カイさんに距離を置かれた日から数日間、私は研究所の誰とも連絡をとることはなかった。明日は一学期の終業式だ。トリコさんは、本当に研究所に招待してくれるのだろうか。
夜、部屋の窓を開けた。じっとりと湿気を帯びた風が流れてきた。外を見ると小さな灰色のもやが見えた。力の強くない夢魔が無数に夜の闇を飛んでいた。今まで気づきもしなかったけれど、毎日たくさんの夢魔が飛んでいたのだろう。多くの人が悩みを抱えていて、それが眠っている間に夢主を離れてうろうろしている。眠ったら私からも夢魔が生まれるのだろうか。それでも眠っている間に辛い気持を消化できるなら、夢魔がここにいるのは夢主を救うためなのかもしれない。私はまだ研究所の研究員ではないから、勝手に浄化の歌も鎮魂歌も歌えないけど、好きな歌を口ずさむくらいなら許されるでしょ。
カイさんへの未消化な気持ちを慰めるために、私は小さな声で歌った。こんなときにもカイさんの歌声を思い出す。夜の闇に浮かぶ月のように、手を伸ばしても届かない。それでも恋しい。
突然ぶわっと風が吹いて、上から声がした。2階の窓から少し身を乗り出して上を見ると、人影があった。空を飛ぶ人を見ても驚かなくなっている自分が怖い。
「那津〜、久しぶりね。ちょっと下に降りて来られるかしら?」
人影はトリコさんだった。目線が合うあたりまでスティックに乗ったまま下がってきた。ここは田舎なので人目につきにくいが、人に見られたら大騒ぎになる。
「あ、よかったら部屋に入ります?」
「すぐに帰るから」
「じゃぁ、下にいきます。この部屋の横の歩道で待っててください」
部屋の電気をつけっぱなしにして、外にでた。こうしておけば、明かりが外に漏れて少しだけ明るいのだ。
外に行くと、トリコさんが待っていた。
「こんな時間にごめんね。約束どおり、明日ここにお迎えに来てもいいかしら」
「両親には夏休みに研究所に行くからと伝えたので、大丈夫です」
「じゃぁ迎えに来るわね。15時くらいになると思うわ。それから、私は明日から2日間休みをもらってるの。つまり、プライベートな時間だから那津も仕事はしなくていいから、カイや音弥に気を遣うことはないわよ。ちなみに、柚月にも休みをとってもらったから。研究所には一泊二日で遊びに行くつもりで」
カイさんのいる研究所に向かうのは少しだけ不安がある。あれから一度も連絡がないし。私がカイさんに告白をしてしまったから距離を置かれている気がする。
「心配しなくても大丈夫よ」
トリコさんに私の不安は伝わってしまったみたいだ。けど、トリコさんと柚月さんが一緒なんて最強のお姉さんが味方についてくれたみたいで嬉しい。
「あの、明日は楽しみにしてます」
「そうそう、楽しみにしててね。お迎えは私ひとりで来るけど、柚月はちゃんと向こうで待ってるからね」
トリコさんとふたりきりで長時間を過ごしたことはないけど、カイさんと初めてふたりきりになったときみたいな緊張はしないと思う。お姉さん的存在なのは柚月さんと同じだけど、トリコさんは強くて頼りになるので、柚月さんとは違った安心感がある。
「はい、よろしくお願いします」
「よし、いい子ね。私も楽しみにしてるわ。じゃあね」
トリコさんは私の肩に軽く手を置くと、そのまままた空へゆっくりと浮かんでから、飛んでいった。
柚月さんとトリコさんと一緒なら女子会みたいだな。本当に楽しみになってきた。明日の午前中になんか美味しいものでも買いにいってこよう。
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