リンドバーグ・ウォール
■ B-2 スピリット・オブ・テキサス
そのシルエットはハーベルト麾下(きか)の特殊工兵部隊によって洗練されたスペースクラフトに魔改造されている。もともと高高度を巡行する戦略爆撃機は大気が希薄な場所に適合しており、それを月遷移軌道(シスルナー)で運用可能にすることは困難ではなかった。メインスラスターはジルバーフォーゲルのスラッシュ水素エンジンに換装し、機体全部を旅人の外套効果で密封した。その他にも数え切れないほどドイッチェラントの技術で改良されており、本初始祖世界(ソースコード)のハリウッド特撮映画に登場しても違和感のないデザインだ。
漆黒の全翼機は、その曾祖父であるホルテン爆撃機を思わせる重圧感にもかかわらず、ふわりと離床する。
格納庫の照明が流星のように過ぎ去り、頭上の太陽が西へ沈むと、遠ざかっていくソーラーエクスプレスが見えた。
そして、かわりに帯状に広がった来訪者の群れが風防の半分を占めた。
その頃、祥子は爆弾倉を改造した居住区の一角で我慢大会に近い責め苦を受けていた。西部開拓時代の牧婦姿をまとった彼女はカプセル型の容器に押し込められ、天井から降りてきたクラムシェル型のブラインドで密封された。触手のようなベルトがうねうねとカプセルを固定した。
「むぎゅ~出してくれよぉ」
祥子の嘆願もむなしくアナウンスがカウントダウンを始めた。
「交渉パッケージ、射出します」
次の瞬間、祥子は強烈な衝撃に張り倒された。
――
気がかりな夢から祥子が醒めると、そこは平坦な世界だった。空はコーヒー色でクリームを流したような雲が渦巻いている。風は凪いでいて、立ち上る湿気がスカートの中に籠った。振り返るとカプセルが貝のように開いて天を仰いでいる。
「うええ、ここはどこ?」
祥子が片膝を立てて腰を浮かそうとした時、地鳴りがした。それは暗く、くぐもった人間の声によく似ている。
あちこちからざわめきがおこり、それがひとつに集約される。ノイズ混じりだった声が鮮明に聞こえる。
「計画的に宇宙を倒壊させようという勢力に加わる覚悟はあるか?」
どすの利いた声が祥子にやたら高尚で哲学的な命題を突きつける。
「そんな抽象的な質問をぶつけられても。それより、キミが来訪者なの?」
祥子が目をキョロキョロさせるといきなりダイマー共有視野にトーガを纏った美人があらわれた。
「質問に答えよ。破壊活動に参入する覚悟を決めるか、否か?」
美貌に似合わぬ怒声が祥子の内耳に突き刺さる。しかし、強引であればあるほど彼女は反発する。
「おばさん! ボクは貴女(あなた)と交渉するよう言われてきたんだ。しかも、いやいやだ。高飛車な態度に出られるとますますボクは嫌いになるよ。もっと優しくできない?」
すると、来訪者の姿が歪んだ。それが分散したかと思うと、虹色のスポットライトが祥子の身体をまさぐった。
「ひぁ☆」
祥子が着衣であるにもかかわらず恥ずかしそうに身をよじらせると、唐突に光が消えた。
「ペリドットやメタンハイドレートと交流があるのなら、なぜ先に言わないのですか?」
来訪者は打って変わった丁寧な口調で違う質問をした。祥子は頬を赤くそめたまま、ぺたりと地面に腰を下ろす。M字開脚した隙間にレース飾りのついたドロワースが垣間見える。
「なんなんだよ。いきなり。そうだよ。ボクらはモンゴルやカルフォルニアや南極の知性(ひと)たちと友達だよ」
「なるほど。我々を脅かす恩知らずとは敵対しているのですね。それならば、話は簡単です」
来訪者は地球が置かれている深刻な状況を詳らかにした。地球人類の行く末は量子力学の不確定性原理によって髪の毛の本数よりも多く枝分かれしている。その分岐の一つが宇宙の最終ステージを見届ける勢力に連結している。ところが、それを良いことに因果律をさかのぼって宇宙の脚本に介入しようと目論んだ結果、とんでもない結果を招き寄せた。
宇宙規模の不協和音、リンドバーグ・ウォールである。
現在、エーデルヴァイス海賊団の選択した世界線のあちこちで生じているリンドバーグ・ウォール現象は宇宙に巻き起こった不協和音の一種である。
藤野祥子という個体はヒトラー・ユーゲント党員ハンス・シュティールのX染色体を遺伝しており、リンドバーグ・ウォールと強く結びついている。
「それでボクは……、でも、どうしてボクじゃなくちゃいけないんだ?!」
祥子は明かされた出生の秘密の一端に触れて、激昂した。
■ スピリット・オブ・テキサス
「交渉パッケージに局所規模、極大のリンドバーグ・コーリング発生」
状況をモニタリングしていた担当士官が慌てて報告する。
「彼女を特使に遣らせたのは判断ミスだったわ!」
ハーベルトが頭を抱える。
カプセルはB2から百メートルの距離に浮かんでいる、
ダイオウイカに似た単眼のアウトカムがそのすぐそばに漂っている。
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