フードの中の耳に直接に声が届くのが不思議だった。
「芹沢はもう会話してくれる状況ではないわ。もう強制的に排除するしかないわね」
トリコさんは覚悟を決めたようだった。
「でも、芹沢は夢魔じゃないから刺すわけにはいかないじゃん?どうすんの?」
音弥さんが言った。
「まず、周りの夢魔を俺と那津の歌で芹沢から剥がす。あとは音弥が力ずくで全部消せばいい」
「あのー、カイくん……この強風の中、手負いの俺に飛べって言ってますか?」
音弥さんが静かに疑問を投げかける。
確かに、カイさんはさっき音弥さんに下がってろと言っていた。いや、でもそれに対して下がらないと言ったのは音弥さんだった。つまり、ふたりでじゃれてるだけなのか?
「音弥なら楽勝だろ」
「怖いな、うちの社長は。ねぇ、トリコさん」
「音弥くん、頑張って」
「ちょっと俺ひとりにやらせる気?」
「冗談よ」
大変な状況なのに皆が笑っているから、緊張が溶けていく。
「真面目な話、俺達には芹沢を倒す術はない。だが、夢魔を倒せば災害は防げるはずだ」
カイさんの声が急に真面目なトーンになった。芹沢を倒せないならまた夢魔を集めて同じことが起こってしまうのではないだろうか。
「私は芹沢が夢魔に操られてると思うの。だとすれば、芹沢を操っている夢魔を倒せば全ては解決するわ」
トリコさんがカイさんに言った。そういえば、さっきも同じようなことを言っていた。トリコさんは芹沢が操られていることを確信しているみたいだ。
「それが本当ならどうやって操っている夢魔を引きずり出すかが問題だな」
夢魔は人の負の感情に入り込む。芹沢は夢魔を助けたくて研究所を離れた。もしかして、この理由すら夢魔に操られて言わされたのだとしたら、芹沢が研究所を離れた理由は別にあるのかもしれない。
芹沢はカイさんとは大学時代からの知り合いで、研究所を作る前からトリコさんのことも知っていた。このふたりになにか原因があるのだろうか。
「カイさんは、芹沢のことをどう思っていたんですか?」
素朴な疑問だった。前に友達かどうかを聞いたら曖昧な返事だった。でも、カイさんは災害を起こそうとする芹沢を倒そうとはしているけれど、芹沢が何もしなかったら敵対していなかった気がする。
「芹沢は学生時代から、人気者だった。俺とは正反対だったな。でも、芹沢を羨んだり妬んだりしたことはない。芹沢は同じような環境に身を置いた共同研究者みたいなものだったから」
カイさんからは芹沢に対する悪意が感じられない。
「じゃぁ、トリコさんは……」
言いかけたら、トリコさんが大きくため息を吐いた。フードで顔が隠れているので、表情はわからない。
「芹沢は、研究所という居場所を作ったカイが羨ましかったのよ」
「それだけじゃないでしょ」
音弥さんが口を挟んだ。
「トリコさんがいつもカイの側にいるのが羨ましかったんだよ、芹沢は」
風がごうごうと唸っている。夢魔たちは襲ってこない間に力を貯めているのだろうか。
ピピピピピ。通信機が鳴る。
「こちら凛。感知計で夢魔の勢力がちっとも小さくなってない。どうなってるんだよ」
「芹沢が多数の黒い夢魔を連れてるから、対処に多少時間がかかっているだけだ」
カイさんが答えた。
「芹沢ってそんなに強いのかよ。ただの研究所の共同研究者だろ?さっさと倒せよ。カイらしくもない」
凛の言葉が頭の中に響いた。芹沢が人間だから倒せないことに、凛は気づいてないのだろうか。
「凛、大丈夫よ。こっちは任せて。それよりも全国に他の夢魔が発生していないか、ちゃんと監視を頼むわよ」
トリコさんが言うと、凛はすぐに返事をして通信を切った。
なんとなく、わかってきた。研究所はカイさんが所長であり、会社の社長だけど、精神的な支柱はトリコさんなんだと思う。どんなに困難な状況でも、トリコさんがいるだけで皆がまとまるし、安心する。
もしかして芹沢も、そうだったのかもしれない。
「芹沢もトリコさんと一緒にいたかったんですか」
私の発言に皆が固まった。
「俺はそう思う」
短く答えたのは音弥さんだった。けど、カイさんが首を振った。
「それだけじゃない。芹沢は、トリコさんを愛して……」
「カイ、そこから先は不粋よ」
つまり、芹沢はトリコさんのことが好きで、皆に気持ちがバレて居づらくなったのか。それでもカイさんに必要以上に絡んでいたのは、カイさんに対する嫉妬だったんだ。
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