柚月さんが外に出たので、私はカーテンの隙間から外を覗くことにした。
ここからでは、静まりかえった畑と田舎道しか視界に入らない。外灯の明かりはぼんやりと周囲を照らしている。
突然、閃光が目に入ってきた。
「きたわね、夢魔。まだ音弥も来てないのに」
通信機から柚月さんの声が聞こえる。
柚月さんの姿は見えない。マイク型の通信機を握る手にじっとりと汗を書いていた。
ピー。通信機から音がする。
「柚月、攻撃はするな。とにかく月の光を集めることが先だ」
音弥さんの声だ。
そうか。この通信機は予備だと言ってたから、柚月さんのものと繋がってるんだ。だから、私にも聞こえるんだ。
「音弥、この子かなり大きいわ。一人で集められる光では浄化できない。それに、今は逃げ回るので精一杯よ」
早口の柚月さんの声。
カーテン越しに角度を変えて覗きこむと、スティックの上に立ち、空を飛び回る柚月さんと、虹色の光が行ったり来たりしている。
「無理はするな。柚月、なっちゃんは?」
黙って聞いていたら、私の名前が飛び出した。
「私、家にいます」
「柚月の通信機か。なっちゃん、俺が着くまであと少し、柚月の援護を頼む」
「……な、なにを……」
家の中にいる私がどうやって援護をするんだろう。それに、私は研究所の人間じゃないので、特殊な力はない。
「その通信機に向かって歌ってくれ。小さな声でも柚月が受信して拡声する。なんでもいい、なっちゃんの声なら、夢魔の動きを大人しくすることはできるはずだ」
「わ、わかりました」
ぐだぐだ考えている時間はないみたいだ。
「但し、危険だから家の中から出ないように」
緊迫感が漂う。
早く歌わなければ。慌てて声に出したのは、やっぱり酷評されたあの曲だった。
脇から汗がつたうのを感じた。私の歌が認めてもらえるチャンス────違う。柚月さんの力になるために、全力で歌わなきゃ。
大きく息を吸い込んだ。
まだ音弥さんが到着していないようだ。
外の様子は見にくいし、チラチラと見える光は消えていない。
私はコンテストの時の曲をスローテンポにアレンジして歌い続けた。
急に私が覗いている窓の前に、大きな光が移動してきた。そして一瞬、目が合った。正確には目が合った気がした。
これが、夢魔の目?
鋭くこちらを見ていた。
私は口に手を当てたまま動けない。
歌を忘れてしまったかのように。
次の瞬間、淡い光が虹色の夢魔を包み込んだ。
「柚月、悪い。遅くなった」
音弥さんの声だ。
「音弥、ギリギリセーフよ」
柚月さんの声が聞こえたあと、私の部屋の窓を誰かが叩く。カイさんだ。
ほっとして、窓を開けた。
「これを被って、窓際から離れて」
渡されたのは大判のストールだ。アロマオイルのような香りがする。
言われた通り、頭からかぶる。
次の瞬間、通信機越しに、柚月さんの歌声が響いた。力強くて、どこまでも遠くに届きそうな声だ。
昔聞いた『あの人』の声とは全く違うけれど、全身に鳥肌が立つような圧倒的な歌唱力だ。
“響く声があなたに届いたなら 星空へ還るために羽を休めて”
この歌で夢魔を浄化するのだろうか。気になるけれど、あの目が忘れられないので、外を見ることができない。
部屋の中心でうずくまる。気づくとぎゅっとストールの端を握っていた。
通信機から声がする。柚月さんと音弥さんだ。
「行ったわ。今日はこれが限界ね」
「悪い。月の光を集めながらきたけど、あんまり拾えなくてさ〜」
たぶんだけど、私の存在は忘れられてるような気がする。
「あ、あの……」
どうしたらいいかわからないので、話しかけてみた。
「あぁ、なっちゃん。今からそっちに行くから、部屋の窓開けといて〜」
いつもの、軽い感じの音弥さんの声。
私はもらったストールをかぶったまま、窓の鍵を開け、カーテンを開いた。
柚月さんと音弥さんは当然のように窓の外に姿を見せた。
「あれ、カイさんは?」
「夢魔を追っていったわ」
私が二人を招き入れようとしたら、音弥さんはすっと後ろに引いた。
「じゃぁ、俺も行くわ。ちょっと気になることもあるし」
「音弥!ちょっと、待ちなさい」
音弥さんは柚月さんが止めるのも聞かず、あっという間に夜空に消えていった。
忙しい人達だ。
とりあえず柚月さんだけが窓から部屋の中に入り、床のカーペットの上で足を伸ばしている。
私は小さな丸いテーブルを挟んで、反対側に座った。
「あれ、でも夢魔は浄化できたんですよね?カイさんはなぜ夢魔を追いかけたんですか?」
「さっきの夢魔は大きすぎて、浄化するには力が足りなかったのよ。だから、夢魔を大人しくさせただけ。たぶん、夢主の元に自主的には戻ってくれないから、毎日少しずつ弱体化させてから浄化するしかないわね」
正直、ほとんど見えなかったので、よくわからなかった。ただ、聞いておきたいことはある。
「あの、私の歌は……」
私の歌は役に立ったのだろうか。聞こうとして、飲み込んだ。私の声は柚月さんのような圧倒的な迫力の歌声ではないので、夢魔に効いたとは思えなかった。
柚月さんは真っ直ぐ私の顔を見た。
「那津の声で、夢魔の動きが止まったの。理由はわからないけど、助かったわ。ありがとう」
「よかった。少しでも役に立てて」
頭から被っていたストールを両手で首にかけた。
「音弥があなたに歌うように言ったのよね?ここまで近い距離だと、夢魔があなたを襲う危険性もあったのに、あいつは、もう」
もしかして、音弥さんは柚月さんの説教が嫌で逃げたのかも。
ふと、思い出した。確かに夢魔は私の方に来たのだ。
「あの、柚月さん……夢魔って、目があるんですか?」
マヌケな質問のようだが、私は夢魔を光としてしか認識できていないので、仕方がない。
柚月さんは私の質問に目を見開いた。
「夢魔の目を見たの?」
「見たというよりは、目があった感じがしたんです」
今でもあれは目だった気がする。
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