日替わり生徒

不思議な存在と共に、不思議な友達を助けるお話
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第二話 白崎 美月の日

公開日時: 2020年9月7日(月) 07:00
文字数:4,499

次の日

 

 

「というわけで、協力してくれ」

 

「どういうわけか知らないけど、お断りするわ」

 

 

脈絡もなく話を切り出した翔也に、春海は容赦ない一言を放つ。

朝のHRが終わり、次の授業が始まるまでの僅かな喧騒の時間。その騒ぐ声の中でも、春海の断りのセリフには鋭い冷たさを持っていた。

 

「お、おい! そりゃねえだろまだ要件も言ってねえのに!」

 

「要件一つ言う前に、藪から棒でお願いするような願い事なんてロクなことじゃないと思ったから、お断りしたまでよ」

 

抗議する翔也の声さえも、反論の隙を許さないが如くズバズバと淀みなく答える春海。

 

一瞬押し黙る翔也だが、彼は諦めなかった。春海の隣の席...その席の『今日の持ち主』が今いないことを確認した上で、声を潜めて春海に話しかける。

 

 

「ロクでもないことじゃねえよ…瑞樹のことだ」

 

「……ふうん」

 

 

春海の様子が変わる。無関心と言った態度から、翔也と向き合い、話を聞く体制へと。

 

 

「今日の朝練の間、実はずっと考えてたんだけどよ」

 

「そんな部活に関係ないこと考えてやってるから、万年補欠なんじゃないの」

 

「ほっとけ! …で、何を考えてたかって言うと、昨日の瑞樹の態度だよ。俺は家に帰ってからも気になってしょうがなくてな」

 

「ふーん…それで?」

 

「それで、朝練の間考えてた。…で、今さっき…結論が出た」

 

「…聞こうじゃないの」

 

 

久し振りに積極的になった春海は、体を後ろに乗り出して、真後ろの席に座る翔也に近づく。

 

 

翔也は、教室の入り口付近。そこでキャピキャピと騒ぐ女子の群れを一瞥すると、春海の方に顔を戻し、ますます声を潜めて呟いた。

 

 

「…瑞樹は……美月のことを、好きなんじゃねえかと思う」

 

「……」

 

 

その声を聞いた春海の表情が、分かりやすいくらい露骨に、失望と呆れの入り混じった表情に変わっていく。そんな春海の様子を感じとった翔也は慌てて言葉を続ける。

 

 

「おいおい、好きって言っても友達としてじゃねえぞ。俺の予想が正しければ、あれは美月のやつに恋...」

 

「あーはいはい、もう分かったから…全く、翔也に変な期待をした私がバカだった」

 

 

どういう意味だそりゃ、という翔也の抗議を受け流し、椅子を元に戻す春海。翔也が人の気持ちに鈍感であることは薄々感じていたことだが、まさかあの日から半日考えてようやくその結論に至っていたとは。その鈍さはもはや動物のたぐいじゃないかと春海は思った。

 

 

(…逆に、どこをどう思ったら、瑞樹が美月のことを好きじゃないとか、考えるのよ...)

 

(単なる友達とか、そういう関係の相手のために、毎日『女性ホルモン』なんて飲むわけないでしょうに…)

 

 

 

女性ホルモン。

それは、女性らしい体を作るために必要とされる、体内で分泌される物質である。名前の通り、女性の体には多量に分泌され、男性にも全くない訳ではないが、その量は比べるに値しない。

 

そしてそれを、男性である瑞樹が飲んでいるのだ。昨日のように、毎日欠かさず。

 

春海が聞き齧った知識によれば、男性が女性ホルモンを摂取すれば、体つきが女性へと近づいていく。しかし、本来の体と合わないものを摂取することによる副作用も存在する。

ホルモンバランスの崩れによる吐き気や眠気、頭痛などの初期症状...瑞樹自身は「昔は辛かったけど、もう大丈夫」と言って笑っていた。少なくとも瑞樹は、初期症状はとっくに過ぎる段階から、女性ホルモンの摂取を続けているのだ。

 

そして、もっとも危惧すべきは生殖機能の退化。女子である春海にとっては想像が難しいが、男という自分の性別を捨てるに等しい行為だと考えられる。

 

そして、仮に途中で女性ホルモンの投与をやめたとしても、女性化した体は2度と元に戻らないという。

 

軽く調べた限りでもこのようなデメリットが存在するらしいのだ。無論、瑞樹は両親や医者などから重々説明を受けただろう。それでも瑞樹は、両親からも、医者からも許可を取った上で摂取していると言っていた。瑞樹は全て説き伏せたのだろう。自らの意志を言葉にのせて。

 

 

その目的が何よりも「美月」の為であるということは、瑞樹が明かすより前から春海にも、鈍感な翔也にとっても、周知の事実であった。

 

 

 

春海は、瑞樹が女性ホルモンを昔から毎日飲み続けていることを知った日から、瑞樹が持つ恋心について何となく察していた。一方翔也は昨日の出来事から改めて半日考え、ようやく春海と同じ結論に至ったのだ。春海が呆れるのも無理はない。

 

 

「とうとう翔也は内なる瑞樹の気持ちに気づくことで、また一歩親友に近づきましたとさ。めでたしめでたし…これでいい?」

 

「ちょっと待てめでたくすんな! まだ本題に入ってねえ!」

 

 

ぐいっ…と後ろから肩を引っ張られ、春海は渋々後ろを向く。しかし、本題という言葉に春海は少し目を瞬いた。

 

そういえば、翔也は先程「協力してくれ」という言葉を言っていた。何も春海にとって今更な事実を公表しようとしただけではないのだ。それを踏まえた上で、何か行動を起こそうとしてその協力を求めに来たのだと考えられる。

 

 

「いいか…そこで俺はだな…」

 

 

翔也が口を開いて本題とやらを切り出そうとした時、一時限目の授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。思い思いの場所に立っていた生徒は慌てて自らの席に戻る。そして春海の隣の席の人物も、席に戻ろうとしている姿が二人の目に移る。

 

 

「…とりあえず、続きは昼休みに話す」

 

 

そんな風に言葉を変えた翔也に、とりあえず頷きを返した春海は椅子を元に戻し、前を向く。

春海は横目で一瞬だけ隣に座った人物を一瞥すると、授業の準備に戻った。

 

 

翔也の話は果たしてロクなことが否か、前例もあるしあまり期待しないでおこうと春海は思った。



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「瑞樹の本音…ねえ」

 

「そうだ。どうしても、俺たちは知る必要があると思う」

 

翔也は、手元の本を示しながら力説した。

 

 

時間は昼休み。昼飯を食べ終わり、移動した先は図書室。この場所を選んだのは翔也だ。調べたいこともあるし、ここなら美月も来ないだろうということであった。それには春海も同感だった。美月はいつも、昼休みは教室で女子グループとご飯を食べながらミーハーな話題で盛り上がっているイメージがある。図書室とは無縁と言える人間の一人であるとは思う。

 

ただ春海に言わせれば、翔也も充分『図書室とは無縁と言える人間』である。

 

春海がそんな感想を胸に抱いているとは知らず、翔也の演説は—もちろん声は控えめに—続く。

 

 

「瑞樹が本心から女になることを望んでいるのなら、俺は何も口を出す権利はねえ。だけどよ…本当は嫌だっていうのに…美月のために自分を犠牲にする気でいるなら、俺は絶対納得しねえ」

 

 

翔也は、拳を強く握りしめた。

 

 

かつて、何度も翔也が瑞樹の女性ホルモンに突っかかったのは、『それが美月のためである』という事実がどうしても気に食わなかったようである。翔也の信条としては、「他人のために自分を犠牲にする」ことは愚の骨頂であるらしい。無論、小さな物事を犠牲にする程度ならまだいいのだが、瑞樹に至っては「自分の性別」というかけがえのない物を犠牲にしようとしているわけだ。翔也が目くじらを立てる気持ちも分からなくもない、と春海は思った。

 

つまり翔也が明らかにしたい瑞樹の本音とは、「美月の存在を抜きにしてもなお、自らの性別を捨てることを受け入れられるのか」ということらしい。

 

 

「いいか。これは大事なことだ。俺たちが瑞樹の親友である以上、瑞樹の本当の気持ちを知る必要がある」

 

「まあ…言いたいことは分からなくもないわ。…で、それは何なのよ」

 

 

春海が視線を落としたその先にあるのは、翔也が手に持った本。

翔也はあくまで真面目な表情のまま、手元の本を掲げる。

 

 

「そうだ。そこで俺が考えたのはこの『ミラクルハッピー 超アタル!心理テストDX』を使って瑞樹の本音を…」

 

「ってそんな本で無理に決まってんでしょバカ!」

 

 

まさかとは思ってたがそのまさかだったので春海は思わず渾身のツッコミを入れてしまった。

 

 

「なっ、お前バカにすんなよな! これはプロの心理学者お墨付きの…」

 

「あのね。こういうのは個人差ってものがあるし、あんたの親友の大事な気持ちをその本一冊で全部判断するつもり?」

 

「む…」

 

 

親友という言葉が効いたのか、少し悩ましげな表情に変わる。ただ、これは説得するための方便というよりほとんど春海の本音である。心理テスト自体を信用してない訳じゃないが、少なくともあれはただの遊び系の本であることは表紙からして明らかであった。

 

 

「…悪い。俺はこういうのしか思い浮かばねえんだ。なあ、他に何かいいアイデアないか?」

 

「………そうね。今のところはないけれど…この図書室で一緒に探してみますか」

 

「お、協力してくれるのか! いや、本当にすまん! 恩に着るぜ!」

 

「別に恩に着なくていいわよ。帰宅部は暇だし、これはあんたのためじゃなくて、あくまで瑞樹のためなんだから。それに、正直見つかる目処が立たないから、あまり期待しないでよ」

 

「や、手伝ってくれるだけでもありがたいものだぜ。それじゃあ早速…」

 

「……ちょっと待って。あれ」

 

 

席を立って本棚を漁ろうとする翔也に、春海が待ったをかけた。

翔也が春海の示した先を見ると、ちょうど図書室のドアを開けて入ってきた人物が見えた。春海の隣の席の『今日の持ち主』である人物が。

 

 

「…美月?」

 

「珍しいわね。てっきり本とかとは無縁の人間だと思ってたのに」

 

 

小声で話し合う二人。何やら本を抱えて図書室に入ってきた美月は、翔也や春海がよく見る女子グループと大げさな表情で笑い合ってる様子とは全く違う。少しだけ悩ましげに眉を潜めている、静かでお淑やかそうな雰囲気が見てとれる。

 

 

「おいおい、こっちは瑞樹の美月への恋心の秘密調査をしてるってのに、肝心の本人が来ちゃあ捜査ができねえじゃん」

 

「そんな秘密に拘らなくても…とは思うけど、万が一聞かれるとちょっとマズイかもしれないわね」

 

 

春海は、ちょっと悩んだ。何せ、今この瞬間に自分たちのしていることをモロに喋っている親友がいるからだ。小声であったことと、美月との距離が離れていたために本人には聞こえていないようであったのが救いだ。翔也に悪気はないであろうが、今みたいにうっかりやってることを喋ってしまい、それを美月に聞かれては確かに面倒なことになる。

 

 

「昼休みももうすぐ終わるし…今日のところは引き返すしかないようね」

 

「しょうがねえな…じゃ、放課後にまた」

 

「いいの? ただでさえ万年補欠なのに午後練までサボってたら、ますますレギュラーへの道が遠ざかるんじゃない?」

 

「うぐぐぐぐぐ…」

 

 

苦虫を噛み潰したような顔の翔也と共に、春海は図書室を後にする。その際、美月とすれ違いはするものの、所詮は交流のない他人。クラスメイトとは言えども、ロクに会話したことのない関係であるため、特に会話が発生することもなくお互い歩を進める。



その際、春海は美月が借りていた本…それだけが少し気になったので、こっそり横目を動かした。が、美月の体に遮られ、その本の名前を知ることは叶わなかった。


ただ確認できたのは……本の装丁が、真っ黒であったことだけであった。

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