カイさんは、車で山道を奥へ奥へと進んだ。山は背の高い木々で覆われ、外灯もあまりない。車のライトの明かりだけが暗い山道を照らしている。川を渡る橋の手前の少し広くなったスペースに車を停めた。
夜だからか、この山道を通る車は全くいない。川のごうごうと流れる音が聞こえる。
「山の中では、駐車場か川の上しか月の光が多く届く場所がない。少し危険だが、ここで夢魔を待つ」
ここに架かる橋は車がすれ違うにはギリギリの幅で、対岸まで15メートル程だ。
カイさんは、腕時計型の通信機のスイッチをオンにした。
「さっき言ったことは、覚えてるか?」
車のライトを消す。薄い月の光は届くけれど、真っ暗で私達は顔もよく見えない。でも、しっかりと目が合っている気がする。
「覚えています」
「少しでも存在を消すために、クルマのエンジンも切らせてもらう。手を出して」
言われるがままに、両手を揃えて前に出した。
「予備の通信機だ。声が聞こえるようにずっとオンにしておくように。柚月や音弥から連絡が入っても、答えなくていいから、声はださないように」
「わかりました」
「よし」
カイさんが車外に出た。
橋の向こう側には、古るぼけた外灯がオレンジ色にぼんやりと光っているが、下を照らしているだけで、あまり明るくはない。
私はカイさんを目で追う。
カイさんは、スティックをくるりと回して身長ほどの長さにすると、それを持って橋の欄干の上に飛び乗った。そして、スティックを空に向かって水平に回し始めた。
スティックはゆっくりと光を帯びて、キラキラと光る。夢魔を浄化する月の光を集めているのだろうか。
ぼーっと淡い光でカイさんの周りが照らされる。外の様子が見やすくなった。
私はストールを頭から被って、外を見守る。
突然の閃光。
目が眩む。
ごしごしと目を擦ると、そこにはカイさんの二倍くらいの大きさの人型の夢魔がいた。この前と同様の虹色の光を帯びている。
私にも夢魔の形が見えるようになってきたのか、この夢魔が特別なのかはわからないけど、確かに夢魔は人と同じ手足の動きをしている。
カイさんがスティックの先端を夢魔に向けた。
「夢主の元へ帰れ」
次の瞬間、夢魔がカイさんに襲いかかった。
カイさん!!
叫びそうになって、自分の手で口を塞いだ。
カイさんは欄干を蹴って飛び上がり、空中で一回転したあと、スティックを縦に夢魔に突き刺した。
夢魔はギリギリのタイミングでスティックを交わす。
突風が吹いて、車体が揺れた。瞬間、風の音の中にリズムを刻む低音が聞こえた。
なんだろう。
「お前の目的は、果たせない」
カイさんは、また飛び上がった。今度はスティックの上に乗り、夢魔の周りを飛び回っている。
夢魔は体の形を変え、カイさんを捕まえようとしているように見えた。
私は、研究所の人達が夢魔と戦う姿をしっかり見たことがないので、カイさんが苦戦しているのか、楽勝なのかすら検討がつかない。
けど、カイさんが信じろって言ったから、信じて待つ。
私にできることなんてないのだから。
でも、柚月さんが戦っていたときは、音弥さんから援護で歌を歌って欲しいって言われたことを思い出した。私の歌で、あの夢魔は止まったって。
だけど、柚月さんは私が歌ったことは危険なことだったとも言っていた。
カイさんは、危険が伴うことを避けるために、私には声を出すなと言ったのだろうか。
夢魔が再度大きな風を起こした。空を飛ぶカイさんが煽られてバランスを崩す。自分が乗っていたスティックにぶら下がった。
けれど、そのままスティックから手を離し、宙返りして橋の上に着地した。
黒い雲が月を隠していく。今日は半月。ここは山の中。少しずつ、カイさんの周りの淡い光が薄くなっていく。
「風を呼び寄せたか。なぜそこまで執着する?」
カイさんが夢魔に話しかけているようだ。
夢魔は答えない。実体がないのだから、声が出せないのだろうか。
夢魔は答えない代わりに、風の渦を起こした。
木々の葉が集まり、ぐるぐると回りだす。
いくつもの風の渦は細い柱のようになりながら、カイさんに向かっていった。
カイさんは、風の渦を避けながら、さっき手放したスティックを回収した。
次の瞬間。カイさんが風の渦に弾き飛ばされ、橋の外に放り出された。
危ない!!
夢魔がすかさず、カイさんを追う。
鼓動が早くなる。
カイさんが、カイさんが危ない。
柚月さんと音弥さんからの通信もない。
声を出すなって言われたけど、もしも私の声でカイさんを助けることが出来るなら、後で叱られたとしても、歌ったほうがいい。
でも、なんの歌を歌えば──記憶を辿る。いつも、なんの歌でもいいって言われていた。きっと気持ちをこめて歌えばいい。
私は大きく息を吸い込んだ。
そして、最初の音を発した瞬間。
「歌うな!!」
聞いたことのない怒鳴り声が響いた。
その直後、人型の夢魔が車を目がけて飛んできた。
私は反射でストールを被ったまま、助手席で身を伏せた。
心臓の音が激しく聞こえる。
激しい風の音と、川の流れる音までも増大して聞こえる。
そこから先は何が起こったかわからなかった。
顔を伏せていてもわかるほどの強烈な光が、周りを包み、激しかった風がざわざわと引いていった。
恐る恐る顔を上げると、雲はなく、月が顔を出している。
橋の欄干の上に立ち、月を仰ぐカイさんの姿が見えた。
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