日替わり生徒

不思議な存在と共に、不思議な友達を助けるお話
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第九話 白崎 美月との合流

公開日時: 2020年10月26日(月) 07:00
文字数:10,488

秋花火のイベントの日。三人が約束した日は、徐々に近づいてくる冬将軍を前にした寒さが体を撫でるような、肌寒い日であった。●×駅の南改札口にて、春海と翔也は寒空に備えた重装備を身に纏って立っていた。

しかし、寒さ以外に大事な問題が起きていた。



「………」

「…遅いな、瑞樹のやつ」


今の時刻は、午後六時三十二分。記憶の限りでは一度も約束も破ったことのない瑞樹を待ち続けていた春海と翔也だったが…この時間にもなってくると、『遅い』という言葉で済まなくなってくる。


「…LINE、既読つかないわね」

「マジか。いつ送った?」

「十五分前くらい」

「そうか……あいつ、普段既読も返信も早いってのに…まさか、なんかあったんじゃねえだろうな」


眉根を寄せてキョロキョロと挙動不審になってしまう翔也。同じく心配そうな表情の春海は一度スマホをしまい、もはや夜の一歩手前となってきた空を見上げつつ翔也に尋ねた。


「翔也…あんた、瑞樹の家知ってるわよね?」

「おう。大分前に偶然見かけた程度なんだけどな。…やっぱ、行った方がいいか」

「そうね。億が一、瑞樹がただ約束を忘れてるだけってだけならまだいいわ。考えたくはないけど…もし、瑞樹がどこかで事故にあってたりとか…とにかくそういう最悪のことになってないか、家に確認しにいかないといけないと思う」

「ああ、分かってる。場所が分かってる俺が行った方がはえーからな。ちょうど寒かったし、ひとっ走り行ってくる」

「うん。お願い。私はここで待ってる。入れ違いになってこっちに瑞樹が来たらLINE送るから、確認してね」

「了解。それじゃ、一走り言ってくる!」


片手を挙げて応えた翔也は、いかにも運動部らしく素早いスタートダッシュをもって、勢いよく駅から駆け出していった。春海はその後ろ姿を見ながら、もう一度スマホを確認した。


(瑞樹の家…どの辺って言ってたかしら。…確か、あの辺りだとしたら…着くまでには十五分ちょい…かな)

(花火行きたいって…誘ったのは私だから、本当は私が行くべきなんだけどね。さすがに、家を知ってる翔也に任せた方がいいわよね)


半ば自分に言い聞かせるようにした春海は、この駅に着いた当初のようにスマホを弄って待ち時間を潰そうとはせず、スマホをしまって駅の柱に寄りかかると、寒空を見上げて白い息を吐いた。


春海は翔也に、「入れ違いになったら連絡する」と伝えた。だが、心のうちで春海は瑞樹が入れ違いでここに来る可能性を非常に低く見ていた。なぜなら単に瑞樹が遅れている、ということはあり得ないとほぼ断定していたからだ。今まで瑞樹と待ち合わせしたことは何度もあったが、遅刻なんて片手で足りるほどしかなかったし、その数例に関しても、事前に必ず瑞樹から連絡はきた。

だから、瑞樹が来ていないこの状況を、春海は少しだけ悲観的に見ていた。遅刻ではない、何かあったに違いないと。いくら悲観的とはいっても、事故にあったとかはできるだけ考えないようにはしていた。でも、一体なぜ瑞樹は来ないのか…それを考えるたび、冬の空気以外の寒さが春海の背筋を伝うのを感じる。

時間の一分一分が、やたら引き伸ばされて感じた二十三分後。

瑞樹は、来ない。

だが、代わりに来たのは翔也からの着信であった。

春海は、その着信に応じるのに少し躊躇った。怖かった。

だが…出ない訳にはいかない。瑞樹に関することなら、絶対にだ。

もしどんな報告だとしても、受け止めなきゃいけないと。

春海は、親指を曲げて画面に触れた。


「…もしもし」

『おいっ!! 春海かっ!? 大変だ! 大変なんだ! お、落ち着いて切って…いや違う電話を切るんじゃなくて…落ち着いて、聞いて、くれって!』

「…ま、ず…あんたが、落ち着きなさい…って」


そう諭そうとした春海も、懸命に冷静な声を出そうとしていたが…声は少しどもり、震えていた。

電話越しからでも伝わる翔也の非常に緊迫した声。最悪の想像が、脳裏にこびりついて離れなくなる。無意識に、耳元にスマホを当てている右手に左手を重ねてしまう。

だが、春海が想像した「最悪」とはかけ離れた…はるか斜め上の報告が翔也から伝えられたのは、幸運か…不幸か。


『やべえんだ! 瑞樹が…瑞樹がいねえんだよ!』

「家にいない…ということは、駅までの道中に何か…?」

『そういう意味じゃねえ! 家にはいるんだよ! でも瑞樹が…いねえんだよ!』

「…いるのか、いないのか、どっちなのよ」


他人が慌てるのを見れば見るほど、気持ちが落ち着いてしまうものという真理を、春海は実感していた。錯乱している翔也の声が耳に届くのと反比例して、春海の心臓の鼓動は通常通りのテンポを取り戻していた。

しかし春海が冷静になったからといって、翔也の言っていることが理解できる訳ではない。まず落ち着いて欲しいのはむしろ翔也の方だ。だが、口で落ち着くように伝えたところで大して効果はないだろうことは分かる。状況をできるだけ的確に把握するためには、自分の方ができる限り冷静にならなくてはと、瑞樹は息を整えた。


『あの、だな……つまりだ! 瑞樹がいないんだ! 家に…美月がいるんだよ!』

「………は?」


その言葉を理解した途端、春海は冷静さを通り越して、凍りついてしまった。

無意識のまま一旦耳元からスマホを離し、スマホの日付を確認した春海は、再び耳元にスマホを戻した。


「9月29日…日付は間違いない。今日は瑞樹の日のはずなんだけど」

『そーなんだよ! そのはずなんだよ! なのに…今家に居るのは美月なんだよ!』

「…間違いないの? 瑞樹が美月のフリしてるとかない?」

『んなっ!? …ゔ、いや確かに瑞樹が本気で成りすましてるとかだったら、俺でも見分け付く自信ねーけど…でもよ! 瑞樹が俺を…俺らを騙す訳ねーだろ! そんな奴じゃねーから! 瑞樹は!』

「……そうね。ゴメン、私も少しテンパってたみたい」


軽く頭を振って頭をリセットする。これについては翔也の言う通りだと春海は思った。瑞樹が自分たちを騙すなんてことは考えられないし、考えたくはない。


考えたくはない…が、ならば瑞樹の日に瑞樹がいないというこの状況は…何が起こっているというのだろう。


『すまねえ! 頼む…お前も家に来てくれねえか! 美月が、玄関先で蹲って泣いちまってよ…ちょっと俺一人じゃ……なんていうか、適切な対応ってやつが…わかんねえ』

「泣いた? あんた、何したのよ。…ていうか、瑞樹の…もとい、美月の両親は?」

『俺は何もしてない! 用事を伝えただけだ! それと、美月の両親は明日まで帰らないらしい! なあ、とにかく早く来てくれ! 道は教えるから!』

「…とにかく、家に誰もいないってんなら、玄関先じゃなくて家の中に上げてもらいなさい。私も行くわ。道順ナビ、電話を繋げたままお願い」

「ああ、もちろん!」


そのようなやりとりを経て、春海は耳元から流れる翔也からの人力ナビゲーションを聴きながら、駅から勢いよく駆け出した。心の中では、一抹の不安が顔を覗かせていた。




*

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目的の家は、すぐに分かった。

何故なら非常にソワソワして家の真ん前でウロついている翔也が目印になっていたからだ。

挙動が完全に不審者なだけ、よくぞ通報されなかったと呆れと安心が半々の気持ちを持って春海は翔也に近づいた。一方翔也は、春海に気がつくと完全な安堵の面持ちで駆け寄ってきた。


「春海! 意外と早かったな!」

「あんたが急かしたんでしょ。それより美月は?」

「あ、あいつは…とりあえず家の中には引っ張って戻した。俺は…側にいない方がいいかと思ったんで…とりあえず外で待ってた」

「そう、分かった。じゃあ、再びお邪魔しましょうか」

「お、おう……もう大丈夫、か?」

「…何ビクビクしてんのよ」

「苦手なんだよ…泣いてる女子の対処も」


随分とピンポイントな翔也の弱点を知ってしまった春海は、心の中で首を捻ると妙に高級そうな感じのする家のドアの前に立った。翔也ほどではないが、少し緊張した様子の春海。しかし一息深い呼吸をおいたのち、思い切ってドアを押し開いた。



玄関から進んだ先のリビングに、彼女…美月はいた。



翔也の話によれば泣いていたとのことだが、ガラスのテーブルを前にした椅子に座っている美月は、もう泣いている訳ではなさそうだ。ただ、真っ赤に泣き腫らした様子の目と丸まったいくつかのティッシュを見れば、さっきまでの彼女がどんな状態だったか、春海にも想像がつく。



俯き加減だった彼女は、翔也と春海の足音を耳にして、顔を上げた。

その表情に、何かを堪えるような辛い感情が表れたまま…席を立って、頭を下げた。



「あの…どうぞ座ってください。何か、飲み物でも持ってきます…」

「いや、そんな気を使わなくて大丈夫よ。というか、私たちクラスメイトなんだから、敬語使わなくて普通に話して大丈夫よ」

「…うん」



冷蔵庫の方へ向かおうとした美月の体は、また反転して椅子に戻って座った。翔也と春海も、美月と向かい合うように座った。翔也は比較的落ち着きを取り戻しているようだが、美月の方は…見た感じ、未だオドオドしている感じが否めない。


瑞樹の日なのにも関わらず、家に美月がいるということを翔也から聞いた時は半信半疑であったが、こうして対面した以上認めるしか無くなってしまった。…だが正直な所、目の前にいるのが『本物の美月』であるかと問われれば、100%そうであるとは断言ができないのも事実。



なにせ、『瑞樹』と『美月』は二人とも同じ体を共有している存在だ。本来なら、外見上の見分けをつけるのは不可能なのだ。



目の前の人物が美月であるという見分けをするために、春海がまず目に止めたのは髪。

瑞樹は普段、その長い髪を簡易に纏めていたが、今の美月は自然なロングの髪を後ろに広げている。


それに服。学校の時は女子と男子で一目瞭然な制服の違いがあるが、今美月がきているパジャマ風のシャツは…正直男性用か女性用かの区別は難しい。どっちとも取れるデザインのためだ。

あとは…強いて言うならば声、か。美月の声は、心なしか瑞樹の時より女性らしい、高めの声をしているように聞こえる。


区別らしい区別は、これだけだ。さっき翔也との電話のうちで示された可能性である『瑞樹が美月に変装している』という説も否定しきれてはいない。きっと瑞樹が本気になって偽れば、翔也も春海も見分けることは不可能だろう。


だが…瑞樹が自分達を偽る理由がないというのはさっきの電話で検討した通りだし…それに、あくまで勘の範疇でしかないが、今目の前にいるのは紛れもなく美月であると、春海は直感的に思っていた。


一方翔也は、小さく首を傾げながら美月に問いかけ始める。



「お前…なんか、クラスにいた時と大分こう…なんていうか、雰囲気違うな」

「あ、うん。その…それは……ね」



翔也の問いに対し、ごにょごにょと言いづらそうにしている美月。翔也の疑問は、正直春海も結構気になるところではある。今のしおらしい美月の様子は、クラスの女子グループでワイワイ騒いでいた時とはまるっきり別人だ。とはいえこの様子は、ただ単に今の状況に混乱して大人しくなっているだけかもしれない。

それに美月が言いにくそうにしてるなら、別に無理して言わなくても大丈夫…と春海が伝えようとするより早く、ポツリと美月が答え始めた。



「…私……学校では、素じゃないというか……その、無理して…るんだよね」

「無理?」



言ってる意味をよく理解できず、ますます首の傾きが大きくなる翔也。一方春海はその言葉を聞いて、脳内で記憶を巡らせていた。

普段からクラスで女子グループの輪の中に入っている美月。言っちゃなんだが馬鹿騒ぎしている様子からは想像もつかないほど、丁寧で綺麗な文字と書き方で記された美月のノートと教科書。

あの時は文字だけで美月の性格を推測するのもどうかなと思っていたが、今の美月の様子と言葉を聞いて自分の推測と繋がるようになってきた。


「つまり…あの女子グループには、色々と取り繕った上で仲間に入れてもらってた…みたいな、こと?」


「うん……みんなの話題についていけるように毎日色々調べて……出来るだけみんなの身振りとか、様子とか頑張って真似して…」


「私は…そうじゃないと、友達、できないから」


喉の奥から美月が絞り出した声は、なんだか凄くバツが悪そうな声だった。

それを聞いた春海と翔也は、思わずお互いに顔を見合わせてしまった。


『僕はさ…ほら、なかなか友達できないんだよね…こんな事情だし』


二人が思い出すのは、笑顔でありながら悲しげな感情が感じられる瑞樹の言葉。

瑞樹と美月。二人とも、心に抱える悩みは同じだったのだ。


翔也は、バスケ部で活動していた時に偶然見かけた時をきっかけに。

春海は、偶然同じ掃除係になったことをきっかけに、瑞樹と友達になった。

だが…瑞樹には、今のところ春海と翔也並みに親しく話せるような友達は、できていない。というより一年生の時、初めての高校生活が始まって以降しばらく…瑞樹は、いつも一人ぼっちであった。


もっとも、春海も同じようなぼっち族だったから人のことは言えないが…いや、同じぼっち族だったからこそ、スムーズに瑞樹と仲良くなれたのかもしれない。


それに対して美月は、一年生の頃から主要な女子グループに溶け込んでいた記憶がある。二年生になってからのクラス替えで、奇跡的に再び同じクラスとなった瑞樹達と違い、美月は女子グループとは離れ離れになっていたにも関わらず、また別の女子グループの仲間と早い段階でキャイキャイ話していた。


真面目であろう美月は、友達を作るための努力というものをしてきたのだろう。その結果が…自らを取り繕った上での友達ができたというわけだ。偶然とはいえ、自然体のままでも数少ない友達ができた瑞樹とは、この点では相反していると言える。…どちらの方がどうとか、春海も翔也も言える立場ではないが。


「…えっと、春海さん…だったよね…。その…あなたも…瑞樹の、と、友達…なんだよね」

「そうね。あと、さんづけもいらないわよ。もっと気楽に」

「言っとくけどな。春海より俺の方が瑞樹との友達付き合い長いんだからな! 覚えておいてくれよ!」

「…そんなことで張り合うんじゃないわよ、全く」


身を乗り出した自己主張が激しい翔也を手で押しとどめる春海自身は、呆れたような声を出しているものの表情は少しむすっとしていた。

美月はそんな二人をゆっくりと交互に眺め、ポツリと呟いた。


「そう…なんだ。瑞樹のこと……ちょっと聞きたい…けど、今はのんびり話してる場合じゃ、ないよね」

「そうね。今のところ解決の糸口があるわけじゃないけど…もし解決したら、ゆっくり屋上で話してあげるわよ」

「お、屋上…って?」

「あー、気にすんな。その日が来たらのお楽しみにしとこうぜ、その話は」

「…そう?」


しかし…こうしてみると美月は、瑞樹と本当似ている。

いや、外見の話ではない。そもそも先ほど言った通り、二人の外見は共通しているのだから。

似ているのは、性格や口調。今みたいにちょっと小首を傾げる仕草も瑞樹はよくやる。小首というより、普通に首が痛くなりそうなくらい傾けているのも同じだ。外見も同じなことも相まって、瑞樹と話しているかのような気楽さになってしまう。


しかし、今は気楽にしている場合ではない。その瑞樹が一体どうなってしまったのかを、突き止めたいと思うのは三人共に同じなのだが…。


「でもよ、美月。結局のところ…瑞樹がどうなったかについては、心当たりがないんだよな?」

「…うん。本当に、ごめんなさい。私にも、何がどうなってるのか、さっぱりで…」

「謝らなくても大丈夫よ。別に貴方のせいでもないでしょ」

「…そう、だといいんだけど…でも、もし…私の知らない間に、私が何かしたせいで…って考えたら…」

「いやいやいや、考えなくていーんだよ! そーいうことは!」


また俯いて体が震え出す美月を見て、翔也が上ずった声で制止をかける。美月に泣かれるのはよっぽど苦手なようだ。


「それによ! ほら、明日になれば瑞樹が戻ってきて、また交互に過ごせるようになってるかもしれねえだろ!」

「…まあ、そうなってるのが一番好ましい…わね」


翔也が美月を励ますために挙げた説だが、春海は言葉でも内心でもその説に同意していた。

無理に楽観的な方向に持っていこうとしている…のは否定できないが、そもそも手がかりもない状態で、一般人の春海達があーだこーだと悲観的な見方をするなんてことは無駄でしかないとも考えている。衝動の赴くままに美月の元へ足を運んできたはいいものの、正直今の自分達にできることはないのだろうと春海は思っていた。


「その可能性に賭けて、ひとまず一日様子を見るしかないようね」

「だな。今の俺たちじゃできることもなさそうだな…なあ、美月……美月?」

「…どうしたの?」


美月の様子が、先ほどと違う。

俯いているのは同じだが、体の震えは止まっている上先ほどの泣きそうな表情から一転して、深く何かを考え込んでいる様子である。

まさか何か思い出したのか、と翔也と春海が目を見張った時、美月がポツリと呟いた。







「…死神さん?」


「は?」

「え?」


しかし、美月が呟いたあまりに場違いな言葉に、翔也と春海は思わず顔を見合わせた。


「し、死神? 何のことだ?」

「誰かの、あだ名かしらね?」

「…死神さん。そうだ、もし何かあったとしたら…あの人しかない…!」



いきなり力強く立ち上がった美月。その様子を見て、翔也のみならず普段冷静な春海でさえも慌てた。



「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 私たちにも話してから動いてくれる?」

「そ、そうだぜ! 死神さんって、誰のことなんだ!?」

「あ、ご、ごめんなさい…」



翔也と春海に留められ、シュンと小さくなった美月が静かに椅子に戻った。

ちょっと悪いことしちゃったかしらと春海が反省する間も無く、まだ興奮が微妙に残っているらしい美月が早口気味に話し始めた。



「あの、えっと、ね。死神さんというのは…死神なの」

「…意味が、分からん」

「えっと、だから…あの人は、いやそうじゃなくて…人じゃないの、死神なの」

「…結局、分からん」



翔也と美月の、すれ違いの会話を尻目に聞いていた春海は、眉根を寄せて呟いた。



「分からなくもないけど…納得しがたいわね。つまり美月は…空想の話に出てくるような本物の『死神』に会ったとでも…言うつもり?」



春海の少し苦々しい問いかけに対し、美月はコクリと頷いた。

それでようやく意味を理解した翔也だが、訳の分からなそうな表情は変わらない。



「…マジで、言ってんのか?」

「…マジ、ではあるんだけど……」

「けど?」



言いにくそうにしている美月。春海は続きを促す。翔也は気になって体を乗り出した。



「その…私、だいぶ前に、一回しか会って話をしたことなくて……なんか、最近は、夢か何かじゃないかって、思ってたから……今まで、思い出せなかったのも…そのせいで」

「なんだ…結局、夢なのか?」



翔也はがっかりしたように乗り出した体を戻して椅子に預けるが、春海はまだ軽く身を乗り出したまま、言葉を投げかける。



「でも…会ったことは、確かなのね? それも、『人間』じゃなくて、『死神』と断言できるような、存在に」

「…うん。明らかに目立つ格好なのに、みんなに見えてなかったり…物をすり抜けて、自動販売機から直接飲み物を取ったり…なんか、明らかに人間じゃないような…ことやってた」

「やってること…死神というより、手品師みたいじゃね?」



ポツリと呟いた翔也。だが、美月ははっきりと首を振って否定した。



「…違う。姿は人間なんだけど…肌とか、髪とか…あと、目が。まるで、綺麗な彫刻が動いてるみたいな…なんていうんだろう。非人間的な感じが、凄く強いんだよ。…さっき夢とか言っちゃったけど、でも…こうして思い出してみると、やっぱり夢とは思えない」

「…マジか」


語る美月の言葉には、夢うつつの出来事を語っているようには思えないほどの力強さが戻ってきており、翔也も少し受け入れてきている様子を見せた。とはいえ、突拍子も無いことであるのは確かであり、翔也も春海もまだ100%信じる段階には到底至ってはいない。しかし現状、美月が語ることが唯一の手がかりであるという事実もまた確かである。それに加え、未だに残る疑問を春海が美月にぶつける。


「…そもそもなんだけど。その死神と今の瑞樹の失踪と…どう関係があるの?」

「あの…ね。死神さんと会ったのは、三週間くらい前なんだけど…その時、死神さんが言ったんだ」




『今、お前のように一つの体に魂が二つあるのは上のミスなんだよなー。


『だから近々、再構築が始まるんだよ』




「魂?」

「…再構築?」


未だ話が見えないような二人を前にして、美月は順番に話し始める。


「死神さん曰く…なんか、天使みたいな人達…いや人じゃないんだっけ…とにかく、間違って私の魂が…こうしてこの体に入った状態で、生まれてしまったんだって。本来は…この体は、瑞樹のものなんだって…」

「……」

「……」


美月の言葉の重みがしっかりと感じられた二人は、無言のまま下を向いた。

二人の脳裏に思い浮かぶのは、かつて催眠にかけた瑞樹が語った、春海の日記帳の内容。


『…死のうとして、ごめん…なさい…って。私、なんかがいて、ごめん、なさい、って…書いて、あっ…て』


美月は、昔から自分の存在について苦しんでいた。

クラスでの明るい美月の様子を見ていた春海と翔也は、そういった感情も今や昔のものとなっていると思っていたが…それは思い過ごしであったと、今日思い知らされた。彼女は、取り繕うのが上手かっただけなのだ。三週間前、架空のモノと思われていた存在から自分の魂が誤った存在としてここにいるという事実を知らされた美月の心境は、いかなるものであっただろうか。


「再構築っていうのは、具体的にどうするのかまでは教えてもらえなかったけど…私と瑞樹をそれぞれ別の体…別の人間として、生まれ変わらせるって…言ってた」

「なんだそりゃ…。なんか…壮大だな」


腕を組んで唸る翔也に、春海も無言で同意を示すように頷いた。

天使とか、神とか、今までバカにしてきたような存在の体験談を聞かされることが、こうも心にずっしりくるものだとは思わなかった。こんな話…瑞樹が聞いたらどう思うだろうかと思った時、春海はふと一つ思いついて翔也を小突いた。


「ねえ、翔也。美月に死神が接触したとしたら…瑞樹にも…」

「そうだよ、な。俺もそう思ってた。…一昨日、ちょっと瑞樹の様子、変だったよな」


非常に珍しいことに、翔也は春海よりも一足早くその可能性を考えていた。

一昨日、少し唐突に美月の様子を聞いてきた瑞樹。春海と翔也はある程度事情を把握していたから、瑞樹がそのことを言い出す理由は理解できるのだが、確かにタイミングが妙といえば妙だった。今まで瑞樹が美月のことをあそこまで気にしたのは初めてのことだった。

もし、美月と同じように瑞樹の元に死神が訪れて、二人の魂の話をしていったとしたならば…瑞樹が突然美月のことを二人に聞いてきたというのも辻褄が合う。

だが…二人の相談が聞こえていたのか、美月がまたもはっきりと首を振った。


「あのね…多分、なんだけど……死神さんは、瑞樹には会ってないと思うな」

「…何か、根拠があるのね」


今度は疑うようなことを言わずに、美月の話の理由を話すように促す春海。

美月は小さく頷くと、春海の疑問への答えを切り出した。


「死神さんはね…そもそも、私にも瑞樹にも、この話をするつもりはなかったんだって。本来は秘密にしなきゃいけないことらしいしから。それでも、死神さんが私にこの話をしてくれたのは…私が死神さんを『見ることができた』からだって」

「なんか、さっきも言ってたよな。みんなには見えてないみたいなこと。なんだ? 美月って霊感的なのがあんのか?」

「…ううん。私は幽霊とかは見えないし…そういうのじゃないって、死神さんも言ってた」

「そういうのじゃないって…どういうのだよ?」



眉を顰める翔也だが、何かを考えるように視線を宙に舞わせていた春海が「あっ!」と声をあげた。



「…思い出した」

「何を、だ?」

「『うちの学校の言い伝え』よ。ほら、初めて屋上解放した時に話題に出たじゃない」

「…あー! そうだっ! 思い出した! 図書室で死神に会えるってアレか!」



アハ体験的に思い出した翔也は、思わず一瞬興奮して机を叩いてしまう。美月がびっくりして肩を跳ねる。「あ、悪ぃ」と素直に謝る翔也。


『図書室の赤い椅子に座り、黒い表紙の本を抱えて44分間待つ』


本人は忘れていたが、翔也が瑞樹と春海の前で語った学校の伝承。所詮は誰かが捏造したものだと、話のタネにしかならなかった言い伝えが、今目の前で手触りが感じられそうなほど、身近なものとなって現れている。そして、瑞樹のために…その伝承に触れなくてはならない時が来ていることも、春海と翔也は心のうちで密かに思っていた。





「つまり…これまでの話を纏めると。美月は前に、死神に出会って…美月と瑞樹の体を再構築、だっけ? とにかくそういう話をしていた、と…」

「なるほどな。その死神って野郎が信用できるかはともかく、今の瑞樹に何があったのか、そいつが知ってる可能性が高いって訳だ」



今日、何もできることはないと諦観の気持ちでいた二人の心に、一筋の光明が見えた。ただし、根拠は『死神』というとても非現実的な存在の話。ひょっとするとその光明は偽物の光かもしれない。

しかし、表情にはなかなかださなかったものの、翔也も春海も藁にもすがる思いであったことは確かである。他人のことならば、無理に突っ込もうとせずに待っただろう。しかし翔也と春海にとって、瑞樹は他人ではない。


『友達』なのだ。



「美月。『死神』に会う方法……今すぐ、レクチャーしてもらえる?」

「…うん。また会えるとは限らないけど……私でよかったら、手伝わせて」

「よっしゃ、そうと決まったら…」



目的地は、学校の図書室。

死神に会える伝承の場所へ。

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