孤城の夜想曲

伝承の復讐者
宵薙
宵薙

#33 もう一つの抑止力

公開日時: 2021年10月26日(火) 23:11
文字数:1,875

「うわ……広いな……」


 呆然と、スィエルは目の前に立つ建物を眺めた。細かい装飾が施された彫刻が扉の前に整然と並び、少しのひび割れは歴史を感じさせる。


「こんなに広かったら、周るのに時間がかかりそうだ」

「ああ、一日入っていても退屈しない。貧民街の子供達がたまに出入りしているのも見かけるぐらいだ」

「とりあえず、中に入りましょう。時間も無いし」


 中に入ると、壁の隅から隅まで本で埋め尽くされており、紙の独特の匂いが漂ってくるのまで感じられた。螺旋階段を昇り、アルトの案内に従って奥へと進む。


 帰りには迷いそうなほどの曲がり角を経て、ようやく辿り着いた先には、一つの光る本が無造作に置かれていた。


「……あれ? おかしいな」

「どうしたの?」

「いつもは、ここで本読んでいる奴がいて、探して貰うんだが……」

「席を外しているだけじゃないか? 少し待ってみたら来るかもしれない」


 だが。待てど暮らせど人の気配はないままだ。諦めて自力で探すかと動き出したその瞬間。


「何探してるんだ?」

「……え?」


 一体どこから声がしているのか。見渡せども、誰もいない。アルトもリーベもキョロキョロと辺りを探しているが、見つけられていないようだ。気のせいか、とまた案内に目をやると、今度はキィィと嫌な音が響いた。


「誰だ」

「気づけよ! おれだよ! この、この!」

「だから誰だよ」


 再度響く何かをひっかく音。その音の方を向くと、小さな黒猫が二本足で立ってお怒りの様子だった。輝く金色の瞳の奥に、燃える炎が見える。


 スィエルは暫しその猫を眺めていたが、まるで見なかったかのように目を背けた。


「……気のせいか」

「気のせいじゃねぇ! 少しはその塩対応どうにかしろよ! おれがここの管理人だぞ!!」

「人と言うより獣じゃないか」

「失礼な、文字が読めて書ける賢いニーシャ様だぞ、ここの本は全部おれの頭の中にはいってるんだぞ……って、お前……スィエル・キース……?」


 不味い。この猫もあちら側の――。思わず剣の柄に手が伸びるのをどうにか抑える。謎の黒猫は目を開いたり細めたりを繰り返し、スィエルをじろじろと眺めていたが、やがてふぅと息をついた。


「大災禍の契約者……でも、今は大丈夫そうか」

「なんで分かるんだ?」

「それぐらい分かるさ。色々とあってな。お前は、ただ目が赤かっただけ。なのに、あいつらはお前を悪く罵った。目の色なんてどうしようもないのに」


 喋ったり、かと思えば核心をついたり、なんとも不思議な猫だ。それならば、捜し物も見つかるだろうか。


「アルト、この猫に聞いてみてもいいんじゃないか?」

「ああ、そうだな。これなんだが……」


 アルトがメモを見せると、図書館の住人は怪訝そうに眉をひそめる。


「そんなもん、おれに任せるんだぞ」

「シェカチーフは、ちっちゃい国だ。だから、結構すぐに崩壊してる。隣国に攻め込まれて、酷い有様になったって記録があったはずだ」


 ニーシャがなにやら唱えると、水色の文字が宙に描き出される。文字たちはふらふらと宙に漂うだけだったが、ニーシャにとっては意味のあるものらしい。


「それで……この笛は……ちょっと貸してみろ」

「え? ああ……」


 笛を見ても探れるものは殆どなさそうなのだが、とりあえず言われたとおりにするのが良いだろう。


 先程と同じように水色の文字を描き出し、それからブツブツと何かを呟いて、今度は宙から降ってきた本を手に取る。


 笛について何か掴んだらしい。ニーシャはふんふん、と納得したように首を縦に振った。


「……なるほど、笛を調べるより聞いてやった方が良さそうだな」

「聞いてやるって、獣は無機物とも喋れるのか」

「うるせ、いちいち一言多い奴だな! おれは魔眼持ちだから話せるんだよ! はぁ……あいつのせいでいっつも面倒ごとばかりだ」

「あいつって……」

「ロゼ・ヴァレンティーン。あいつの事は前から知ってる」


 前から知っているとは、一体どういうことなのか。スィエルが口を開くより先に、黒猫の手があがる。


「おれ、本当はここの管理人じゃないんだ」

「だろうな、喋る猫は初めて会った」

「ああ、気づいたらここにいたんだ。おれは、奴が現れたら抑止力として色んな世界に飛ばされる」


 話を聞けば、ロゼが移動する度にこの黒猫は世界を行き来し、散々に振り回されているという。今回も例に漏れず――というわけだ。


「黒猫さん、もう少しその話を聞かせて」

「ん?」

「私たち、ロゼのことについて何も知らないの。だから、今まで見てきた事を教えてくれる?」


「あぁ……構わない。けど……長くなるぞ」


 そういうと、黒猫は静かに語りだした。傲慢の悪魔との忌まわしき関係を。

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