「あなたの歌には魅力を感じないわ。残念だけど」
耳に残るひとりの審査員の声。前後の話は全く覚えていない。
高校三年生の春、バンドのメンバーと四人で参加したコンテストでの私の歌への評価は酷いものだった。
一次選考を通過した時点で、もしかしたらプロになれるかもなんて大喜びしたのが虚しい。
華やかな会場から家に帰ってきたら、日常と何も変わらない。
ご飯を食べて、お風呂に入って、寝る支度をしているうちに、今日の出来事が現実ではない気さえしてくる。
二階の部屋の窓を開けると、夜空に爪の先より細い月が静かに輝いているのが見えた。
私の家は住宅街のはずれにあったので、周囲には畑が広がっているが、家の横に広い道路が通っているので、時折、車が通り過ぎていく。
ぼーっと二年前のことを思い出す。
私達は高校一年生の時に同じクラスになったことがきっかけで仲良くなった。
ギター担当の春斗が桃香のピアノの演奏を気に入って、しつこくバンドに誘っていたのを覚えている。春斗とベース担当の駿太は中学の頃から仲がよかったらしい。
私は桃香と仲がよかったから、成り行きで歌うことになった。それでも、みんな私の歌を褒めてくれた。みんなと一緒にいることが心地よかった。
だけど、一旦バンドの活動は終わりになる。受験もあるし、先のことを考えなきゃいけない。
もっと歌いたかった。でも、私の歌には魅力がない、と断言されてしまった。
ボーカルが私でなければ、バンドがもっと評価してもらえたかもしれないと思うと悔しい。
私にあの人くらいの力があれば……。
突然、スマホが鳴った。
画面に表示されていたのは桃香の名前だ。
「那津、私ね、今、すっごくいい曲が頭に浮かんできてさぁ、ちょっと歌ってくれない?」
桃香の声は弾んでいる。
コンテストの前と変わらない。
「あの、桃香さん…私はちょっと凹んでたんだけど」
「あんなの、気にしない気にしない。曲なんて、好みがあるんだから」
「いや、あと、バンド活動は一旦休止じゃなかったっけ?」
「休止中でも、いい曲が浮かんだら残しておかなきゃ。それに、那津に歌ってもらうと雰囲気つかめるから。サビだけだから。ね、お願い」
桃香はスマホを置いて、キーボードの演奏を始めた。
スローバラードだ。
「歌詞は適当に考えて」
簡単に言うけれど、そんなにすぐに歌詞は浮かんでこない。
繰り返し曲を聴く。
“暗闇で虹を見つけられるなら 希望があるのに”
気づくと、独り言のように歌詞を呟いていた。
この曲は、たぶん桃香から私への励ましなんだと思う。
大切に歌わなければ。
深呼吸して、電話越しに囁くように歌ってみた。
家の周囲は道路と畑なので、近所迷惑になることもないんだけど、窓が空いていたので遠慮がちになる。
と、その時、我が家の一階の屋根の上に人影が見えた。
人影はこちらに近づいてきた。
驚くと、声が出ないのだと知る。歌っていた桃香の曲は喉の奥へと消えていった。
「どうしたの?那津?」
電話の向こうで桃香の声がする。
「ご、めん。あとで電話する」
なぜか慌てて電話を切った。
やましいことがあったわけでもないのに。
人影は、窓の下付近で立ち止まった。
部屋から漏れた明かりだけでは、顔ははっきりとは見えないが、背の高い女性のようだ。長いポニーテールが風に揺れた。
「さっきの歌、続けて」
さっきの…桃香の作った曲のことだろうか。
「とにかく、早く、理由は後で説明するから」
女性は小さな黒い丸いものを下から私に向かって投げた。
「このマイクに向かって歌って」
「さっきの曲、サビしかなくて……」
しかもさっき思いついたばかりの歌詞だ。
「じゃぁ、即興でもいいわ」
そんなこと言われても、頭が真っ白だ。
その時、月が光を増したように見えた。
「いけない。行かなきゃ。サビだけを繰り返してもいいから、とにかく歌って」
そう言い残すと、女性はひらりと舞うように地上に下りて、そのまますごいスピードで道路を走り抜けたかと思うと、空に舞い上がった。
嘘でしょ。空、飛んだの?人間じゃないの?
渡されたマイクを見てみる。
ビー玉くらいの大きさで、本当にマイクなのか怪しかったが、右手の手のひらに乗せて、小さな声で桃香の曲のサビを歌ってみた。
何も起こらない。
からかわれただけかも。
窓を閉めようとすると、今度は別の人影がさっきの女性と同じように屋根の上に降り立った。今度は男性のようだ。
「ここにポニーテールの女性がきてない?」
「さ、さっき……」
男性は月を見上げてから、私に視線を戻した。
「さっきの歌は?」
また歌の話だ。
桃香の作った曲になにか秘密でもあるのだろうか。
「私の友達が作った曲がなにか──」
言いかけると、すぐに男性が遮った。
「歌ってたのは、君?」
突然の質問にしどろもどろに肯定する。
男性は何かをぶつぶつと呟くと、納得したように「なるほど」と言った。
「とにかく、今は歌って」
「でも、さっきの曲は未完成なので」
それに、小さな声でひとりで歌うことになんの意味があるのか。
「じゃぁ、自分が1番好きな曲でいい。俺が戻るまで止めずに歌って」
それだけ言い残して、彼もまた屋根からふわりと降りるとどこかに消えていった。
魅力を感じないと言われた私の歌は、なぜか今、必要とされているらしい。
それなら、コンテストで歌った歌を歌おう。
歌は酷評されたけど、好きな曲だから。
あの人のように、誰かの心に歌声を届けたい。
私は大きく息を吸った。
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