二日後
「おはよう、瑞樹」
「おっす、瑞樹」
「おはよー…何してるの? 二人とも」
教室に瑞樹が到着した時、瑞樹の親友二人は何やら二人で財布を取り出してお金の受け渡しをしていた。疑問に思った瑞樹の問いに対し、春海はサラリと答えた。
「ああ、この間翔也に貸してあげたお金を返してもらってるところなのよ」
「なあ!? おい春海…」
「そ、そうなんだ…でも、あまり貸し借り作るのよくないと思うよ」
「大丈夫よ瑞樹。翔也は案外義理堅いから、ここは信用できるわ」
「……お、おう」
とりあえずは、なんとなく辻褄を合わせて頷く翔也。
春海が瑞樹に昨日の分のプリントを渡して、瑞樹が席に戻って確認をしている間に翔也は春海に抗議をする。
「おいこら何変な嘘ついてんだ。お陰で瑞樹から変な印象受けちゃったじゃねえか」
「まさか本当のことを話すわけにもいかないからしょうがないでしょ。それにちゃんとフォローしてあげたじゃない」
「だからってなあ…もうちょっと他に嘘あったろうがよう…」
地獄の底から嘆くような声を上げる翔也に対し、春海はため息をついて声を投げかける。
「わかったわよ。瑞樹に翔也の変な印象を捏造しちゃったお詫びに、今割り勘したアロマ代の半分をキャッシュバックしてあげるから、はい」
「え、本当か! よっしゃありがとうな!」
嘆きの声からいきなり歓喜の声に変わった翔也を見て、瑞樹はびっくりして振り向き、春海はまたため息をついた。
今回の春海の行動に関しては、別に言葉通り本心からの詫びの気持ちではない。瑞樹に催眠術をかけるために買ったアロマが、春海自身も気に入ったので、私用として使うことにした分自腹を切ることにしようと思っただけであった。
「…ね、あのさ」
「ん? どうしたの、瑞樹?」
瑞樹から声をかけられた春海は、翔也の金貸し借りの件についての詳細を聞かれるものと思っていた。が、それはすぐに間違いであると理解した。
瑞樹はやけにもじもじしており、非常に言い出しにくそうに吃っているからだ。まさか翔也のお金の事を聞くのにここまで躊躇することはあるまい。春海の経験則として、こういう時は無理に続きを促そうとせずに瑞樹が言い出したくなる時を待つのが適当だと知っていたので、黙って待っていると、丸々1分かけてようやく思い切ったように瑞樹が言葉を発した。
「聞きたい、ことがあるの…美月のことで」
「っ…」
「!!」
その言葉に春海は思わず小さく息を呑み、翔也に至っては勢いよく瑞樹の方を振り向いた勢いで、危うく椅子から転がり落ちそうになった。大げさにも見える驚き方だが、無理はない。なにせ、意外にも瑞樹が直接美月についての話題を出すのは初めてのことであった。まして一昨日、催眠術で美月のことを聞き出したばかりの時に。
「…何かしら?」
努めて平静な声を出す春海を特に怪しむことはなく、瑞樹は相変わらず言いにくそうに答えた。
「うん…あのね、美月って…最近、図書室に通ってるかどうかって…分かる?」
「…え」
「あ、ごめん! いや、自分でも変なこと聞いてるって分かってるけどさ、その、えっと、でも…知りたいわけが、あって」
言ってしまった後で、改めていかに自分が変なことを言っていると自覚してしまったのか、これまた大げさに慌てる瑞樹。慌て気味なのはお互い様のようであった。
確かに普通に聞けば意図が不明な質問であることは確かだが、春海と翔也に限ってはその意図をよく分かっていた。最近の瑞樹が一体何を気にしているのかも、知っていた。一昨日から。
「瑞樹落ち着いてって。…ごめん、悪いんだけど…美月に関しては、私はよく知らないから…」
「そーだな。美月は…女子グループで固まって行動してっから、俺たちゃあんまり仲良くなれる様子じゃねーからなあ。何やってるかとかは、よくわかんねーわ」
「…そっか。そうだよね、ごめん、変なこと聞いて」
瑞樹の意図は分かっていても、二人の答えは柔らかな否定であった。
しかし厳密に言うならば、これは嘘の否定ということになる。なにせ二人は最近、図書室に現れる美月の姿を見ているからだ。
だが、見たのはその時一回。「通っている」という断定ができるには程遠い。
もちろん「美月が図書室にいるのを見た」という事実を伝えるだけでも瑞樹の意に沿う答えとなっただろう。しかし、この時に限っては春海と翔也の思惑が口に出す前に一致した。
すなわち、あまり瑞樹に「死神の言い伝え」について気にして欲しくないという、別の見方ではエゴとも言えるような感情であった。
少しシュンと小さくなる瑞樹に対し、春海と翔也はフォローの言葉をかける。
「別にいいわよ、どんなこと聞いたって。答えたくないのものなら答えなければいいわけだしね」
「そうだぜ。瑞樹は何かあるとすぐビクビクするけどよ、俺らに対しては遠慮なんてすんなよな? 友達なんだから」
「…ありがとね、二人とも」
春海と翔也の言葉を聞いて、瑞樹は柔らかな笑顔で感謝を言葉を伝えた。
その様子に心の中でホッとする春海と翔也だが…HRのチャイムがなり、椅子にきちんと座り直して前を向いた瑞樹の表情は…まだ何か考えている様子であった。
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放課後
「あ、ちょっと待って、二人とも」
「ん? どうしたの、春海?」
「ぐええっ! お前、何すんだこら!」
帰りのHRが終わった瞬間、親友二人に声をかける春海。
ちなみに翔也の返事だけがカエルに踏みつけられたような鈍い声をであった理由は、春海が翔也の首元の服を掴んだため、HRが終わると同時に部活に行こうと教室を飛び出さんとした翔也の首が一瞬締まったからである。
「あのね…突然だけど、明後日の土曜日。みんなで花火見にいかない?」
「無視すんな! …って、花火だと?」
「そうなのよ、ほらこれ」
翔也にとっては季節外れというイメージになってしまう言葉だが、春海が示したスマホのホームページでは「秋花火」と銘打ったイベントの様子が映し出されていた。
「ちょっと遠いけど、電車で三本なのよ。ほら、夏は海とか行ったけどさ…よく考えたら、まだ花火見てなかったって思ってね」
「確かにそうだね。……へえ、綺麗。ちょっと見てみたいかも」
「…悪くないかもな」
「どう? 二人とも」
伺うように首を傾げた春海に対して、翔也はスマホで予定表を確認し、瑞樹は少しの間沈思黙考する。
「…花火ってことは夜だよな? 午前練さえ終われば後は暇だからいけるぜ!」
「…うん。僕も大丈夫だと思う。行ける…はずだよ」
「そう、なら…決まりね」
春海は安心したように微笑する。一方、未だ首根っこを引っ掴まれたままの翔也がとうとう騒ぎ出す。
「おい! 俺そろそろ部活に行きたいんだけど!」
「あ、ちょっと待って。集合は…●×駅に、午後六時で大丈夫かしら?」
「うん、僕はOK」
「それでいい! 俺もそれでいいからはよ離せ!」
「はいはい。レギュラーになれるよう頑張りなさい」
心にあるんだかないんだかよく分からない言葉をかけて春海は手を離す。
その言葉に反応する時間も惜しいとばかりに、翔也は教室を飛び出していった。
どうやらかつて春海が心配したサボリ癖は翔也についていないようで何よりである。
「…じゃ、一緒に帰る? 瑞樹」
「あ…いや、春海。僕はちょっと…えと、まだやることあるから…先帰ってていいよ」
「ん、わかったわ」
相変わらず煮え切らないような瑞樹の言葉だが、春海は突っ込むことはなく自然に頷いた。
春海にとっては、瑞樹の言葉はもはや疑問になるまでもない事であった。
(図書室…かしらね)
はっきりと口に出せない、けどやりたいことといえば、恋の相手「美月」と「死神伝承」に関係性の調査だろうとは、容易に推測がつく。無論瑞樹は知る由もない、催眠術による情報の成果である。
だが、推測ができたからといってどうということもない。わざわざ図書室まで行って調べたりするのは無駄な行為だとは思っているが、無理に止めることはないからだ。
時間こそ無駄になっても、止めた結果どうしても気になって仕方ないって状況になるよりは、いっそのこと「調べても特に意味はない」ということを実感してもらうのが正しい。そう、春海は思った。
「それじゃ瑞樹、また明後日ね。バイバイ」
「うん…また明後日に。バイバイ」
まだ少しばかり影を残しながらも、いつも通りの笑顔で手を振る瑞樹。
同じように振った手を下ろして瑞樹に背を向けた瞬間、春海の心臓の音が、心なしかいつもより大きく春海に感じ取られた。
(…?)
だが、春海がそれを疑問に思ったのはほんの一瞬だった。
次の瞬間には、ドアを開けた先で目の前を横切った女子生徒を避けるのに、注意を向けざるを得なかったからだ。
その現象に関して適切な言葉を当てはめるとすれば…「虫の知らせ」といった所だろうか。
当たり前のように交わした挨拶。言い方を変えれば『約束』
「また明後日に」
それが果たせなくなってしまうという知らせが。
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二日後。
朝の八時四十三分。
瑞樹と、春海と翔也が交わした約束の日に…『彼女』は目覚めた。
薄ぼんやりとした様子の彼女は…体を起こしかけたものの、未だ残る眠気を前にして再びベッドに倒れこもうとした。
しかしその瞬間、彼女はとある違和感を覚えて…もう一度背を起こした。
「…え?」
自らの体を顧みた彼女は、驚愕した。
今身につけている自分の寝間着が、彼女のものであったからだ。
一見すると、当たり前ではないかと思いたくなる状況だが—彼女にとっては、これが当たり前であることが、おかしいのだ。
彼女の心臓が、大きく跳ねる。
脳裏に浮かぶ一つの可能性を、頭の中で必死に振り払おうとする。
ありえない。そんなことは、絶対にあり得ない。
産まれてからの18年間、一度も、そんなことはなかった、のに。
眠気は綺麗に去っていき、代わりに体に走るのは悪寒。
両の腕で抱きしめる自らの体は、震えていた。
手のひらに感じる彼女の寝間着の感触が、今は逆に気持ち悪かった。
唇は震えつつも、脳内ではあり得ない、あり得ないと何度も繰り返していた。
そっと、ベッドから降りた彼女の視界に映る部屋。それを一目見て、彼女は膝から崩れ落ちた。
「……っ…違う…」
ここは、紛れもなく彼女の部屋であった。
でも、ダメなのだ。それでは、違うはずなのだ。
自分は、彼の寝間着を着て、彼の部屋で目覚めなければならない。そうすることが、当たり前なのだ。
なのに。
…それなのに。
彼女への最後の追い討ちがかかるかのように…彼女の瞳は、確実な現実を見てしまった。
自らの部屋の机の上に置かれている、電波時計。
時刻だけでなく、部屋の気温、湿度。そして今日の日付と曜日までも表示してくれる優れものの時計は、彼女にとって残酷とも言えるほどはっきりした日付を教えてくれていた。
2029年 9月29日 土曜日
「今日は……瑞樹の日…なの、に…」
「なん、で…瑞樹は…どこ……?」
白崎 美月は、強く自らの体を抱きしめ…ただ、震え続けた。
ずっと、ずっと会いたいと願い続けてきた…自らの片割れの消失に、恐怖しながら。
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