「ふふっ、流石は魔術師様ですね。私の正体を見破っていたとは……どうして気づいたのか、参考までに教えてもらえますか?」
「溢れる魔力と殺気を感じた。人間には多すぎる量でも、大災禍ならば持っていてもおかしくない。それに……リーベを洗脳したのも、お前だな」
エルシャは僅かに目を細めて、頷く。早すぎる看破を予想できなかったわけではない。自分の想像を超えてくる人間が一人でもいるなら、遊びがいがある。
「ああ……そうですよ。私がスィエルに化けて人を殺しているんです」
「じゃあ、真犯人はお前なのか……?」
「そうとも言えます。彼の悪意を調整し、傀儡として操り……何人もの血を彼に浴びせましたからね」
「巫山戯るな……伝承のあの災禍も全部……全部……!!」
「あははははっ。そうですよ、伝承はスィエルが復讐したくて仕方がなかったようなので、その手伝いをしましたが……街を焼く力を与えたのは私です」
エルシャは凄絶な笑みを浮かべる。今目の前に転がる人間達の力を全て奪ってしまったなら、一体どれほどの力が得られるだろうかと考えながら。自分の足で人間の世界に赴くのは面倒だったが、贄が増えるなら悪くない。
ブーツの靴裏で何度も何度も木偶達の頭を蹴り続け、細剣で刺し続ける。そのたびにぞくぞくと背が粟立つ。
街灯の上に素早く飛び移り、弓兵を真っ先に狩る。次に、屋根の上から奪った矢を射ると、まだ術式の詠唱を終えていなかった支援部隊が次々に撃たれていく。
「あぁ……ようやく分かっていただけたようで何よりです。私は強欲の悪魔……だから、奪い続けることを何よりも喜びと感じるんです。私より他の者が持っていたら妬ましい。全部欲しい……そう思ってしまう」
奇怪な叫び声を上げながら、エルシャは嗜虐の限りを尽くす。主は赤目の人間を殺したくないと言っていたが、実際悪魔にとっては人間の血が食えればそれでいい。だから、目の色など関係ない。
「スィエルに任せていても、これだけの犠牲は得られないでしょうね……あはははっ……」
どれだけ奪っても、エルシャの心が満たされることはない。だから、永久に戦い続ける。朝日が昇っても、化け物に自制心などは存在しない。ただ、目の前にある餌を食らいつくすだけだ。
「貴様ァ……!!」
「ふふっ、そんな憎しみを私に向けても養分になるだけですよ? 前にもお話はしたはずですが忘れましたか? 私は人間の悪意が何よりも好きですからね」
飛び散る鮮血。迸る絶叫。その全てを身体で感じながら、悪魔は感動に震える。あぁ、もっと欲しい。もっともっと欲しい。悪意がなだれ込み、思考は果て。残されたのは、獣のような欲望だけ。
指に絡みついた血を舐め取り、ゆっくりと嚥下すれば、たちまち快感が全身に奔る。悪魔という化け物は、人間を喰らうほど力を得るのだ。
「まだ足りませんね。スィエルが最近殺す人数を減らしたので、私は干からびてしまいそうでした……いい機会ですし、沢山貰っておきましょう。犠牲は多いほどいいですから」
「奴は……スィエルはどこにやったんだ」
「城の奥に監禁しています。今頃、悪意をたっぷりと味わって、外に飛び出したくてうずうずしているでしょうね。茨で縛り上げて、身動きもとれずに……ふふっ、想像すると興奮してきました」
「私は、スィエルを愛している。だから、彼の隅から隅までを支配して、思考も脳もぐちゃぐちゃにして……彼に幸せを与えるのです」
「お前の愛は、愛じゃない。それはただの独占欲……自分勝手な思い込みだ」
「何とでもどうぞ? 彼は私を欲している。両親に会いたい、会いたいと喚く哀れな彼の姿でも見せましょうか? 私が夢を与えるまで、何度も何度もうなされる彼を、救えるのは私だけ。人間には出来るはずがない」
歯噛みする敵を、悪魔は嘲笑う。役立たずの野次馬も段々と増えてきた。傍観するだけで、止めには入らない。自分に危害が及ぶことを恐れ、しかし興味は忘れない。誰よりも狡猾で、弱い者たち。まとめて喰らってしまえば、更に混乱は広がるだろう。
「さぁ、遊びましょう? まさか、ここで音を上げるような人達ばかりではないでしょう? 打てる手は随分減りましたが、それでも戦えないほどではない」
「お前は……どうしてそこまで歪んだんだ」
「どうして、か。人間にあらゆるものを奪われたからです。地位も、尊厳も、財産も、家族も残らず全て」
「家族……だと? まさか、人間だった頃があるのか」
「いえ、悪魔の中での家族です。魔族でも、子孫は残すものですよ」
ふっと、エルシャは微笑む。
「私の家族は、全員人間に殺された。そして、私自身も一度は死にました。自己回復できる量以上の傷を与えられて……あぁ、これ以上はやめましょう。言えば、怒りを買うことになる」
「誰かの命令なのか」
「質問攻めは嫌ですね、誰の命令でもありませんよ。私は指示されるのが嫌いですから」
そう。これは誰の命令でもない。上官である、ロゼ・ヴァレンティーンの意思ではなく、己の意思だ。復讐の炎はいつか身を灼き、地よりも深いところに肉体を宿した。人間を、一人残らず抹殺する――。その目的のために。
忌まわしい過去を振り払い、堕ちた自分に迷いはない。遠い昔の話など、今更引きずっても仕方ない。
長々と話していたが、この間にも準備はしていた。右手に握った緋色の石を強く力を入れて破壊し、起動。
背後に爆発音が連続して鳴り、叫声が一段と高まる。肉の焦げる臭いまで漂ってきた。きっと、人々の目覚めは最悪なものになっただろう。
「いつの間に……」
「舐めないで貰いたいですね。大災禍の一翼ならば出来て当然です」
「魔力を石に凝縮させ、一気に放出したってのか……クソ、このままじゃ街が危ない!」
「ふふっ、どちらを取りますか? 助かる見込みのない仲間か、罪のない人々か」
「どちらもに決まっているだろう!!」
「傲慢ですね。あの方が気に入れば、今すぐにでも貴方を駒としているでしょうが……流石に、悪魔に仇なすものは飛びつきませんか」
炎に包まれる街を、エルシャは嗤う。スィエルが目をさます頃には、あの伝承のようになっているだろう。
「ふふ、アルト・フォーケハウト……私は貴方の先祖に孤城に閉じ込められたときから、セーツェンの人々を殺したいと思っていたんですよ」
「お前の実力なら……孤城に閉じ込められたってのは嘘だろう。出ようと思えば幾らでも出られたんじゃないのか」
「えぇ、出ていましたよ。だって、彼が三百年間生き続けるには血が必要でしたから。原因不明の事件は沢山あったでしょう? あれは全部、私が犯人を唆したもの。まぁ、私が関わっていない、ただの猟奇殺人もあるでしょうけどね」
「お前……は……」
そう。エルシャは、ずっとセーツェンの人間を殺し続けていた。愛する主のために、毎日欠かすことなく。流石のアルトも言葉が出せずに、黙り込む。
「嬢ちゃんが、お前を見たら……きっと、救おうとするだろう。でも、俺は無理だ」
「救ってもらう必要はない、と言ったはずですが。私をここまで堕とした人間が、笑わせる。飽くなき欲望を叩きつけ、私の事を何一つ理解しなかったというのに」
思い出したくもない過去が、ふつふつと蘇る。力を持っていなかったがために、エルシャは一度全てを失った。人間への強い憎しみが、エルシャを最下層から大災禍の一員にまで成長させたのだ。
「もう、救うだなんて言わないでください。戯言を聞くのは飽きましたから」
エルシャが手を横に薙ぐと、黒々とした靄がゆっくりと全身に這い回る。靄の下から現れるのは、人間の皮を被った化け物だ。
紫と青のグラデーションを持つ長髪に、血よりも濃い色の双眸。口には冷たい笑みが刻まれ、手に握られたのは細剣ではなく、一振りの長剣だ。
背も伸び、軍服は剥がれ、見える腕からはダラリと血が滴る。肩には烏のような羽の飾りがついており、胸には緋色のペンダントが輝く。
「救うよりも、私を、もっと楽しませてください」
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