踊る海馬の血風録(サステナブル・フレームワーカー) 菩提樹
■ ベルリン大聖堂(承前)
王冠に似た丸いドームの頂上部が爆散した。まばゆい光の帯が次々と空に伸びていく。その輝きが破孔部を一周すると、ドームが真っ二つに割れ、巨大な樹木がゆっくりとせりあがった。
菩提樹である。
ウンダーリンデンの菩提樹は正確には西洋菩提樹だ。またの名を西洋シナノキという。ヨーロッパでは古くから楽器の材料や彫刻用として利用されてきた。
そして、蜂蜜のみなもとである。それを明示するようにドラム缶ほどもある大きなミツバチが飛び出してきた。聖堂の周囲に群がっている。それらは散策庭園(ルストガルテン)で猛威を振るうマルドゥーク神に狙いを定めた。
ブンブンと地面が震えるほどの唸りを立てて頭上に殺到する。荒ぶる神は本能的に脅威を感じ取ったのか、集会者に対する攻撃を中断した。そしてとぐろを巻いて頭を中心に沈めた。彼は闖入者の正体を知っているのであろう、外来異生物(アウトカム)であると。
「ふーはっは! まさかイソップ物語の『ハチとヘビ』の章を知らぬはずはなかろう。グリム兄弟を輩出した童話王国ドイツ人どもよ」
イチゲロフは土壇場で切り札を用意していたようだ。形勢逆転の一番手とばかりにハチをけしかけた。マルドゥーク神がコテンパンにやられ、頭部がパンパンに腫れている。それでもなおモンスターハチの頭部集中攻撃はやまない。
耐えきれずTWX9421号に向かってきた。
「線路上に異物。猛スピードで接近中」
射撃統制システムがマルドゥークの進路図を予想し、はじき出した。火器管制装置が戦力評価を済ませたとたん、戦闘指揮車両に火がともった。シミュレーションによれば直撃コースはわずかに逸れていた。
「心配無用。列車の真下を通過する予定です」
スミン・クローネが「際どかった」と安堵した。
それを裏付けるように、マルドゥーク神は一直線にトワイライトエクリプス号と交差する。
――と、その時。
激しい爆発音と突き上げるような衝撃に見舞われた。台車のセンサーが異常を検知した。
「マルドゥーク、何をしようと、犬!」
突発的な上下動によりハウゼルは舌を噛んだ。「……しているの」というべき所を「いぬ」と発音してしまった。
あろうことか蛇が頭を台車に打ち付けている。頭上の脅威を抹殺するために衝突を繰り返している。頭頂が台車に触れるたびに、幽子情報系(ソウス)の粒子が飛び散る。
彼女言う通り、バビロニアの守護神は何をしようとしているのか。
「あいつよ。あいつらがウザ過ぎるから、わたしたちに轢かせてるのよ」
偽エリスは量子オペラグラスで空中の残滓を観測してみた。思った通り、モンスターミツバチとワールドクラスが一致する。
ハチの根絶はなかなか難しいようでヘビは苦痛のあまりの空中をのたうち回る。
ドシンドシンと何度も揺れが繰り返している。
「――思い出しました!」
スミン・クローネが振動に触発されて天啓を授かったようだ。ハウゼルがちら、とスミンを見やる。
「いいえ、皆まで言わせてください。この状況はイソップ童話そっくりです。昔、母に読んでもらいました」
「知ってるわ。わたしのお母さんはそういうタイプじゃなかったけど、そういうことならば!」
ハウゼルは在りし日を振り切るようにギアを切り替えた。ぐんぐん加速してマルドゥーク神の前方へ回り込む。
けたたましい量子汽笛が博物館島全体を震わせる。そして、最後の衝撃がマルドゥーク神の脳天を砕いた。
世の終わりの到来を告げる断末魔。車輪はマルドゥークの頭蓋にメリメリとめり込んでいく。
蛇とハチの童話は馬車によって救いがもたらされる。蛇は頭を車輪に潰されることで蜂の抹殺を達成したのだ。
■ 西洋菩提樹 先端部
「ふーはっは。アウトカムの献身によって堂々たるアンテナが聳え立ったぞ、見よ」
イチゲロフは菩提樹の天辺で勝ち誇った。傍らにエフゲニー・ローズバード大統領を従えている。その反対側にはエルフリーデ・ハートレーが静かに佇んでいた。
二人とも無表情で顔面蒼白している。挙動もぎこちない。おまけに虹彩に人間離れした光を宿している。
ルビー色の発光ダイオードが常夜灯のようにぽつりと点いている。
「エジソン。トーマス・エジソン。聞いているのか?!」
彼は天に向かって返事を求めた。だが、呼べど叫べど反応がない。
「フン。値踏みしようって?。それとも俺を亡き者にして成果物を横取りするつもりか? いずれにせよ、待つのはお前の破滅だ。終末期異論人をどうにかしたいのなら、送信アンテナは必要不可欠だ。俺の菩提樹は地底王国シャンバラの総意が籠っている。俺にしか作れん」
イチゲロフは苛立ちをあらわにした。エルフリーデとローズバードは仲良く手をつないで枝に腰かけている。かつての仇敵個人であった記憶を失ってしまったようだ。睦まじい同性配偶者のように肩を寄せ合い、虚空に数式を描いている。
そこにはグリッド状の地球儀が浮かんでいる。イチゲロフとメンロパークの魔術師が共同製作した地球規模の叡智。世界システムの改良版だ。もともとはエジソンの天敵、ニコラ・テスラから奪った研究成果だ。ベルリンにあたる場所に木のアイコンが輝いている。
惑星級のネットワークノードが大動脈となってエネルギーや情報を運搬している。
「宇宙の最終局面を上書きするなど可能なのでしょうか?」
阿南唯が半信半疑でみあげている。
「極限電子発動機がフル稼働すれば終幕に群がる野次馬を一掃できる。二次ビッグバンの熱量でな。そこから宇宙の歴史を倒叙するのだ。ただし、俺が情報発信を手助けすれば、の話だ」
イチゲロフが宇宙の最終シナリオを陳述していると、エルフリーデの顔が曇った。
「特大の確率変動源が接近中です。どういうことかしらね?」
「何だと?!」
怪僧は血相をかえて地球儀に向き直った。
「エンデシュルス号? どういうことだ。なぜ、ここへ落ちてくる? まさか、これが返答か?」
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