リビング・ストレージ
■ 蜂狩港 第六突堤(承前)
祥子は居ても立っても居られず、救急隊員に何か手伝える事はないかと尋ね歩いたが、行く先々でけんもほろろに断られた。人工呼吸や心臓マッサージなどの救命措置は訓練を受けていない素人でも出来なくはないが、加減を間違えば命取りになりかねない。
例えば心臓マッサージで患者の胸部を無理に圧迫するだけで肋骨が簡単に折れてしまう。しかし、ある程度の体重をかけて胸を押さないとマッサージにならない。
意気込んでいた祥子がすごすごと戻ってきた時、ハーベルトと新人乗務員の口論が続いていた。
「……確かに、私たちのこの身体(ボディ)は本初始祖世界(ソースコード)で製造されたものです。しかし、この個体は培養工程の不手際で生命維持機能が欠損していた。おまけに内臓のあちこちにひどい感染症を併発していて時間の問題だった」
ヨエコは自分が命の恩人であると言わんばかりに正当性を主張していた。
「だからと言って部外者が勝手に奪っていい理由はない。人間には死ぬ権利というものもあるわ」
ハーベルトが顔を真っ赤にして激怒している。
「では、どうして私たちを助けたんですか? 人間じゃないと知っておきながら」
田實ヒナが瞳に憎悪の炎をくゆらせる。
「貴女(あなた)たちの良心を信じたかったのよ。【高次知能集団】は宇宙の文明残滓を拾い集める腐肉処理業者(スカベンジャー)だというね。悪意の受益者じゃない。それに枢軸特急にはこの子が乗っているわ」
ハーベルトは偽エリスを指さす。少なくともヨエコたちは敵ではないと認識している。
「ハーベルト、どういうことなの?」
途中から話に加わった祥子が詳細説明を求めた。すると秘密警察(シュターツカペレ)の刑事がハーベルトにジュラルミンケースを渡した。飛行神社でTWX1369を検分した時の女だ。ハーベルトが部下を紹介する。
「彼女はゲルデ・ベッカー警部大尉(ハウプトマン)。ゲルデ、こちらは藤野祥子武装親衛隊少佐(マヨーヤ)」
「よろしくお願いいたします。警部大尉」
ハーベルトは手袋をはめたままケースから慎重に証拠品を取り出す。厳重な梱包を解くと傷だらけのインフォプレナーが出てきた。スイッチを入れると電源が入る。画面をタップすると割れた翡翠モニターにアドレス帳がぼんやりと表示される。
スタートアップが面は水害被災者向けのポータルサイトに固定されていて、そこにライク・ア・ライターのリンクが巧妙に隠されている。
「兵器工廠から押収した端末です。いろいろと捗りました」
それを見せつけられてヨエコとヒナはぐうの音もでなかった。
ベッカー警部は捜査段階であると断ったうえで現時点でわかっている事を打ち明けた。アドレス帳の登録者を洗ったところ、溝口組の幹部が浮かんだ。そこから関係先を一斉家宅捜査して意外な事実が次から次へと発覚した。
本初始祖世界――コード1986当時、摂津県を騒がせていた事件があった。ヒ素入りの食品を流通経路に混入してメーカーを恐喝する手口だ。ターゲットになった食品会社は過去に誤ってヒ素で汚染された製品を販売してしまった経緯がある。もちろん、被害者に謝罪してきちんと補償した。そのトラウマに付け込む卑劣な犯行だ。
「被害者の何人かが健康被害と引き換えに特殊な才能を発芽させたんです」
ベッカー率いる捜査チームは本初始祖世界に出向き、枢軸特急で犯人グループの足取りを追った。その立ち回り先に溝口組のフロント企業があった。摂津県と大阪府の県境にまたがる出屋敷(でやしき)市。重工業が盛んで、町工場で多くの期間工が働いている。収入が不安定な彼らに寮など福利厚生を提供していたのが溝口組だ。
下請企業のいくつかは地元の蜂狩工大と提携して基礎研究を行っていた。量子物理学からバイオテクノロジーまで幅広く取り組んでいる。どこかの分野に金の成る木が潜んでいるからだ。その研究グループの一つが砒素と健康被害の相関に気付いた。もともとは青緑色レーザー光線の実用化に取り組んでいたのだ。これは21世紀のこんにち、ブルーレイなど大容量ディスクの読み書きに利用される。
そして砒化ガリウムは人体に有害であるが、大脳辺縁系の活性化を促す実験結果が出た。
「ちょっと待って。砒化ガリウムって、エフゲニー・ローズバードがウィグナー結晶体に変化させた物質じゃないの?!」
偽エリスは「断絶の航海事件」の記憶を思い出す。確か、連合国(ステイツ)の大統領はその成分によってヒトともメカともつかぬ生命体に変貌した。そして、藤野祥子の意識すらも吸収し、生命の樹を育てた。
重巡洋艦ノーザンプトンからスミン・クローネが降りてきた。
「田實ヒナと倉沢ヨエコは溝口組傘下のバイオテクノロジー企業が創り出した製品ですよ。人造人間とはいかないまでも、生身の人間をベースに改良が施されています。いわば、生きた記憶素子」
なるほど、二人の少女にヤンガードライアス彗星人の意識が意図せず「ダウンロード」されたというなら、つじつまがあう。しかし、溝口組の意図がわからない。彼女たちのようなウィグナー結晶体人間が何の役に立つのだろう。
祥子が率直な疑問を述べると、スミンは「あくまで推測ですが」と断わったうえで、仮説を述べた。
溝口組の運営する聖イライサニスは総合メディア学園だ。タレントの卵にウィグナー結晶化を施せば鬼に金棒だ。どんな脚本も丸暗記できるし、どれだけ複雑な歌も踊りもひと目で完璧にマスターできる。本初始祖世界における反社会的勢力と芸能界の癒着を鑑みれば、至極当然のなりゆきである。
「でもさ、スミン。その子たちが聖イライサニス学園じゃなくて、曳航学園にいたなんておかしくね?」
「そりゃ溝口組だもの。ライバル校に送り込むぐらいのことはするでしょう」
眼鏡っ娘はさもありなんとという顔で二人組を睨んだ。
ようやくヨエコが口を開いた。
「そこまで調べ上げているですか……」
「陸軍兵器工廠で使った手口そのものが募穴を掘るなんて思いもよらなかったでしょう。背後関係がバレバレよ。インフォプレナーにスクリプトを仕込んでハッキングを図るなんて”いかにも『地球的』なアイデアです」
「……それで、私たちはこれからどうなるんでしょうか?」
ヒナが震え声で言う。ベッカーは憎悪の視線をハーベルトに投げる。
「状況証拠だけで公判維持できるわ。本当なら国家保安本部にしょっ引いてやりたいんだけど……」
しかし、それはできない。エルフリーデ・ハートレー大総統の白紙委任状を握るハーベルトが超法規的措置で容疑者の身柄を預かっている。
「で、ハーベルト。どうするんだよ」
惨劇の現場は医療機関やマスコミが入り乱れて相変わらずのカオス状態だ。
「放置プレイにはちゃんとした理由があるのよ。聖イライサニスの生徒がタレント特化型人造人間であるなら、こういう突発事態は格好のテストケースよ。歌って踊って芝居をするだけが芸能人の仕事じゃないものねぇ」
ハーベルトは量子オペラグラスを持ち出して、異世界逗留者達に配った。
「あっ、突撃レポーターとか警視庁24時とかそういう類の?!」
「そうよ。祥子。製造者なら製品の可能性を知りたいはずよ」
ハーベルトは双眼鏡で熱病/咆哮ネットワークノードの濃度を探った。はたせるかな、救急車を縦にしてトレンチコート姿の女がモニター機器らしき物を女学生の列に向けている、
そして、ハーベルトと目線があった瞬間、ギョッとして脱兎のごとく走り出した。
「あいつよ。重要参考人を追って」
ハーベルトがダイマー共有聴覚で身柄拘束を命じる。
巡回中の武装親衛隊員がワッと襲いかかる。女はコートを脱ぎ捨て、走りながら下に着ていたセーラー服のスカートを引き裂いた。
体操着ブルマ姿になると、桟橋から泊めてあった舟にひょいっと飛び移った。
サイズは四人乗りのゴムボートよりやや大きい。小さい割に馬力がある。あっという間に白い航跡を曳いて遠ざかっていく。
「船を逃がさないで」
ハーベルトはノーザンプトンの射撃統制装置に魚雷と対艦ミサイルの使用を許可した。
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