トリコさんが車の運転席に乗り、私は助手席に乗った。トリコさんは車のエンジンをかけたが、シートベルトをせず、車を発進させようとしなかった。心配そうに私を見ている。トリコさんは強くて美しくて優しい。
気づくと、はらはらと涙がこぼれていた。
「私がここに来たのはね、芹沢が那津に手紙を書いたって連絡をよこしたからなの。内容も聞いたわ」
私はハンカチで目を抑えながら、トリコさんの話に頷く。トリコさんは優しい声で話を続ける。
「音弥に渡したっていうから、余分なことをしなきゃいいけどと思って…こっちに向かったの。那津の家付近まで来たところで、通信機で音弥とカイに連絡したら、カイから状況説明をされてここに来るように言われたのよ。那津、ごめんね。私は那津の気持ちも芹沢や音弥、カイの気持ちもなんとなくわかっていたのに力になれなくて」
トリコさんの言葉がひっかかった。
「トリコさんがわかってた私達の気持ちってなんですか?」
「芹沢は本気で那津の力になりたくて、もしも那津が本気でデビューしたくなったら研究所ではなく、芹沢のところに来てほしいと思っていたわ。少なからず、那津に好意があったと思う」
「けど、芹沢が本気で好きなのはトリコさんですよね?」
思ったことがそのまま口から出てしまった。余裕がないと思考能力は低下するらしい。瞬時に、空気が悪くなるのを覚悟した。でも、トリコさんは大笑いした。
「たぶん芹沢は私とカイがずっと一緒にいたことを羨ましいと思っていただけよ。それに、芹沢は私が同性と恋愛しないことは知ってるわ」
ずっと性別がないと言っていたトリコさんが、自分の性別を口にしたので、驚いて顔をあげた。
骨格とかで男性だとは思っていたど、私にとっては頼れるお姉さんのようでもあった。
「性別なんてどっちでもいいのよ、本当はね。でも、私は優しくなりたくてこんな話し方をして、女性っぽいメイクをしてるの。それだけなのよ。だから中身は男のまんま」
私の表情から察したのか、トリコさんが答えてくれた。
「でも、やっぱり芹沢はトリコさんが男とか女とか関係なく好きだったと思います。トリコさん素敵だから……」
「あら、ありがとう。芹沢は不器用な人間だから、カイに対する那津の真っ直ぐな気持ちにも嫉妬していたのかもしれないわね」
「ちょっと待ってください。私のカイさんへの気持ちって──」
「那津は隠してたつもりかもしれないけど、最初から好きだったでしょう。カイを好きになる子はたくさんいたけど、必死に隠そうとして、逆にカイが夢中になってた子は初めてよ」
私の気持ちは研究所内でカイさんを含めた全ての人にバレてたってことのようだ。恥ずかしい。ただ、カイさんが私に夢中になるなんてことはないと思う。現に振られてるし。
つまり私の気持ちを知った上で、カイさんはどうやって断ろうかと悩んでいて、音弥さんがアシストしたということか。
「音弥はカイと那津に今後のことを話し合う機会を作ってあげようとしたんだと思う」
トリコさんの言うとおりだとしたら、私はカイさんに何を言えばよかったのだろう。
「カイはね、那津を大切にしてるわ。それだけは疑わないであげて。今だって、私と那津が二人きりでいることすら心配してるかも」
「そんなことは……」
「あるわよ。たぶん、どこかで車を上から見てるんじゃない?」
気づけば涙が止まっていた。
「カイは、いつも言葉足らずなの。最初に言わなきゃいけない言葉を間違えたんだと思うわ」
カイさんの言葉がどんなふうに足されたとしても、結論は変わらなかったと思う。
「いいんです。カイさんの言う通りだと思います」
本当は心の中のもやもやを消化しきれずにいた。でも、これ以上傷つきたくないので、自分の心をそっとしまった。
「よくないわ。よくないわよ。大人たちが、高校生の心を自分たちのエゴで傷つけるなんて、全くよくない。本音をさらないで、那津を苦しめて…私が許さないわ」
そう言うと、トリコさんはシートベルトをした。
「那津、私は那津の味方だからね。あいつらがいかに自分勝手なことを言ったか、理解させてやるわ。来週あたりから夏休みでしょ?研究所に遊びにきなさい。迎えにいくから」
「遊びにって…いいんですか。カイさんの許可もとってないのに…」
「いいわよ。私が招待するわ。柚月にも協力してもらうから大丈夫よ」
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