繋がれた手は、そっと優しく寄り添うだけで、強く握られることはなかった。
至近距離で、カイさんの歌声が響く。ただ、私が聴いた初恋の声とは違っていた。感情が見えないただただキレイな音を並べただけの声だ。怖いくらいに透き通っている。
私はそこに声を重ねなければいけない。戸惑っていると、カイさんの歌が止んだ。
「これなら、歌えるか?」
私がカイさんの声を聴くと歌えなくなるから、歌い方を変えてくれたの?でも、これではカイさんの声の力が半減してしまうのではないだろうか。
私は、カイさんの手を強く握った。
「いつものカイさんの歌声がいいです。私、頑張ります」
カイさんの歌声を聴いても泣いていられない。感動しているだけではなにもならない。私もカイさんに負けないくらいの歌を届けなくては。
「それなら、よかった」
カイさんは短く答えて、また歌い出した。今度は、胸に響く切ない歌声だった。私の心はカイさんの歌声でいっぱいになる。
私も負けないように夜空に向けて声を放った。ふたつの声は重なりあって、暗闇を貫く弓矢のように芹沢の元へ飛んでいったような気がした。
頬を涙がつたった。歌いながら、溢れてくる涙が止まらない。上を向いたまま、ずっと歌い続けた。
新月の夜に、パッと明かりが灯った。音弥さんが、月の光を溜めたステッキをくるくると回しているようだ。空に弧が描かれている。やがて、まるで朧月夜のような優しい光が、黒い海に届き、波が少しだけきらりと光を帯びた。
次の瞬間、トリコさんが芹沢とまだ残っていた黒い夢魔の中に突っ込んだ。
カイさんが私の手を離し、スティックを伸ばすとすぐに芹沢のもとに飛んでいった。一瞬の出来事だった。私は涙を拭って、歌を続けた。
人影が落下するのをカイさんがキャッチして、音弥さんが月の光の全てをそこに向けて放った。
何が起こったのかよくわからなかったけれど、月の光は役目を終えて消えてしまった。
しばらくして、音弥さんとトリコさんが一緒のスティックに乗って砂浜に戻ってきた。
その後、芹沢をスティックにひっかけてカイさんが戻ってくるのが見えた。芹沢は、鉄棒で前回りでもするかのような姿勢だったが、腕がだらんと前に垂れていたので、意識がないように見えた。
カイさんが低空飛行で砂浜の上まで来ると、音弥さんとトリコさんが芹沢をスティックから下ろして砂浜に寝かせた。
カイさんもスティックから降りてきた。
「トリコさん、なにしたの?」
カイさんが率直に聞いた。
「体当たりよ。芹沢は人間なんだから刺すわけにはいかないってさっきも話してたから、人間でも許される範囲でやってみたのよ」
トリコさんはなんの躊躇もなく、答えた。
「そういうのは先に言ってくれないと…」
さすがにカイさんも困惑しているようだ。
「芹沢の動きが止まった瞬間を逃さなかっただけよ。一瞬だったから確認とってる暇はなかったのよ」
「海に落ちたらどうするんだよ」
カイさんがスティックを戻して、ベルトに挿した。
「なんとかできると思ったし、カイを信頼してたわ。ここしかチャンスがなかったことは確かよ。芹沢の命を危険に晒してもね」
そう言ったトリコさんの髪が揺れた。風だ。そういえば、いつの間にか強風がやんでいる。
音弥さんがカイさんとトリコさんの間に入った。
「でも、海に落ちなくても、危険な状態じゃないの?」
確かに。芹沢は動かない。
トリコさんがしゃがんで芹沢の首に触れた。
「脈はあるわ。大丈夫。呼吸もしてる。まるで深い眠りの中にいるみたいね」
トリコさんの声を聞いたカイさんが、通信機で柚月さんに連絡とり、寿太郎さんに診察を依頼した。
寿太郎さんは研究所の人間ではないけれど、柚月さんの夫であり、夢魔の存在を知っている医師だから、芹沢のことを診てもらうなら彼しかいない。
「芹沢の中の夢魔は、どうなったんですか」
気になっていたことだった。今、芹沢が目覚めたらどうなるのだろう。
「感知計が作動していないから、いなくなったのかもしれない。とりあえず、一刻も早く寿太郎さんの病院へ芹沢を運ぶ」
カイさんが腕にはめた通信機についている感知計を見ながら答えた。
「まだ夢魔が追いかけてくる可能性もあるから、私が護衛するわ」
トリコさんが言うと、音弥さんが私を見た。
「なっちゃんは怪我とかしてないよね?」
うなずいた。
「じゃ、俺と一緒に研究所に戻ろっか。一緒のボードに乗ればいいから心配いらないよ」
音弥さんが笑った。その瞬間に緊張が解けて、全てが浄化されたような気分になった。初めて会ったときは、チャラい人だなって思ったけど、今は違う。音弥さんの笑顔の中にある優しさや強さがわかる。きっと音弥さんの亡くなった大切な人は、最初から知っていたんだろうな。
カイさんとトリコさんが出発した後、研究所の凛と柚月さんに台風消滅の確認をとった。
音弥さんと私も、静かになった無人島を後にした。
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