トラックには次の日の昼頃まで乗らせてもらった。最後の方になると一葉さんと長田さんはすっかり打ち解けていて、狭い運転席の中で一昔前の演歌を二人で合唱していた。
長田さんにお礼を言って、適当なコンビニで降ろしてもらう。長田さんもぼくらが見えなくなるまで手を振ってくれた。
深夜から飲まず食わずなので、まずはご飯を買うことにした。運悪くそのコンビニにはイートインコーナーがなく、駐車ブロックに腰かけて食べることにした。
「ここは京都の……なんて読むんだろう。とにかく結構遠くまで来たみたいだね」
一葉さんがスマホを見ながらおにぎりを頬張る。
「それと一つ、悪いニュースがある」
「なんですか?」
「さっきコンビニのATMで試してみたんだけど、クレジットカード凍結されちゃってた。もう一円もお金下ろせない」
一葉さんがため息をつきながら財布からカードを取り出す。
「あとどれくらい現金残ってます?」
「四千円とちょっと。持って三日くらいかな」
「そんな安いホテルがあるんですか?」
「生活費だけの話だよ。もちろん、食費を節約するのが大前提だけど」
切り詰めれば、あと一週間、一日一食で近くの公園で寝泊まりすればいけるかもしれないけど、現実的じゃない。それに、帰りのお金もない。また親切なトラック運転手が現れればいいけど、皆快く乗せてくれるとは限らないだろう。
「どうしようかなぁ。カードは一枚しか持ってないし、現金は朝に服買ったので、結構使っちゃったし」
段々と心の内に不安が広がってきて、昨夜言ったことをまた口に出した。
「なら、もう帰りませんか?」
顔色を窺いながら訊ねる。一晩考えてみたけど、二人で数千円は少なすぎる。ここらで身を引いかないと、帰り時がわからなくなってしまうかもしれない。
すると、一葉さんは顔をしかめた。
「昨日だって言ったじゃん。あと一週間だけだって」
「だって、もう四千円しかないんですよ。あと数日間どうやって過ごすんですか」
「それは節約するよ。もし足りなくなったら適当なバイトでもすればいいじゃん」
「都合よく雇ってくれるところなんて、ありませんよ」
「探さないとわかんないじゃん」
「追われながら生活するのも大変ですよ。もし儀式に出るのが嫌だったら、ちゃんとお父さんと話せば――」
自分が言ったことは至極真っ当だと思った。帰っても親子の関係は続く。今なら許してもらえるかもしれないのだ。
でも、一葉さんは目を吊り上げると、財布から四千円を抜き取って、「だったら一人で帰れば!」と押しつけてきた。
「賢治だって嫌なことがあるからわたしと一緒に逃げてきたんでしょ! そんなにママが恋しかったら早く帰ればいいじゃん!」
「それは……」
「とにかく、あんなところ、絶対に帰らないから!」
受け取れるはずがない。ぼく一人はギリギリ帰れるかもしれないけど、一葉さんが一文無しでここに取り残されることになる。なにより、ここで受け取ってしまうことに良心が痛んだ。
ぼくもなにも言えないでいると、選挙カーが近づいてきた。「蛭野誠一郎! 蛭野誠一郎をお願いします!」と大音量をまき散らして道路を走っている。
すると、一葉さんがはっと顔を上げた。目を縫いつけられたかのように凝視する。
「どうしたんですか?」
問いかけるも反応はない。拳をぎゅっと握りしめて、小さく震えている。ぼくが軽く肩を叩くと、我に返ったように、「ごめん。昔のこと思い出しちゃって」と言った。
「なにがあったんですか?」
「賢治には関係ないよ。……苗字が同じだけだから関係ないはずだし」
「苗字?」
尋常じゃない反応だ。ぼくが言及しようとすると、それを遮るように「行こう」と、四千円を財布にしまった。ぼくも慌てて後を追った。
そこから西に向かってひたすら歩き続けた。観光なんてする余裕もなく、ただただ無言で歩き続けた。今更謝罪になんかに意味はなくて、逆に居心地を悪くするだけだろう。
次第に日が落ちてきて、夕食を買うためにまたコンビニに立ち寄った時にやっと、「今日、どこに泊まろっか」と数時間ぶりに一葉さんが口を開いた。
「ホテルは無理だと思います。公園で野宿するしか……」
「気温的にはちょっと寒いけど、無理ってほどじゃないなぁ。問題は警察だけど」
一葉さんの声音は平穏そのものだった。それでも不安で、つい野暮なことを聞いてしまう。
「あの、もう怒ってないですか?」
「無粋だなぁ。あれは数時間前のことじゃん。あれはあれで終わり。それがわたしのポリシーで性格なの。それより
寝る場所だよ。あーあ、格安のラブホないかな」
「ラブホってなんですか?」
「ラブホテルの略」
「普通のホテルとなにが違うんですか?」
すると一葉さんは信じられない物を見るかのように眉根を寄せて、「そっか。昨日の時点で気づいてなかったか」
と、呟いた。
「大人になればわかるさ」
「一葉さんだって未成年でしょう」
「精神的に立派って意味。ちなみに、二十歳超えててもガキはいっぱいいるよ」
人気のない道沿いを歩き続け、気づけば夜になっていた。風が少し強い。屋根がある場所で寝なければ、間違いな
く風邪を引いてしまうだろう。
一体どうしたものだろう、と考えていると、一葉さんが古ぼけた神社を指差した。
「ねえ、あそこはどう?」
指差す方向には古ぼけた小さな神社があった。人の手入れがされていないようで、苔が生えた鳥居に、ところどこ
ろ欠けている狛犬。お堂に至っては、戸が半開きになっている。
「壁も屋根もあっていいじゃん。お金もかからないし」
「汚いですよ。それに、防犯上よくないと思うんですけど」
「寝るところだけ拭けばいいし、こんなところに来る人いないでしょ」
「罰当たりかもしれませんよ」
一葉さんは、むう、と唇を尖らせると、神社に向かって手を合わせてお辞儀をした。
「はい、これで大丈夫!」
「そんな適当な」
「ウチのでっかい神棚に毎日挨拶してたから、神さまも許してくれるでしょ」
「一葉さんがですか?」
「ウチの組員が」
悪びれずにそう言うと、ずかずか神社に入っていった。ぼくもついて行くしかなかった。
お堂の中はがらんとしていた。小さな神棚らしきものはあるけど、それ以外にはなにもない。意外にも掃除がされている痕跡があって、床に土埃はなかった。神主さんが掃除でもしてるんだろうか。
一葉さんはポーチを床に置いて枕代わりにし、「まあまあかな。今日は寝れればいいし」と寝っ転がった。
「賢治も遠慮しないでいいよ」
「ここ神さまの部屋ですよね」
「寛容な神さまだっているよ」
「厳しい神さまじゃなかったらいいんですけど」
でも、他に当てはない。諦めて一葉さんと同じように寝転がった。
長い時間歩いたせいで脚がパンパンだ。どっと疲れが押し寄せてきて、睡魔はすぐにやってきた。
一葉さんはもう寝息を立てている。ぼくも眠気に勝てず、意識は深い沼に落ちていった。
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