昔々。あるところに、一人の男の子が産まれました。
母親の希望は女の子でしたが、希望が違ったとはいえ可愛い自分の子供であることに変わりありません。両親共々産まれてきた新しい生命を祝福し、これからの幸せを語り合い、微笑み合いました。
男の子は「瑞樹」と名付けられました。
体に障害も見当たらない、健全な男の子。
当然、病院の人間も、両親も、そう思って疑いませんでした。
初めに疑問を覚えたのは母親でした。
ある日、母親は瑞樹にゴムボールをあげてみました。飲み込んでしまわないように、大きめのものを。
瑞樹は大変気に入ったようで、ほおっておくと一日中遊んでしまうくらいの入れ込みようでした。
しかし、次の日。なんと瑞樹はゴムボールに全く興味を示さなくなりました。母親が積極的に渡しにいっても、わざわざ遠くへ放り投げてしまうくらいでした。
首を捻った母親でしたが、今度の瑞樹はお人形さんに興味を示しました。
両の手の人形を左右上下に動かして遊ぶ瑞樹の姿は微笑ましく、母親も瑞樹がボールに飽きてしまったのだろうとくらいに考えることにしました。
そして次の日。その日の瑞樹は、昨日のゴムボールを探して泣き出しました。母親が少し困惑しながらもゴムボールを取り出すと、笑顔になって、ゴムボールを投げたり追いかけたりして遊びました。人形には、目もくれませんでした。
さらに次の日。そこには、人形を使って遊ぶ笑顔の瑞樹がいました。
ボールの日。人形の日。両親はとりあえず、そう定義しました。
飽きたとか、気の迷いとか、そんな理由で片付けられないほど、日によって瑞樹が『変わっている』ことに気づきました。
独り歩きができるようになったと思ったら、次の日にはまだハイハイしてたり。
ママ、という言葉を覚えて連呼していたと思いきや、次の日には言葉を喋れなかったり。
まるで、二人の赤ちゃんが一日ごとに交代しているかのような—そんな錯覚を覚えてしまうほどでした。
そして何より決定的で、かつ衝撃的だったのが、瑞樹が『自分』ということを意識し始めた頃でした。
その日、母親は『男』と『女』について、子供用の教材を使って教えていました。
瑞樹は、男の子なのよ。
そう絵を指し示しながら母親が教えると、瑞樹はすぐさま理解し、喜んで何度も『男』の絵を叩いていました。
しかし、次の日。母親が試しに同じことを繰り返してみると、瑞樹の手が指し示したのは、『女』の絵でした。
「おんな!」
そう瑞樹が叫んだことで、母親は驚きました。昨日の瑞樹ですら「おとこ」という言葉は覚えていませんでした。なのに今日の瑞樹は、母親が「女」という言葉を教えるより早く、自分のことを「おんな!」であると主張したのです。
ここまで来て、ようやく母親は今まで目を逸らしてきた自分の息子の異常性を実感せざるを得ませんでした。
両親は相談の上、とある大学の施設 通称「赤ちゃん学研究センター」と呼ばれるところへ調査を依頼しに行きました。
その両親のお願いは、快く引き受けられました。母親は研究センターへ泊まり込みの上で、その二人の生活と瑞樹への教育を、研究員が観察を行う形となりました。しかし、瑞樹の特異性がますます明らかになっていくにつれ、小児医学や心理学の専門家の人々がたくさん関わる事態となり、母親は次第に不安になってきました。
やがて母親のもとに届けられた調査報告書は、以下のような要点をもってまとめられました。
・白崎 瑞樹には二つの人格が存在する。
・二つの人格は、きっかり0時を境に、日替わりで交互に現れる。これは眠っていない場合も同様であり、0時以外の時間を持って人格交代が行われたことは現時点ではない。
・人格の片方は男性。もう片方は女性だと、それぞれ確固とした自覚がある。
このような報告でした。
母親としても薄々気づいてはいましたが、こうして確固とした公的機関からこうした結論を手渡されると、やはり衝撃的でした。
とはいえ、その公的機関を持ってしても、こうして二つの人格が存在する理由は分かりませんでした。
いわゆる二重人格。そう聞いてまず考えられるのが解離性同一性障害における多重人格障害です。一般的にこうした障害の原因とはストレスや心的外傷だと言われています。しかし、健康な瑞樹の体や、笑顔で母親や父親の側によちよちと近づく瑞樹を見れば、そうしたものとは無縁であるとはっきり分かります。
きっかり0時を基準として人格が入れ替わるのも不自然です。実験により、瑞樹本人が全く時間が分からないような状態においた時でさえ、1秒のズレもなくきっかりと人格が切り替わったのです。これには専門家と言えども首をひねる他ありませんでした。
結局、瑞樹の特異性は分からず仕舞いでした。
そして、こうした結果を踏まえた上で、両親は今後のための決断を迫られることになりました。
すなわち、この『二重人格』の治療です。
このまま『二重人格』として過ごすためには、周囲の人の理解や、瑞樹自身の苦悩など、様々な困難が立ちはだかることでしょう。ならば、「普通ではない人間」から「普通の人間」への転換が必要ではないでしょうか。
子供の頃から強く暗示を与えることで、人格を一つに統合する。そうすることで、瑞樹は普通の人間へと戻れます。
しかし、母親の意思はすでに決まっていました。
朝も、昼も、夜も、ずっと我が子に付き添っていた母親だからこそわかる、確実な感覚がありました。
ボールの日の、男の子の人格。
人形の日の、女の子の人格。
二人とも、確かに別の存在であると。
そして…二人とも、確かに私の子供であると。
二つの人格を一つに統合すること。それは、我が子を一人殺すことと同義だと、母親は感じました。
——私は、どんなことがあっても、『二人』を愛したい。
父親は初め、困惑していました。
しかし、母親の熱心な言葉と説得に、その心を動かされました。
——信じよう。君の心と…瑞樹の心を。
両親と、二人の子供の四人家族。
ここに一つの家族が誕生しました。
瑞樹は、物心ついた頃から何度も何度も教えられていたことがあります。
それは、自分の「きょうだい」のことでした。
「ぼくのきょうだいは、どこにいるの?」
瑞樹がそう答えると、母親は決まって瑞樹の頭を撫でながら、こう答えました。
「瑞樹のきょうだい…『美月』はね、あなたの中にいるのよ」
その言葉をちゃんと理解できるのは、まだまだ先のことでした。
当時の瑞樹は、「中にいるんだ」と、そう知ることしかできませんでした。
「ぼく、みづきにあいたい」
そう母親に言うと、母親はただ困った顔をして、それはできないの、と悲しそうな顔をして言うのでした。
「どうして、できないの?」
その質問は、ますます母親を悲しい顔にさせるだけでした。そんな母親を見ていると、瑞樹までモヤモヤした気持ちになってしまいます。瑞樹はそのうち、そんな質問をやめるようになりました。
ただ、母親は時々、美月の写真を見せてくれました。そこには、自分と全く同じ顔をした子供が、女の子の格好をして、母親に本を読んでもらっている様子が映っていました。
「ぼくと、そっくりだね」
瑞樹の声に、母親はそうね、と笑うのでした。
やがて、近所で数少ない「友達」ができると、そのうちのお調子者から、こんなことを言われました。
「おまえ、このあいだオンナノコのふく着てただろー! きもちわりー!」
瑞樹には、全く身に覚えにないことでした。
そして思いついた瑞樹は、あれはきょうだいのみづきだ、と弁明しました。
するとお調子者は、じゃあそのみづきってやつを連れてこいよ、と言いました。
瑞樹は、弁明する言葉を失いました。
この時を機に、瑞樹は段々『自分』と『友達』の差異について、悩むようになりました。
なんで、みんなは「きょうだい」はあえるの?
なんで、みんなは毎日遊べるの?
なんで、ぼくには明日がないの?
なんで、ぼくには昨日がないの?
なんで、ぼくは美月に会えないの?
小学校に上がる直前、瑞樹は母親の説明を、完全に理解しました。
瑞樹に明日がない理由。それは、明日は美月の日だから。
瑞樹に昨日がない理由。それは、昨日は美月の日だったから。
瑞樹が美月に会えない理由。
それは、昨日と明日にだけ、美月がいるから。
『自分の体』を使って、美月が生きていたからなんだ。
瑞樹は、美月を憎みました。
自分の人生の半分が、見知らぬ女に取られている。瑞樹は、そう考えてしまいました。
学校で、友達は瑞樹と距離を置いていました。
共通の話題で盛り上がっていた友達は、次に瑞樹が来た日には、どこかよそよそしかったのです。
ある一人のクラスメイトは、はっきり言いました。「お前、気持ち悪い」と。
同じ人間が、日替わりで全く別人の性格になる。それに対する生理的でストレートな感想が、「気持ち悪い」だったのです。
子供というのは無邪気かつ残酷で、先生がいくら理解を求めても、感情を直接表現することをやめませんでした。
瑞樹に「毎日」が存在しないこともまた、瑞樹を悩ませ、苦しめました。
明日、給食の献立が瑞樹の好物でも、瑞樹は食べることができません。
昨日、楽しい運動会だったのに、瑞樹は出ることができませんでした。
毎日、みんなで大縄跳びを練習してるのに、毎日出れない瑞樹は上手く跳べませんでした。
毎日、みんなは新しいことを習っているのに、瑞樹にとっては知らないことでした。
瑞樹は、昨日、明日、毎日という言葉が、嫌いになっていきました。
そして、美月というきょうだいも、嫌いになっていきました。
——ぼくの好きなデザートを食べたのは、美月だ。
——運動会に出たかったのに…出たのはぼくじゃなくて、美月だ。
——美月がいなければ…ぼくは毎日、友達と遊べるのに…
——美月がいなければ…あんな「きょうだい」さえ、いなければ…
美月と決して会うことができず、不満を本人にぶつけることができないのが、より瑞樹の憎しみを悪化させました。
そして、とうとうある日、瑞樹の憎しみが爆発しました。
一人っきりの部屋の中で、突然溢れた大粒の涙。
小学生の微かな力の限りで床を叩きながら、地に伏せてひたすら大声で泣き続けました。
ぶつける対象のいない憎しみ。
何もかも思い通りにならない、普通にも生きれない自分の人生。
そうした怨嗟の声が、なんで、なんで、という答えの出ない疑問の言葉として部屋中を満たしました。
泣き続けていた瑞樹は、ふと、自らの背中に何か柔らかい感触を覚えました。
「…瑞樹」
母親の声でした。
驚いた瑞樹は、泣いている姿を見られた恥ずかしさと驚きから、一瞬声が止まりました。
「…ごめんね」
耳元に呟かれた、母親の小さな声。
そして、瑞樹の肩に落ちた、一滴の雫。瑞樹のものではない、涙でした。
「でも…お願い。…美月を、恨まないで。あの子も、瑞樹と一緒なの……私のワガママのせいで、ずっと辛くて、苦しんで、それでも…頑張って、生きるって、言ってくれたの…」
「だから…私に全部、ぶつけて。私に、何を言ってもいい。
…でも、美月だけは……恨まないで……お願い」
静かで、震えていて…それでいて…必死な母親の声。
瑞樹の口からは、もはや、何も声がでませんでした。
その日から、瑞樹にとっての美月は「きょうだい」ではなく「他人」となりました。
瑞樹は、母親が悲しんで欲しくないがために、美月を憎むことをやめました。
しかしだからといって、逆に美月を愛することなどできませんでした。
昨日と明日のない、自分の不満だらけの人生については、美月のせいにはせず、ただそういうものと割り切って、時々母親に愚痴を言う。そんな形で発散することにしました。
代わりに、美月の存在を常に頭から放り出し、自分は自分だと思い込むようにしました。
そうすることに支障はありませんでした。
なにせ、自分は美月と出会うことは決してありません。出会えない存在を忘れることは、とても簡単でした。友達が美月のことを話しても、自分はできる限り触れないように、あくまで話したことのない他人として、反応しました。
やがて中学に上がる時、白崎一家は引越しをしました。
新居において、子供の部屋を二つ取りました。つまり、瑞樹の部屋と、美月の部屋を。
瑞樹が唯一美月の存在を感じとってしまう機会、即ち「美月の所有物」を瑞樹の部屋から追い出すことで、瑞樹の人生から「美月」の存在を排除できる。瑞樹はそう思いました。
美月は、日替わりで同じ体を使っている、瑞樹にとって最も近い人間。
そして、決して出会うことのない、瑞樹にとって最も遠い人間。
それぞれ交わることのない平行線。
それぞれの人生を歩くただの他人。
瑞樹も、それを望んでいました。
…あの本を見つけるまでは。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!