さらば従順な羊とギャル

色沢桜
色沢桜

五万とゼロで一万

公開日時: 2021年2月21日(日) 19:00
文字数:2,500

 ぼくらは外に出て服に着替えた。先に着替え終わって待合室でぼうっとしていると、柴原さんが冷えた牛乳の瓶を持ってきてくれた。


 柴原さんは一気に半分くらい飲み干して、「やっぱり、風呂上がりの一杯は最高やな!」と唸った。


「美味しいです」


「そりゃよかった。……なあ、どうや、一葉は?」


「どうって、どういうことですか?」


「仲がいいか悪いかってことや。もしかして、もうやったんか?」


 柴原さんがにやけ顔で聞いてくる。ぼくは慌てて「そんな! やってないです!」と否定した。


「そうかそうか。ピュアな関係か。それとも、勇気がないだけか? ん?」


「そんなつもりもないです! ……でも、まあ一葉さんは素敵な人だと思います。綺麗ですし、優しいですし、行動力も凄いですし」


「べた褒めやの」


「ま、まあ。そうですね」


「なあ、賢治。なんで一葉に付き合ってるんや? もちろん、男女じゃなくてここまで来たって意味で」


「それは、一葉さんに誘われて、それでここまで付いてきて……」


「自分自身で考えなかったんか」


 はっとした。ついさっき投げかけられた言葉が、またやってきた。


「答えてみいや」


「ええっと。ぼくも自分の生活が嫌になって、それで一葉さんの提案も悪くないと思って……」


「心から望むことか? 一時の雰囲気と感情で流されたんじゃないんか?」


 柴原さんの言う通りだ。ぼくは確固たる意志も、目標も持たずにここまで来てしまった。


「賢治、ここで会ったのもなんかの縁やさかい、人生の先輩としてアドバイスするで。賢い羊でも、家畜じゃ無価値

なんや」


「どういう意味ですか?」


「主体性のない奴は、社会の食い物ってことや。飼い主のいう事をよう聞けても、狼の気配に気づけんと、すぐに死

ぬってことよ」


 ぼくは確実に家畜の羊だ。飼い主のいう事をよく聞き、狼に無残に食い殺される運命だろう。


「ぼくに主体性、ないですよね……」 


「気にすんな。これはヤクザもんの独り言だと思って聞いてくれればええ。それと私情なんやが、一葉をよく守ってやってくれへんか」


「ぼくに守られるほど弱くないですよ。今だって、ほとんど一葉さんのおかげで旅を続けられてますし」


「いいや、あいつは見た目以上に脆いで。気丈に振舞っていても、中身は普通の女子と変わらん」


「そうですかね?」


「ああ。今だって賢治がいるからもってるようなもんや」


 柴原さんは残りを飲み干すと、「支えてやってくれ」と言って瓶を回収ケースに入れた。


 すると、一葉さんがちょうど良く上がってきた。


「お待たせ。なにか二人で話してたの?」


「たいしたことやない。ただの男通しの話し合いや」


「なにそれ、男くさ」


 一葉さんが柴原さんの目の前に手を突き出す。


「なんや」


「牛乳代。言っておくけど、口に白いひげついてるから。二人だけ飲んでわたしだけ仲間外れなんて可哀想でし

ょ?」


 柴原さんはため息をつくと、ポケットから革財布を取り出して、一万円札を五枚抜き出した。


「五万円の牛乳があるの?」


「残りの旅費だ」


「やだ、太っ腹。大好きオジサマ」


 一葉さんが嬉々として手を伸ばそうとする。しかし、柴原さんはひょいと少し引いて、一葉さんに取らせなかった。


「条件がある。あと一日二日したら帰ってやれ。親父にも面子があるやろ」


「やだって言ったら?」


「この五万円はおれの生活費になるだけや」


 一葉さんは、ふぅん、と鼻を鳴らすと、一枚だけ抜き取った。


「さっきも言った通り、絶対に帰らないから」


 柴原さんは大きくため息をついて肩を落とした。


「忠告はしたぞ」


「あんな所には居られないよ。牛乳はやっぱりいいや。賢治、もう行こう」


 手を引っ張られて銭湯から出る。柴原さんが寂しそうな目でぼくらを見ていた。


・・・


 ポケットから折り畳み携帯を取り出す。使い過ぎて反応が悪くなったボタンで電話帳を開く。


 電話先は山桐武。電話は三コールくらいで出た。


「もしもし、柴原です」


「久しぶりだな。お前から電話するのも珍しい。カタギの調子はどうだ?儲かってるか?」


「おかげでさまで順調です。組からもらったのもいくつか――ほら、レンタカーショップとかも盛況ですよ」


「礼はいい。どうせ二束三文でどっかに売ろうとしていた事業だ。それに、下っ端にも格安で使わせてもらってるし

な。こっちの方が感謝したいくらいだ」


「恐れ入ります」


「それで、本題はなんだ?」


「嬢ちゃんを見つけやした」


 数秒の沈黙の後、「嬢ちゃんじゃねぇ。あいつはおれの倅だ」と言ってきた。


「ですが、心は女で」


「男だ」


「でも――」


「そんなくだらないことはどうでもいい。どこで会った?」


 反論しようとするも、結局は水掛け論になるだけだ。素直にここの住所を教えた。


「そんな場所まで逃げたのか。ひとまず、情報に感謝する」


「いえ、五万円全部やなくて、一万円だけだったんで」


「どういう意味だ?」


「なんでもないです。ところで、どうするんですか? おれはもう組を抜けた身。これ以上は協力できませんよ」


「わかってる。お前のカタギには邪魔しないつもりだ。そこならそうだな、夜霧よぎりがいるだろう。そいつらに探

させる」


 その名を聞いた時、携帯を落としそうになった。


「夜霧って、蛭野がいる半グレですよ?」


「それがどうした」


「泰我亜の蛭野を忘れたわけじゃないでしょう? 今の夜霧には一葉の元カレの蛭野がいるんですよ。あいつはヤバい。ヤクザの掟も無視する馬鹿だ。どんなことするかわかりません。正直、今あいつがおれのカタギと関わりがあるのも不愉快なくらいです!」


「だからこそ、責任取らせて関西の片田舎のちゃっちぃ半グレに押し付けたんだろうが」


「せめて別の奴に探させたらどうです? だったら、今回はおれが手伝っても――」


「もうシノギじゃねぇお前の話を聞く義理がどこにある。あいつらなら数なら多い烏合の衆だから、すぐに見つけてくれるだろうよ。おれも連絡があり次第できるだけ早くそっちに向かう。そん時は軽く酒でも飲もうや。じゃあな」


 ぷっつりと電話が切れた。


 そうだ。もう自分は組とは関係のないカタギだ。これ以上関わったら、今商売している場所に迷惑がかかる。


 携帯をポケットにしまう。今日は帰ろう。もう、一葉と会ったことは忘れた方がいい。

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