「うわ……広いな……」
呆然と、スィエルは目の前に立つ建物を眺めた。細かい装飾が施された彫刻が扉の前に整然と並び、少しのひび割れは歴史を感じさせる。
「こんなに広かったら、周るのに時間がかかりそうだ」
「ああ、一日入っていても退屈しない。貧民街の子供達がたまに出入りしているのも見かけるぐらいだ」
「とりあえず、中に入りましょう。時間も無いし」
中に入ると、壁の隅から隅まで本で埋め尽くされており、紙の独特の匂いが漂ってくるのまで感じられた。螺旋階段を昇り、アルトの案内に従って奥へと進む。
帰りには迷いそうなほどの曲がり角を経て、ようやく辿り着いた先には、一つの光る本が無造作に置かれていた。
「……あれ? おかしいな」
「どうしたの?」
「いつもは、ここで本読んでいる奴がいて、探して貰うんだが……」
「席を外しているだけじゃないか? 少し待ってみたら来るかもしれない」
だが。待てど暮らせど人の気配はないままだ。諦めて自力で探すかと動き出したその瞬間。
「何探してるんだ?」
「……え?」
一体どこから声がしているのか。見渡せども、誰もいない。アルトもリーベもキョロキョロと辺りを探しているが、見つけられていないようだ。気のせいか、とまた案内に目をやると、今度はキィィと嫌な音が響いた。
「誰だ」
「気づけよ! おれだよ! この、この!」
「だから誰だよ」
再度響く何かをひっかく音。その音の方を向くと、小さな黒猫が二本足で立ってお怒りの様子だった。輝く金色の瞳の奥に、燃える炎が見える。
スィエルは暫しその猫を眺めていたが、まるで見なかったかのように目を背けた。
「……気のせいか」
「気のせいじゃねぇ! 少しはその塩対応どうにかしろよ! おれがここの管理人だぞ!!」
「人と言うより獣じゃないか」
「失礼な、文字が読めて書ける賢いニーシャ様だぞ、ここの本は全部おれの頭の中にはいってるんだぞ……って、お前……スィエル・キース……?」
不味い。この猫もあちら側の――。思わず剣の柄に手が伸びるのをどうにか抑える。謎の黒猫は目を開いたり細めたりを繰り返し、スィエルをじろじろと眺めていたが、やがてふぅと息をついた。
「大災禍の契約者……でも、今は大丈夫そうか」
「なんで分かるんだ?」
「それぐらい分かるさ。色々とあってな。お前は、ただ目が赤かっただけ。なのに、あいつらはお前を悪く罵った。目の色なんてどうしようもないのに」
喋ったり、かと思えば核心をついたり、なんとも不思議な猫だ。それならば、捜し物も見つかるだろうか。
「アルト、この猫に聞いてみてもいいんじゃないか?」
「ああ、そうだな。これなんだが……」
アルトがメモを見せると、図書館の住人は怪訝そうに眉をひそめる。
「そんなもん、おれに任せるんだぞ」
「シェカチーフは、ちっちゃい国だ。だから、結構すぐに崩壊してる。隣国に攻め込まれて、酷い有様になったって記録があったはずだ」
ニーシャがなにやら唱えると、水色の文字が宙に描き出される。文字たちはふらふらと宙に漂うだけだったが、ニーシャにとっては意味のあるものらしい。
「それで……この笛は……ちょっと貸してみろ」
「え? ああ……」
笛を見ても探れるものは殆どなさそうなのだが、とりあえず言われたとおりにするのが良いだろう。
先程と同じように水色の文字を描き出し、それからブツブツと何かを呟いて、今度は宙から降ってきた本を手に取る。
笛について何か掴んだらしい。ニーシャはふんふん、と納得したように首を縦に振った。
「……なるほど、笛を調べるより聞いてやった方が良さそうだな」
「聞いてやるって、獣は無機物とも喋れるのか」
「うるせ、いちいち一言多い奴だな! おれは魔眼持ちだから話せるんだよ! はぁ……あいつのせいでいっつも面倒ごとばかりだ」
「あいつって……」
「ロゼ・ヴァレンティーン。あいつの事は前から知ってる」
前から知っているとは、一体どういうことなのか。スィエルが口を開くより先に、黒猫の手があがる。
「おれ、本当はここの管理人じゃないんだ」
「だろうな、喋る猫は初めて会った」
「ああ、気づいたらここにいたんだ。おれは、奴が現れたら抑止力として色んな世界に飛ばされる」
話を聞けば、ロゼが移動する度にこの黒猫は世界を行き来し、散々に振り回されているという。今回も例に漏れず――というわけだ。
「黒猫さん、もう少しその話を聞かせて」
「ん?」
「私たち、ロゼのことについて何も知らないの。だから、今まで見てきた事を教えてくれる?」
「あぁ……構わない。けど……長くなるぞ」
そういうと、黒猫は静かに語りだした。傲慢の悪魔との忌まわしき関係を。
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