運転席にはカイさん。助手席に音弥さん。後部座席は、運転席側に私。その横に桃香。異色の組み合わせで、なんてことない日常の話をしながら車は会場に向かった。
カイさんはあまり喋らなかったけど、音弥さんの口数が多いので、車内が静まり返ることはなかった。それに桃香も緊張なんかしていないようで、楽しそうに会話していた。
会場に着くと、すぐ横の関係者駐車場に車が入っていく。
「こんな近くに停めれるんですか?」
桃香が驚いている。
確かによく考えたら、チケットの裏面には『会場駐車場はありません。公共交通機関をご利用ください』って書いてあった気がする。
カイさんが警備員さんに案内された場所で車を停めた。
桃香の質問には、音弥さんが答えた。
「芹沢からの招待で、俺達は関係者になってるから。あ、そうだ君たちもこれ首から下げてね〜」
音弥さんからネームホルダーをふたつ渡された。『招待客 星川那津』と書かれている。もうひとつはもちろん桃香の名前が書かれていた。
そしてこの時、カイさんと音弥さんの服装の理由を察した。
「あー、招待客だからカイさんも音弥さんも堅い格好してたんですか?先に言ってくださいよ。桃香はワンピースだからいいけど、私、こんなですよ」
Tシャツに短パン姿の自分が急に恥ずかしくなる。
「なっちゃんはいいの。似合ってるし、かわいいよ。その格好」
「音弥さんの言葉は信じません。誰にでも言ってるんだから」
例え音弥さんが本気で言ってくれていたとしても、言葉のハードルが低いのでいちいち本気にしていたら、こっちの精神がもたない。音弥さんのかわいいは大丈夫だよって言ってるのと同じくらいなんだから。
「なぁカイ、なっちゃんかわいいよね?」
音弥さん、なんてことを聞くんだよ…しかも、肯定するしかないような聞き方だし。否定されても辛いけど、と頭の中でごちゃごちゃと考えていると、音弥さんの質問にカイさんが前を向いたまま答えた。
「いいんじゃない。那津らしくて、俺は好きだけど」
カイさんとバックミラー越しに目が合ったので、驚いて気の利いた返事ができなかった。音弥さんが間を置かずに言った。
「桃香ちゃんのワンピ姿も似合ってるよね。それ、若い子に人気のブランドだよね」
「知ってるんですか?」
「もちろん。花柄モチーフが多くてかわいいよね」
「そうなんですよ。高校生にはちょっと高いですけどね」
「そっかぁ。でも、かわいいと思うよ」
「ありがとうございます」
桃香は笑顔で音弥さんの言葉を受け止めている。なんか私だけ動揺して、子供みたいだ。
車を降りて会場に向かうと、まだ開場していないので入場ゲートに並ぶ人たちが見えた。
私達は少し歩いて裏口の関係者ゲートから
中に入った。駿太にチケットもらったのに、なんか申し訳ない感じだ。
「俺は芹沢に挨拶してくる。那津もきて。」
カイさんに言われて、思わず桃香を見た。さすがに音弥さんとふたりは気まずいはず。
すると、音弥さんがすぐに口を挟んだ。
「桃香ちゃんは、俺と一緒に駿太くんたちの控えのテントに行こうか。会場の隅だからちょっと遠いけど、なっちゃんたちも後からすぐ来るから」
まるで最初から約束していたようなスムーズな話の流れだった。桃香は私よりも順応力が高く、車内の会話だけで音弥さんには慣れてしまったようで、迷いなく頷いているように見えた。
私とカイさんは、桃香と音弥さんを見送ってからステージの奥の本部に向かった。
「芹沢に挨拶に行くけど、もう夢魔はいないから気にしなくていい」
「はい」
カイさんがいるから例え夢魔がいても平気だと思った。それに、芹沢の中から夢魔がいなくなって、どういうふうに変わったのか見てみたい気がしていた。
芹沢はすぐに大きなステージ横から現れた。わまりには、機材の最終チェックをする人や、ステージを確認するスタッフが慌ただしくうごきまわっている。
「カイ。呼び出して悪かったな」
「いや、俺も興味あったし」
ふたりの挨拶の最中に、芹沢の視線を感じた。
「こ、こんにちは」
思わずどもってしまった。
「星川さんには迷惑かけて、ごめん。だいたいのことはカイから聞いたけど、半分くらい記憶がないんだ。君に嫌われても仕方ないとは思ってる。ただ、君の歌についての最初の評価は俺自身が出したのもので嘘じゃなかった。うまいけど、魅力がないと言ったのも本音だし、審査員の評価もその通りだと思った」
酷評された私の歌は、正当な評価だったというわけだ。もしも研究所の人たちに出会っていなければ、この言葉で私はまた悩んだかもしれない。だけど、私は自分に足りない部分を理解することができたから、今なら芹沢の言葉も受け入れられる。
ひと通り話した後、芹沢は最後に言葉を付け加えた。
「ただ、あの夜の君の歌声は素晴らしかったと思う」
「覚えてるんですか?」
芹沢が大きな災害を起こそうとしたことは、夢魔に操られてのことだと判断されていた。半分くらいの記憶がないと言ったのに、私の歌を覚えていたことが不思議だった。
「申し訳ないけど、あの夜のほとんどの記憶が朧げだよ。でも、君の歌だけははっきりと耳に残ってる。夢魔の負の気持ちを超えて心に落ちてきたんだ」
「那津の勝ちだな」
カイさんが私を見た。その顔が優しく見えたので、体温が上昇した。
「あの、私はもうステージで歌うことはないと思います。酷評の理由も、理解しています。だけど、歌うことはやめません。ありがとうございます」
「本当に研究所で歌うだけでいいの?客は、負の感情しかない夢魔だけだよ?」
「そうだとしても…私はもうステージの上には戻れません」
ステージで歌を歌っても、カイさんの声には敵わない。それに私はステージの上よりもカイさんの歌声のそばにいたい。
「決めるのはまだ早いとは思わないか?」
芹沢は私が研究所に就職することには反対なのだろうか。カイさんと私を離そうとしていたのは、夢魔のせいだと思ってたんだけど。
「芹沢…お前、まさか那津をそっちに引き抜こうとしてないか?」
カイさんが腕を組んだ。
「彼女の人生は彼女のものでしょ?俺は可能性を示しただけ。カイこそ、彼女の自由を奪う権利はないよ」
芹沢はカイさんに言い放った。芹沢も意外とはっきり言うんだ。
「俺は那津の自由を奪うつもりはない。ただ、勘違いするな。那津の自由はお前が思っているものの中に存在するわけじゃない」
「まぁ、いいさ。今日のステージを楽しんでいって」
芹沢はカイさんの言葉を軽く流して、ステージ奥に戻っていった。私は芹沢の背中を見つめた。駆け寄ってきたスタッフとなにかを話している。
ここは芹沢の居場所なのだろうか。私が想像していた芹沢は、もっと孤独で閉鎖的な人間だった。でも、こっちの芹沢が本来の姿なのかもしれない。
大丈夫。言われなくても、私は私の道を見つけている。今はもう、進路調査票だって迷わずに書けるから。
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