ピーピーピーピー。
通信機が鳴り響いた。
カイさんの顔つきが変わる。
「カイ、聞いてる?夢魔が、トリコさんをかわして、一直線に研究所に…向かってるわ。私とトリコさんの、足では、追いつかないから、音弥が追ってる」
柚月さんが息を切らしている。どうやら走りながら発信しているらしい。
「わかった」
カイさんが小さく返事をした。
「でも、どうなってんの?やっぱりカイを狙ってるとしか思えない」
「だとしたら、受けて立つしかないな」
音弥さんが立ち上がった。
「カイ〜!!殺しちゃだめよ〜」
トリコさんの声も聞こえた。
「安心しろ。トリコさんじゃないから、そんなことはしない」
通話が切れた。
「那津は、また俺の予備の通信機を持ってて」
カイさんから小型の通信機を渡された。これはさっき借りたカイさんの予備の通信機だ。
私が通信機を受け取ると、カイさんが説明を始めた。
「改めて説明するが、この通信機は常時みんなの声が聞こえる。普通に話しかけても大丈夫だが、発信音を鳴らせば、皆が注目して聞いてくれる。誰かが返事をしてくれる。皆の声を遮断したいときは、オフにすればいい。オフにしただけなら、発信音が鳴れば勝手にオンに切り替わる。ただし、通信自体を切ると、連絡が取れなくなるから通信は切らないように……」
通信を切って、柚月さんに叱られていた人から通信を切るなと言われてしまった。
思わず、カイさんを見る。
「説得力がなかったか……」
「そうですね」
顔を見合わせて、笑った。しかし、呑気に話している場合ではない。
風が更に強く吹いてきた。建物に風が当たり、びゅおぉぉとすごい音がする。
「もう一度約束してほしい。外に出ないこと。俺達を信じること。でも声は出してもいい」
今回はなぜ声を出しても大丈夫なのだろう。さっきはあれ程強く注意を受けたのに。
少し考えていると、カイさんがなにかを察して、言葉を付け加えた。
「さっきは俺ひとりだったから、那津の居場所がバレるとリスクが高かった。でも今回は頑丈な建物の中で、那津を守れる仲間もたくさんいる。状況に応じて、臨機応変に対応してもいい。ただし歌うことは、緊急事態で誰かが許可した時のみ。わかったか?」
そういうことだったのか。カイさんは私を守ろうとしてくれていた。今更、自分の浅はかさに気づく。
とりあえず建物の中で待つことしかできないのは、さっきと変わらない。
「わかりました」
気を引き締めた。
「よし」
カイさんも窓から出ていく。
「誰かが来るまでは窓を閉めておくように」
私は、カイさんを見送って窓を閉めた。
広い窓から見える景色は、遮るものがなにもない。離れた場所に数本の大きな木が点在しているが、目の前はなだらかな丘がひろがっているだけで、暗いことを除けば視界は良好だ。月の光は届いているし、部屋の明かりもついている。今までで一番、夢魔を見やすい状況だ。
カイさんが上に飛んだ。ログハウスの屋根か、近くの木の上に上がったようだ。
次の瞬間、建物を取り囲むように風がぐるぐると吹いた。それと同時に一定のリズムの低音が聞こえる。カイさんが話していたベースの音だ。
そして夢魔が現れた。強風を纏って、ログハウスの窓ガラスに沿って下から上に上がる。
窓の前にいた私は、夢魔と目があった。気のせいではない。始めて夢魔を見た時と同じ感覚だった。でも、前と違うことがひとつある。夢魔の顔まではっきり見えてしまった。
「駿太!!」
反射的に声が出た。
嘘だ。……でも、見間違えるはずがない。
通信機を持つ手が震えている。
夢主の負の感情が強いと夢魔が夢主の姿に似てくるって、柚月さんが言ってた。
なんで、駿太が夢魔を……。
「なっちゃん、どうした?」
とっさのことで発信音を鳴らさなかったので、音弥さんだけが私の声に反応した。
「友達、の顔だったんです……。夢魔が」
自分でも、混乱していることだけはわかる。
「やっぱりか。カイはどうしてる?」
言われてから、ハッとした。カイさんはこの近くにいるはず。
ひとりで夢魔と戦っている。夢魔と──いや、駿太の負の感情と。
「カイさんは、外にいます。……駿太と戦っているかも」
「なっちゃん、混乱するな!顔は、駿太って奴でも夢魔は負の感情しかない別の生き物だ。それに、俺達が必ず浄化して、彼の中に戻す」
音弥さんは力強く言い切った。
私は頷いたけど、声が出ない。
駿太は口数は少ないけど、冷静に物事を捉えられて、しっかりしていた。コンテストの選抜メンバーに選ばれるくらいベースも上手だった。
私が歌の酷評を受けたときも、慰めてくれた。何よりもずっとバンドで一緒に音楽を作ってきた仲間だ。
「なっちゃん、俺は今からカイに合流する。研究所の周りがすごい風だから、通信が途絶えるかもしれない。発信音を鳴らして、皆に夢魔の正体を話して。夢魔を大人しくさせるヒントになるかもしれない」
柚月さんが、夢魔の浄化はあくまでも防災のためで、夢主のためではないと言っていた。夢主の感情に寄り添うのは、現実世界の周りにいる人だって。
私は駿太の周りにいた人間なのに、駿太の負の感情になんて気づかなかった。何を悩んで、どうしてこんな夢魔を生み出してしまったんだろう。
もしかして、私は駿太を知っているからこそ、力になれるのだろうか。
「音弥さん、駿太を救うことはできますか?私は、駿太の力になりたいです」
私の声にしばしの沈黙のあと、音弥さんが答えた。
「俺やカイの推測では……いや、なっちゃん、ひとつ言っておこう。人の心の中に勝手に踏み込むことはできない。もしも夢魔から、彼の秘めた心を知ることができても、それは機密事項と同じ。公私混同してはいけない。それは覚えておいて。つまり、君が彼を救いたいなら、彼本人と向き合うべきだよ。だけどそれは、彼や君が望む結果になるとは限らない」
わかるような、わからないような。これって、柚月さんと同じこと言ってるのかもしれない。
それに、私が望む結果って……なんだろう。またみんなで演奏したいってことくらいしか浮かばないけど。
「わかりました。では駿……夢魔をよろしくお願いします。私は、今から駿太の情報を発信します」
私は、まだ少し震える手で通信機を握った。手にじっとりと汗をかいている。
私にできることは、夢魔の浄化を手伝うことだけ。駿太が生み出した夢魔に災害を起こさせるわけにはいかない。その前に、カイさんや音弥さんを傷つけさせるわけにはいかない。
発信音を鳴らした。
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