月夜の歌は世界を救う

あめくもり
あめくもり

54.話がある

公開日時: 2022年8月19日(金) 20:49
文字数:2,512

 研究所のリビングに戻ると、もうすぐ日付が変わろうとしていた。


 トリコさんが作りおきしてくれていたサンドイッチやスープを食べて、解散となった。

 柚月さんは、音弥さんの様子を見るために病院に寄ったあと、寿太郎さんと住む家に帰ると言って研究所を出ていったので、カイさんとトリコさんと私だけが研究所に残った。


「カイも那津も、昼間ずっと活動してたから眠いでしょ?もう大きい夢魔が出る気配もないし、研究所には私がいるから寝てもいいわよ」


 食事の片付けをしていると、突然、トリコさんから提案された。


「俺は大丈夫。それよりトリコさんこそ、少しは休んだら?」


 カイさんが、棚に食器をしまいながら返事をした。私はキッチンテーブルを拭きながら、二人の会話を見守った。

 

「那津は少しここに残って。話があるから」


 話がある──そう言われて、いい話だった記憶はない。さっき音弥さんに、この仕事は私には難しいと言われたばっかりだし、心の奥が不安定に揺れるのを感じた。

 顔をあげて、無意識にトリコさんを見てしまった。


「大丈夫よ。いくらカイだって、那津のことを取って喰ったりしないから。じゃ、私はシャワーでも浴びて来ようかしらね」


 トリコさんはささっと手を洗うと、私に軽く手で合図して部屋から出ていった。

 カイさんはトリコさんの言い方に苦笑している。


 カイさんと、ふたりきりになってしまった。


「なんか飲む?」


 カイさんが冷蔵庫を開いて、缶ジュースを取り出した。その手には炭酸ジュースがあった。カイさんが炭酸ジュースを飲むことが意外だった。


「あとは、麦茶とか水とか缶コーヒーもあるけど」


 私は不安のまま、水のペットボトルを受け取った。

 カイさんは缶ジュースの蓋を開け、それを持って、リビングのソファーに座った。

 私も続いてソファーに座った。でも、失敗だった。テーブルを挟んでカイさんの真向かいに座ってしまったので、一気に緊張感が増す。かといって、離れたところに座るのも変だし、カイさんの隣りに座るわけにもいかないので、やはりここしかなかったのかもしれないけど。

 ふと見ると、カイさんはノートパソコンを開いてカチカチとキーボードを操作し始めた。

 カイさんは私がどこに座るかなんて気にもとめていないだろう。そんなことよりも私にとってはカイさんの『話したいこと』の方が大問題だ。

 心を落ち着かせるために、水を飲もうとペットボトルの蓋をひねった。──開かない。カイさんの視線が私の手元にきている。

 わざとじゃない。普通なら簡単に開くはずのペットボトルの蓋が、固くて動かない。これでは、か弱いアピールをしているみたいで、恥ずかしくなる。


「貸して」


 見かねたカイさんが私の手からペットボトルを取った。

 自分の手元に持っていき、手をひねると、パキっと乾いた音がして、蓋は簡単に動いた。カイさんは蓋を緩めたペットボトルを私の前にそっと置いた。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 基本的にカイさんは優しい。でも、結論が決まっていることを遠回しな言い方はしない人だと思う。それなのに今日は、どうでもいい雑談を始めた。

 そして一通り話し終えると、居心地の悪い沈黙が流れた。

 水をひと口飲んで、心を落ち着かせる。もう本題に入ってしまう空気だ。


「実は今日、通信機でずっとみんなの会話を聞いてた」


 カイさんの言葉に緊張が走る。テーブルの上のペットボトルを見つめた。


「まず、全ての出来事において、那津に責任はない。新月に夢魔が動いてこないと判断した上に、芹沢の危険性を甘く見ていたのは俺の責任だ。悪かったな」


「いえ」


 急に謝られても、うまく返事ができない。それに、話がこれだけで終わるはずがない。

 音弥さんの言葉が頭の中で繰り返す。


「ただし」と切り出して、カイさんが話を続けたので、私は覚悟を決めて背筋を正した。

 もしクビを言い渡されても、私はここに残りたい。そのためには、冷静でいなくてはならない。


「音弥の怪我を見てわかったように、危険な仕事であることには変わりない。もしも那津がここで仕事ができないと判断したとしても、那津さえよければ、本社で仕事をできるようにする。巻き込んだ以上は就職は最後まで面倒みるから」


 淡々と話すカイさんの話を、私は黙って聞いていた。

 ネガティブに捉えれば、研究所での仕事をできなくなる可能性もあるということだ。カイさんも音弥さんと同じ考えなのだと思った。


 カイさんは更に話を続けた。


「俺も音弥も迷っている」


 意外な言葉に私は顔を上げた。何を迷っているんだろう。


 私の目を見たあと、カイさんは視線を外した。


「夢魔と戦っていたときに、音弥は那津に歌うことを許可した。俺もその決断を指示した。あの時は、那津の声だけしか夢魔に届かないと思ったから、危険を承知で許可した」


 ということは、あのときは間違いなく私の歌は必要とされていた。それなのに今は、研究所からの異動の可能性を示唆されている。


「許可されたので歌いましたけど、音弥さんにはこの仕事を続けるのは難しいと言われました。それに今、カイさんからも」


 歌わせてみたら、違ったのだろうか。少しだけ声が震えた。


「音弥がそう言ったのは、那津は感情移入して苦しむ可能性があるからだろうな。俺もそう思う。那津の声は夢魔に届くが、夢魔の心も那津に届きやすいということだ」


 最初からずっと忠告されていたことを思い出す。夢魔に、心を寄せすぎないようにと。


 ガチャリとリビングの扉が開いて、トリコさんが戻ってきた。上下ビビッドのピンクスウェットなのに、スラリと伸びた手足のせいか、カッコよく見える。


「カイってさ、可愛くないのよね。話し方が。那津が緊張で固まってるわよ」

 

「悪い。リラックスして聞いてもらっても構わない」


「あんたさぁ……。まぁ、いいわ。話の続きをどうぞ」


「もう終わったが」


「全く、音弥といい、カイといい、ここの男はどれだけ役立たずなの。途中からしか話は聞いてないけど、絶対に話してないことあるでしょ」


 トリコさんが座っているカイさんの隣に立った。


「いい?あんたたちは、言葉足らずなの。あの言い方では那津のことを責めてるだけだからね。理由を言いなさいよ、理由を。芹沢のことを話しなさい」







 

 













 


 


 



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