後編②
■ アマノイワフネ
「遥祐!」
ヒナは対決を放棄して搭乗口に向かった。ニギハヤヒは軽蔑のまなざしを投げた。邪魔者が自主的に退去するのであれば、深追いする必要はない。イワフネを確保できればそれでよい。
それが彼の方針だった。
「死なないで! 書籍化の話はどうするのよ!!」
心の拠り所が力尽きてボロ布のように遠ざかっていく。ヒナは濡れ羽色した翼をひろげた。八咫烏は大宇宙を渡り歩く高次知能集団のエリートである。田實ヒナという地球人の容器(いれもの)など取るに足らない存在だ。それなのに宿主の執着心が意識を支配する。もとの肉体はとうに消滅し複製に複製を重ねた今もなお、オリジナルボディの願望がこびりついている。
いや、地球人類のアップロードなど、和蘭坂遥祐や作家デビューに比べれば、非常に価値の低い項目だ。
「遥祐、遥祐! ヨエコやエリスを喪って、貴方までいなくなったらどうすればいいの?」
アマノイワフネをが姿勢を立て直し、星の輝きに紛れ込んでしまった。
「どうでもいい。助かって! 遥祐!!」
ヒナが翼を閉じて、急降下を開始した。
その瞬間、彼女は意識を失った。
■ 生駒山脈(承前)
瀬織津姫は切々と訴えた。ニギハヤヒは藤野祥子を斬首して返り血を浴びようとしている。ゆがめられた自分を取り戻し、瀬織津姫と再会を望んでいる。
「アウトカムの利己心に殺されるなんてまっぴらごめんだよ」
祥子はアンチ・アマノイワフネから配達品を降ろした。スミンが受領書にサインをしている間に重機で弓を組み立てる。
「アマノハバヤは饒速日の武器ですよ? 効果があるわけないでしょう! それにどうやって番えるんです??」
ヒステリックに叫ぶ少女武装SS。
「わたしはあの人の妻です。そして瀬織津姫であります」
女神はそういうと、巨大な弓を見やった。
その向こうにサジタリウス、射手座が輝いている。
「射手座には悲しいエピソードがあるのよね」
スミンは部下のために星座の物語を聞かせた。
神話の時代、地上には人間の他に巨人や半人半馬(ケンタウロス)が住んでいた。なかでも巨人クロノスの長男ケイロンは優秀で立派な若者だった。
彼は医学や薬草の栽培法を習い、数多くの命を救った。めざましい業績を挙げたケイロンは腕を買われ、ケンタウルス族の教師として英雄と目される人々に知識を分け与えた。その中にのちの英雄ヘラクレスがいた。
ある日、彼が勝利の美酒に酔っていると、ケンタウルス族のチンピラ(死語)二人に恐喝された。
しかし、ヘラクレスに反撃され、彼らはケイロンの自宅に押し掛けた。匿ってくれと迫る二人をヘラクレスが射止めようとした。
運悪く、流れ矢の一つがケイロンの膝に刺さった。先端には致死量の猛毒が塗ってあり、不死身のケイロンは死ぬことも出来ず、未来
永劫もがき苦しむ運命にあった。弓道も薬学もケイロンがヘラクレスに授けたものだ。
いったい彼がどんな罪を犯したというのか。理不尽な責苦を見かねたゼウスは、ケイロンを星座に変えてやることにした。
だが、ケイロンは惜しい逸材だ。ケンタウルス族は大いに嘆き悲しみ、射手座を眺めることで心を癒したという。
「わかった! ケイロンに射抜いてもらうんだね?!」
祥子の大脳皮質が虹色に輝いた。
「そうよ。神話の神々はどういうわけか生物を星座の世界に転生させるスキルを持ってるの。なら、逆もしかり。ケンタロスを召喚できるはず」
スミン・クローネのムチャクチャな論理展開に女子将校が怒った。
「そんなことを実現する技術がどこにあるんですか」
「ここにいるわよ。瀬織津姫は人間の女性という肉体を持ちながら織姫星として崇められている。虚構と現実を自由自在に出来るスキルを持ち合わせているのよ。というわけで、お願いします」
スミンがぺこりと頭を下げると、ニギハヤヒの妻は笑みを浮かべた。
「そ、そんなことって」
頭を抱える少女を祥子がたしなめる。
「ここをどこだと思っているの? 異世界転生がまかり通るライク・ア・ライターのお膝元だよ」
◇ ◇ ◇
緋毛氈(ひもうせん)の胴衣に真紅のドレープカーテン。しゃんと屹立する四脚の間をくぐり抜けると、濃紺のニット生地が引き締まった筋肉に食い込んでいる。
「ぱんつ……履いてるんだ……」
祥子が分厚い緞帳をかき分けて顔を出すと、ヒステリックな声が降ってきた。
『ちょっ!! 見ないでくれる?!』
聳え立つ前足に瀑布のような赤髪がかかっている。
「メンゴ、メンゴ」
バツが悪そうに頭をかく祥子。その胸元を疾風が駆け抜けた。セーラー服が一瞬で襤褸と化し、毛むくじゃらの塊が地面に転がった。「ひゃん☆」
褌一枚に剥かれたハゲ天使が青ざめている。その一歩先で金属製の棒が震えている。
ごつい腕が突き刺さった矢を引っこ抜く。
「聞かないから身体でわからせてやった。思い知ったか! あ?」
ボーイソプラノが吼えまくる。
ケンタウルス族の女傑ヒュロノメーだ、
「オトロシイ……」
ハゲ天使が縮こまっていると、スミンが忠告した。
「彼女は社会的喪失の悲しみや大衆規模の痛みを司る神様よ。下手を打つとコロされます」
瀬織津姫はケンタウルス族で一番の凄腕を呼び寄せた。アマノハバヤの予備はない。
「フン。隣接星座のよしみで手助けしてやるんじゃないんだ。そのアマテラスとかいうクソ野郎の死に様を拝んでみたいのさ」
ヒュロノメーは来た早々ツンデレぶりを発揮した。
「毒は用意してあるんだろうね?」
催促されるまでもなく、スミンはボトルを取り出した。
「八鹽折(ヤシオリ)の酒です。ビルベリーの葉を絞って造った猛毒です」
ヤシオリとは八岐大蛇を殺害するために神々が特別に醸造した果実酒だ。日本書紀に明確な製法は書かれていないが、ドイッチェラントの化学者は世界一だ。レシピはほぼ解明されている。
その主成分アントシアニンは細胞増殖抑制物質の頭文字をとってキロンと称されている。ビルベリーはノルウェーなど日照の少ない高緯度地域に咲くハーブの一種である。白夜が続く季節の昼間に紫外線をたっぷりと蓄積するため、濃い青紫色をしている。ビルベリー含有のアントシアニンは、真核細胞生物に広く内在する増殖周期制御因子にブレーキを踏ませる。
「要するに体内時計を遅らせて細胞分裂の歩みをストップさせるのよ。主観的な時間認識が狂えば、今起きている現象をまともに理解できなくなる!」
スミンはアマテラスの万能力を毒矢で封じると明言した。
なるほど、我々の住んでいる宇宙は人間の認識が実体化する世界だ。魔法もダイマー能力もすべて術者の意志を実現している。
施術者の脳が狂えば、魔法も成立しない!
「キロン……か……。笑わせてくれるね」
ヒュロノメーが毒酒を睨んだ。
■ TWX1369
戦闘指揮車両は完全に野戦病院と化していた。並んだ救命器具やコード類をかき分けて看護婦が社交ダンスを踊るように動き回る。スカートからヒップが丸見えになるのも気にせず応急処置に励んでいる。生命維持装置が警報を合唱する。
血だらけの介護ベッドでは衛生兵が懸命に止血処置を続けている。回収した少年は裁ちばさみで学生服を切り取られ、半裸に近い。
偽エリスが顔を赤らめながら虎縞のトランクスにハサミを入れた。
「恥ずかしかってないで、尿道カテーテル持ってきて!」
熊のような看護婦がどやしつける。患者の心拍数は50を切っている。
少女の方もぐったりしている。ラッシュガードとパレオが剝ぎ取られ、下に着ていたビキニパンティも裂かれる。
「あん☆」
ヒナはアンダーショーツを奪われまいと身をよじらせる。
「貴女(あなた)元気そうね。この子とお話しできるかしら?」
タイミングよくハーベルトが超流動体の檻を開けた。
「ヨエコ?!」
奇跡の再会にヒナは涙を流す。固く抱き合う二人の前髪に電動バリカンが差し込まれ、綺麗な黒髪がバサバサと落ちていく。
「尋問する暇もないし。拷問する気もないから。我慢して」
ハーベルトが角だらけのヘルメットを被せた。
電極を通じて八咫烏の記憶が丸ごと国立研究所に転送される。膨大な情報が通信帯域モニターを白熱させた。量子AIが瞬時に取捨選択して最適解を弾き出した。
「気を……つ……けろ。ニ、ニギハヤヒは……」
「喋らないで!」
青息吐息の遥祐を偽エリスが押さえつける。男は右手を保温シートから出して、空気をまさぐる。何かを伝えようとしている。
ハーベルトがベッドサイドの心電図モニターを戦術ディスプレイにリンクした。国立研究所の解析結果がリストアップされる。
ぐいっとアームを遥祐に向ける。ヒナとアマテラスの口論を含めて、アマノイワフネ船内の様子が動画再生されてる。
「開放系エントロピーを実現したって本気で思ってるわけ? あの外来異生物(バカ)はガチで信じているようだけど」
「……嘘ではない」
ハーベルトはふぅっとため息をつく。
「残念だけど、それは錯覚よ。仮想粒子というものがあるわ。素粒子の反応過程において、実在を考慮すべき便宜上の粒子よ。例えば真空の世界は空っぽではなくて、反物質と正物質が発生と消滅を繰り返してプラマイゼロになる。開放系エントロピー機関とやらは、本来ならば相殺すべきエネルギーを計上しているに過ぎない。インチキよ!!」
するとアーネンエルベの量子AIが関連資料を示して補足した。
「連想させる記述が古事記にあります。天地開闢の時に別天津神(コトアマツカミ)という神が現れて、すぐに消えたと伝えています」
画面上で神々の系統樹が育っていく。
「仮想粒子の事を言っているのね。 この系譜図にある天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)というのは始祖神(しそしん)? すぐに隠れたというけど」
ハーベルトが腕組みすると、遥祐がうめいた。
「そうだ……アマテラスは別天津神に仕えていた。それが開放系エントロピー機関の動作原理だ」
彼はそう言うと、意識を失った。
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