祭りの熱に呑まれる街を見下ろしながら、スィエルと悪魔は笑う。これから惨劇が始まるとは知らず祭りを楽しむ人々は、二人にとっては微笑ましいものだった。
「おやおや、随分と楽しんでますねぇ……貴方が死んでから三百年だって……あぁ、可愛らしい……」
「別に死んではいないが、三百年も生きるとは思わないだろうから当然か。ああ……私も混じりたいぐらいだ。祭りなんて、赤目にはとても許されないことだったし」
「貴方、案外傷ついていないんですね。もう少し残念がるかと思っていましたが」
「別に。嫌いな人に嫌われて、死んだことを喜ばれても何も思わない。嫌いな奴が消えるのはせいせいしただろうさ」
「……と、言ってもその夢は今日で終わり。貴方の手が真っ赤に染まる頃には彼らの目も覚めるでしょう……ああ、どんな顔を見せてくれるのか楽しみですね」
悪魔の言葉に目を軽く閉じる事で応じる。あまり調子に乗らせすぎると何をやらかすか分かったものではない。
悪魔は、人間に対して尋常ではないほどの憎しみを抱いている。誰が理由を聞いても語ることはない。だが、過去に人間との契約で何かあったのだということは勘のにぶいスィエルにも理解できることだった。
それなのに、なぜ自分には手を貸してくれたのかは不思議で仕方なかったのだが、聞いてもこちらも曖昧に返されるだけなのであまり追及はしていない。悪魔の顔が若干和らぐので、悪い奴ではないのだろうと思う。
己の醜い手にはめられた真っ白な手袋も、今夜の戦闘が終われば、きっと鮮血にまみれてしまう。何人と戦えばいいのか検討もつかないが、容赦はしないと決めていた。
スィエルは、己が殺した人間の事を把握するために、あえて白い手袋を着用している。それは、今も昔も変わっていない。誰かの命を奪う、その事実を簡単に忘れないために。
誰かの一生を終わらせる――その責任の重さは理解している。一度失ったものは帰らない。大切な人の死は、人々の心に大きな傷を刻み込む。
過去に自分も仲間を失ったから。失って、絶望して、奪った人間を憎んだから。スィエルは奪われる悲しみというものを知っていた。
本当は人を殺めたくなかった。人を殺めずに、話せば分かってくれるだろうと信じていた時期も、彼にはあった。
しかし、限界を超えた不満と怒り、憎しみはいつか希望を絶望に変え、心を壊し。感情のない化け物、殺すことしか能のない殺人鬼。そう自分に思い込ませて、スィエルは剣を取ったのだった。
「さて、そろそろ終わりみたいですね。何やら人の動きが慌ただしくなってきたように見えますから」
言われてみれば確かに、人々の流れが変わったような気がする。浮かれていたものが現実に引き戻されるような。先程まで鳴り響いていた楽器の音も聞こえてこない。
「あまり勝手なことはしないようにな」
「子供じゃないんですから、分かっていますよ……くくっ……さぁ、早く行きましょう」
分かっていると言いながら、話が終わるとすぐに飛び出す悪魔。スィエルは、ほぅとため息をついて、屋根の上から飛び降りる。直前に隠蔽の術式を唱えていたため、簡単に見つかる心配はない。
そのまま人混みの中を縫いながら、スィエルと悪魔は進み続ける。目指すは中心部に聳える石碑――セーツェンの復興の歴史を描いた、スィエルにとっては忌まわしい石碑だ。
「風よ――我が声に応えよ。ヴァン・ラーミナ」
高等風術を発動し、五枚の風の刃を飛ばすことによって石碑を粉砕する。轟音を挙げながら崩れ落ちる巨石の欠片は周辺にいた人間にも襲いかかり、人々は散り散りになって逃げていく。
「な、なんだ!?」
「石碑が……クソ、赤目の連中の仕業か!」
「そんなわけねーだろ? だってこの石碑は相当の魔力量がないと壊れないんだぜ? 赤目の分際でそんなに魔力を高められる奴がいるわけないって」
「じゃあ一体誰が壊したっていうんだよ……おい、誰か壊したなら正直に言ってくれ! お化けが出たりしたら怖くて眠れねぇからさ」
直後、どっと歓声が沸く。何言ってんだ、馬鹿なやつ、青年は頭をかきながら人々をなだめる言葉を吐き続ける。
その隙に、スィエルは戯言を喋り続ける青年の後ろに回り込み、左腰に吊るした鞘から細剣を引き抜く。そして青年の首元に剣先を当てると、一気に横に薙いだ。
「がああぁぁぁっ!?」
「首から血が……! 大変だ、誰か治癒術式を……この中で腕に自信がある人は手を挙げてくれ!」
急に自分の首から鮮血がしぶき、わけが分かっていない青年を助けようと人が集まってくる。しかし、そうはさせない。術式を解除し、姿を現した軍服を纏う狂人に、今度こそ人々は腰を抜かした。
「赤目……赤目だ!!」
「人殺しの貴様らが祭りの邪魔をするな! 軍服まで着て何様のつもりだ……名を名乗れ」
何様のつもりだ、それはこちらが問いたいとスィエルは思う。勝手に死んだ扱いをしておいてよく言う。
「祭りを楽しんでいるところすまなかったね。私の名前はスィエル・キース。伝承に描かれた血も涙もない殺戮者。三百年の封印を経て、私はこの地に帰ってきた」
民たちは揃ってどよめく。嘘だろ、何の見世物だ、ふざけるな……様々な反応が、スィエルの脳には心地よく響いた。
危機を前にして、その危機を否定したいと願ってしまうのは、当然の心理だろう。
「バカな真似はやめろ! スィエル・キースが死んだ日に、その名を騙って許されると思うか!」
「そうだ! 観光客か赤目のお荷物か知らないが、忌まれた名前をそう簡単に言うんじゃない。誰かコイツを取り押さえろ!」
あぁ、おかしい。スィエルは口端を僅かにつり上げて、微笑みをつくる。忌まれた名前を騙っている、お前の名前は口に出すべきではない、と本人の前で言い切るほうがよほど許されざることだろうと思うのだが。
「名を騙る……か。私はちゃんと名乗れと言われたから名乗っただけなのに。そんなこと言われても、私はこれ以外に名前を持っていないんだ」
「嘘を吐くんじゃない。スィエル・キースは三百年前に死んだ! お前は偽物だ……いい加減それを認めろ!」
「封印されたの間違いだろう? 私は死なずに三百年城の中で生活した。そして今日、封印が解けたんだ……やっと私は自由になったんだよ。私は本物だ。私は復讐をしに来た。だからもう、この憎しみを嘘だと言わないでくれないか」
瞬間、突風が吹き荒れ、竜巻のように高く風の柱が巻き起こる。続けて、高等炎術の詠唱。風術と炎術の二種類の魔術を同時に扱うというのは、常人に出来ることではない。
何年も何年も訓練して、ようやく身につけるはずの技を、スィエルは次々に繰り出していく。その度に鮮血が舞い、抵抗する力を持たない民たちが犠牲になる。
顔はあくまで涼やかだ。誰が死んだところで、彼の心は痛まない。心を殺した殺人鬼に、常識は通用しない。
純白の手袋を真紅に染め、整った顔についた返り血を舐め、スィエルは赤目の悪魔を演じる。
「さぁ、三百年待ち望んだ復讐だ……祭りは破壊され、平和は終わりを告げ、殺したはずの亡霊に死を弄ばれる気持ちはどうだい?」
「悪魔……スィエル……キース‼ 伝承通りの人でなしだ……お前は人間なんかじゃない。俺達と同じなんて絶対に信じねぇ」
「ようやく現実を見る気になったようで良かったよ。そう、私は悪魔だ。何も感情を持たぬ殺人鬼だ。どうとでも罵ればいい。私の苦しみを嫌というほど分からせてやる」
スィエルは、冷酷に敵を切り伏せていく。店の看板を踏み台にして高く跳躍し、祭りを彩っていたランタンを次々に落下させ、爆発を起こす。
祭りで警戒が緩んだのが最大の過ち。地の利をうまく活かして、スィエルは夜街を駆け抜ける。
「悪魔、待たせたな」
「あは、もう暴れていいんですか? 私が本気で殺れば一瞬で瓦礫の山ですが……まぁ、ゆっくり楽しませていただきましょう。せっかくのお祭りですし……ね?」
そう言っておきながら、一度攻撃を始めると、やはり容赦がない。悪魔の鬱憤が溜まっているのが目に見えて感じられたので、スィエルは合図を出した。だが、始まってみれば想像以上に破壊しまくっている。
スィエルは、本日二度目のため息をつく。ため息をつけば幸せが逃げると言うが、それならばため息をつかせるような事はするな、というのが本心だ。
ただ、悪魔に何を言っても、暴走した状態なら耳を貸すことはない。そのため、スィエルはしばらく悪魔に戦闘を任せることにした。
「ふふっ……お祭りはどうでしたか? スィエルが死んで嬉しかったんでしょう? ようやく平和が取り戻せたって思ったんですよね? でも、残念。今日でおしまいです」
「やめろ……奪うな、奪わないでくれ……!」
悪魔は、久しぶりの戦闘を楽しんでいた。スィエルを、己の主を傷つけた人間が苦しむのはとても清々しい。スィエルはそこまで復讐に対して意欲的ではなかったが、悪魔はいても立ってもいられなかった。
今度こそ、スィエルを傷つけた人間を殺し尽くす。それが、悪魔の目標だ。孤城で涙を流した彼の事を思い出しながら、悪魔は目の前で震える男の首を強く絞める。
「奪わないで? 散々私達から奪っておきながら奪わないでとは何を言いたいのか分かりませんね……赤目を差別しなければ殺されることもなかったのに」
「赤目はこうして殺人を犯す……だから、差別するのは当然だ!!」
ごきり、という鈍い音が響く。悪魔が握力を強めて男の首の骨を砕いたのだ。
「順序が逆なんですよ。赤目が殺されたから、仲間が殺されたから、自分たちが送るはずだった生活を殺されたから、彼は復讐を行った。最初に殺人を犯したのは貴方がたです。罪の意識がないとは、幸福な事ですね」
「罪の意識がないだと……? 俺たちに何の罪があるっていうんだ。赤目は虐げられる、それが常識だろう!?」
「その常識を疑わず、声もあげず、自分たちはいいと弱者を除け者にした……赤目の人間がどれだけ酷い目にあってきたのか、貴方がたは知らない」
丁寧に分解されて絶叫を上げる男を悪魔は冷ややかに見つめる。誰かにあらぬ濡れ衣を着せて、それにも関わらず自分は悪くないと言い張る。なぜ、こんなに愚かしい事ができるのか悪魔には理解ができない。
赤目の人間は何も悪くない。お前たちが、お前たちこそが犯罪者だ。膨れ上がった憎しみは、悪魔の心の中で炎のようにゆらめいていた。
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