三日後、私は研究所にいた。いつでも外の様子がすぐにわかるようカーテンの開かれた窓からは、紫色の空がオレンジ色の空を飲み込もうとしているのが見える。
私はまだリビングで音弥さんと、歌の練習をしていた。
凛とフィルさんは相変わらず二階の作業部屋に籠もっている。結局、柚月さんとトリコさんは二人で本社へ行き、カイさんは毎日黒い夢魔の動向を探るために、日本全国を飛び回っていた。
「台風は停滞しているから、焦る必要はないよ。なっちゃんの声もよくなってきたし。その歌声ならカイの声と重なれば──」
まだソファーに座れない音弥さんはダイニングの椅子に座りながら言った。
「ちょっと待ってください。私、カイさんと歌うんですか?」
「そうだよ。あれ?言ってなかったっけ?」
ひとりで歌うと思っていたので、力が抜ける。それなら心強い。
「今、練習してるのは黒い夢魔退治の歌ですよね?普通の夢魔は退治しないから、この歌は歌わないんですよね?」
浄化のときは、確か特定の曲ではなかった。
「同じ歌でもいいし、違う歌でもいいんだよ。退治の時はスティックでとどめを刺すし、浄化のときは月の光で元の場所へ導くって違いはあるけど、歌声で夢魔の動きを封じることは変わらないから」
「でも、浄化のときはどんな歌でもいいって言ってましたよね?」
「まぁ、退治だろうと浄化だろうと、ひとりで歌う場合はそうだけど、カイとハモるならちゃんと練習しなきゃいけないからね。今練習している歌も普通の夢魔と黒い夢魔の両方に効果はあるよ」
ハモる?カイさんと?そんな話は聞いてない。
一瞬、思考が宇宙に飛んでいった。
私がいまいち理解していないことを察して、音弥さんが話を続けた。
「あれ?柚月から聞いてない?なっちゃんの声の素質はさ、夢魔に届きやすく響くことに加えて、カイの声や俺の声と相性がいいんだ」
初耳ですけど。
「強い夢魔にはパワーが必要だから、一人より二人の方がいいってわけ」
「私に素質があるって言ってたのは……」
カイさんの声に合わせる素質だったのか。だから、皆で私を研究所に誘ってくれたのか。
妙に納得できた。
音弥さんが笑った。
「誰でもいいってわけじゃないから、なっちゃんに会えたのは奇跡みたいなもんだよ」
そう言われたら、悪い気はしないような。
ふと、芹沢のことが頭をよぎった。あいつは私の声を聴いたことがあったし、カイさんの声も聴いたことがあるはずだ。芹沢は、私の声がカイさんと合うことを知っていたから、遠ざけるために私に執着していた可能性が高い。
でも、なぜそうまでして芹沢はカイさんの邪魔をするんだろう。夢魔の居場所を作りたいなんて、口実な気がするし。
トリコさんは、芹沢は夢魔に心を奪われたって言ってたけど、心を奪われる前も他人とは深く関われない人間だったとも言っていた。単純に、カイさんへの嫉妬が今の状況を生んでしまったのかもしれない。
「音弥さん、この台風を消滅することが芹沢を倒すことになるんでしょうか」
私の問いかけに音弥さんは、窓の外を見た。
「気象研究所の目的は、夢魔が起こす災害から国民を守ることだから」
そう言って私を見た音弥さんの金の髪がさらりと揺れた。
芹沢を倒すことは目的ではないと言われた気がして、急に恥ずかしくなる。
少しの沈黙の中、通信機が鳴る。
「こちら柚月。本社の秘書課のパソコンに別部署からのアクセスがあって、音弥とカイのクライアントと食事会の日にちをあの日にしか入れられないよう他の仮予定を入れた人物がいたわ」
研究所が私と柚月さんだけになり、柚月さんと戻ってきた音弥さんが怪我をした日のことだ。
あの日は新月で夢魔も動きづらく、研究所も浄化できないため、人が出払っていた。
「なんでわざわざそんなことを?」
音弥さんが、聞き返した。
「芹沢と繋がってたのよ。そして、あんたたちを研究所から遠ざけて、那津を奪おうとした」
「犯人は?」
音弥さんは早く答え合わせをしたいようだった。
すると返事をしたのは、柚月さんと一緒に本社へ行ったトリコさんだった。
「あらぁ、ずいぶんとせっかちね。ここまで聞けば推測できるでしょ?私達が本社に行く前に那津が疑っていたことは、だいたい当たりだったってわけ」
私は音弥さんの顔を見たけれど、音弥さんは腕にはめた通信機を見つめたまま表情は動かない。
通信機から淡々とトリコさんの声が聴こえる。
「犯人は、カイのことが好きな奴のうちのひとりよ。柚月を会社から追い出そうとしたやつ。那津のこともカイから遠ざけようとして、芹沢と手を組んだようね。食事会が決まった後で、前後の仮予定は全て消されていたから、食事会の日を芹沢に漏らしたのではなく、初めから新月の日に食事会を仕組んだとみて間違いないはずよ」
黙って聴いていた音弥さんが、視線を上の方へ移しながらトリコさんに問いかけた。
「そいつの名前は?」
「花村ありす」
「証拠は?」
「芹沢と繋がっている明確な証拠はないけど、吐かせる?」
トリコさんは、迷いなく答えていく。
「いや、犯人さえわかれば対処はできる。柚月とトリコさん以外でこのことを知る人は?」
「その辺は抜かりないに決まってるでしょ。誰もいないわよ」
「じゃぁ適当に理由つけて、本社に居座って」
「あらぁ、高くつくわよ。でも、任せなさい。花村ちゃんの動向はしっかり追いかけておくから」
私の知らない花村という女性が、カイさんを好きで芹沢と繋がっていて、私のことさえ疎ましく思っていることは話の流れでよくわかった。そして、柚月さんとトリコさんは本社で、カイさんと音弥さんと私は研究所で、芹沢と夢魔と戦うことになりそうだということも。
音弥さんは、更に指示を出した。
「柚月はそれとなくカイが今フリーだって話をして、共犯者がいれば炙り出してほしい。仲間割れさせられれば何か情報を出すかもしれないし」
「カイを餌にするの?異議なしだわ。カイが無駄に社員にモテるせいでこんな自体になってるわけだから」
「私も賛成よ」
ここまで言われるカイさんって本当は女の敵なのではないだろうかと、ちょっと不安になってきた。でも、私はカイさんを好きになったわけじゃない。だから大丈夫。
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