向こう見ずな天の川(アンナスル・アルワーキ) ⑥ カササギ橋―宮之阪防衛線 後編
■ TWX1369 戦闘指揮車両 秘匿専用回線端末室
何の前触れもなしに起きた木津川の氾濫は、八幡市の三分の一と星ヶ丘市の北部を水浸しにした。ちょうど三本の川が淀川となる合流点にあたり、一気に増水した。洪水ハザードマップによれば男山から養父丘までの海抜ゼロメートル以下の地帯が広範囲に浸水すると予測されている。付近に逃げ場となるような高台はない。急峻な男山に登るか、内陸のかなり奥まで避難しなければならない。
前例のない水害は多くの家屋と人々を押し流した。独立飛行隊のミストラル・ジェイは楠葉(くずは)アベニュー付近の送電鉄塔に生存者を見つけた。逆関節を伸ばし、戦闘機から二足歩行モードに変形する。両脚でホバリングしつつ、接近を試みたものの、ロボットアームを差し伸べることはできなかった。水面付近の空気が流れに引きずられて不安定になっている。乱気流でバランスを保てない。ならば、と別の一機が人型に完全変形ながら降下した。しかし、腰まで浸かって慎重に歩き出したとたん、足元をすくわれるように後ろへ転倒した。ホバリングしていた機体は危険を感じて急上昇。その直後、膨れ上がる火球と水飛沫が鉄塔を深々と飲み込んだ。
「星ヶ丘独立飛行隊の巽風一機が水没?! リンドバーグ現象を認めざるを得ない……」
帝国陸軍大本営はこの期に及んで大総統府に連絡してきた。しかも上層部が内々にである。日独は軍事情報包括保護協定を結んでおり、ドイッチェラント軍と情報共有している。それをすっ飛すということは並々ならぬ事態であるとゲルマニアは理解した。
「その件については存じております」
ハーベルトは大総統府の通知に今更ながら、と答えた。
「後桜鳩上皇陛下は国民の動揺を心配しておられる。かかる事態に対しては、なにがあろうと絶対防衛圏の弥縫(びほう)と悟られぬよう的確に対応せよ、とのお達しだ。しかし、どうしたものかと……」
阿南惟(あなみゆい)帝国陸軍大臣は糸のような目を細めた。彼女のダルマのように丸い顔を眺めているうちに、ハーベルトは作戦の概要をおぼろげにしていった。
「国家間の対決でなければ、私戦(しせん)という形で処理せざるを得ません。一部将校の反乱という図式は選択肢として使えません。日米開戦を快く思わない不満分子が私戦予備(しせんよび)を企てた、と」
ハーベルトが脚本の構想を明かすと、惟が難色を示した。皇国民は一億火の玉。特に女性の天皇を戴いてからは国防婦人会が主軸となって、女性同士の結束を強めた。水を挿すわけにはいかない。
「外観誘致ではいけないのかしら?」
「そんなことをしたら、魔女狩りが始まりますよ。今回は憂国を想うあまり斜め上に先鋭化した集団の仕業という形で決着させねばなりません」
ハーベルトの胸中にはおあつらえ向きの勢力が潜んでいる。
「そんな都合の良い生贄がいるものかしらね?」
大臣はセーラー服の胸元を緩めて、ハンカチで丸首に噴き出た汗を拭いた。
「お任せくだされば、ドイッチェラントの威信にかけて万事決着いたしましょう」
提督の風格をにじませながらハーベルトが提案する。阿南にはこれといった妙案が無いらしく、受諾せざるを得ない状況だ。
「だが、一つだけ注文をつけさせていただく。首謀者は無実の国民であってはならん。私戦予備の嫌疑を受けるにふさわしく、なおかつ逮捕されることで日米、いや枢軸と連合双方の権益を犯してはならない。ブレゲンツ紛争処理条約に触れるからな。誰もが納得のいく容疑者を準備できるか?」
イナバウアー超級の曲芸を要求された。ハーベルトは動じずに涼しい顔で快諾した。
「うってつけの非国民がいます」
■TWX1369 上級将校専用ラウンジ
さっきから宇宙人エリスの様子が妙だ。観察力に優れたハーベルトは僅かな変化も見逃さない。すぐさま尋問を開始した。
聖イライサニス学園がどうかしたのか、と尋ねる。エリスには特段の事情があるようだ。
彼女が口ごもっているとハーベルトが図星を指した。
「学園理事長の娘が失火事件のあとどうなったか気になるんでしょ?」
「結論から申し上げますと、本物の川端エリスは意識不明のまま、半年後に死にました」
スミン・クローネが感情をこめずに事実だけを伝える。
「私が恐れているのは、それじゃないの。溝口組とL5ソサエティの関係よ。本初始祖世界(ソースコード)の出来事はコード2047の時間軸に影響を及ぼすんでしょ? おまけにアカシックレコードをガラガラポンしてたどり着いた場所がここ。秘密警察の内偵資料によると、溝口組は健在で今でも学園の運営に関与しているみたいだけど……」
エリスはよっぽど不安を抱えているのか、青ざめた顔をしている
。
「確かに聖イライサニスは大東亜共栄圏随一のメディア総合学園を謳ってるわね。スポーツ芸能から文学まで幅広く人材育成している。無視できない確率変動源であるけど、それが何か?」
ハーベルトは平然とジャスミン茶を注いでいる。震える手にマグカップが手渡された。
「鈍感な女ね! それだけの確率変動幅をあの子の残留思念が放っておくと思う?」
エリスはそれを振り払った。ガチャンとビレロイ製の陶器が砕けた。
「――! ……確かに本家エリスの怨念は凄まじいでしょうね。でも、その子に世界をどうこうしようという野心は感じられない」
提督がモップを握る姿は体裁が悪い。後部車両から雑役婦を呼んで後片付けを任せた。
「一つだけ言うわね。ヤンガードライアスの存在がここに降りてから全く感じられないの。あれだけ大きな本体が砕け散ったとは考えられない。強力な干渉を受けているとしか思えない」
そこまで宇宙人に言われて、ようやくハーベルトの脳細胞が明滅した。
「本家エリスが貴女(あなた)――高次知能集団の反乱分子に復讐を誓っている? 仮にそうだとすれば、極大射程織姫砲(グランドベガキャノン)の存在が危うくなる」
ハーベルトは大胆な仮説を立てた。枢軸はベガ星系を破壊しようとしている。その阻止は簡単だ。ベガ砲を破壊すればいい。そして、高次知能集団の巣が健在であれば、スマイルメッセージの実現が可能になる。人類の総意を宇宙の回線に接続するのだ。
「鶺鴒(せきれい)海峡のハイパー核を握っている溝口組が学園のバックにいれば、不可能ではありません」
スミン・クローネが地下資源分布図をもとに実現性を概算した。
「いやだ。ボクは戦いたくない!」
それまで黙っていた祥子が激しく抵抗した。荒井吹雪が教鞭を取っていた学校だという郷愁を根拠にしているのだ。
「貴女(あなた)ねぇ……」
ハーベルトが困った顔をしていると、接近警報が鳴り響いた。
「蛍叛電車私市線の軌道上にリンドバーグ・ウォール発生。森信号所と中宮(なかみや)信号所で運行予定の無い列車が停留中」
射撃統制AIが脅威を警告している。
「私市線に信号所はありません。複線化に伴ってとっくの昔に廃止されていますよ」
信号所とはすれ違う電車が退避する場所だ。ハウゼルに言われてAIが憤慨した。
「先刻承知ですわ」
彼女(エーアイ)はドローンを射出して、リンドバーグ現象の実態をメインスクリーンに中継した。
「中宮信号場って、この上じゃない?! っていうか、何よ、これは?」
ハーベルトは軌道上に余分なレールを一本見出した。三線軌条と言ってレール幅が異なる列車を一つの路線に走らせたいとき、その違いを吸収するために敷かれる。
「蛍叛のレールは標準軌、幅は1435mmのはず。これは狭軌よ。何で? 誰がこんなことを。省線の機関車でも走らせる気?」
その言葉を肯定するように、待避線から無人の車両が本線に進入した。300メートル先に私市行きの普通電車が走行している。星ヶ丘市を脱出しようとする避難民で満杯だ。
「こんな時に脱線事故をやらかしたら、暴動が起きるわ」
ハーベルトはホックを外し、スカートをすとんと床に落とした。四股を踏む様にプリーツスコートとアンスコを脱ぐ。
「ハーベルト、これは陽動だよ。あからさますぎる」
祥子がブルマ姿のハーベルトをいさめる。
「山田池公園の時みたいに見殺しにはできないわ。妙な列車はもう沢山よ」
ハーベルトは壁の銃架から大口径狙撃銃を取り出した。対戦車誘導擲弾筒を祥子に渡す。破壊する気満々だ。
TWXの扉が開いて二羽のハゲ天使が宙に躍り出た。目指す列車は無人のまま線路上を遁走している。ハーベルトがダイマー感覚をもちいてダメ元で列車制御装置に介入するも、まったく効果が無い。
「ハーベルト、何だろう、あれ?」
祥子がダイマー共有視野に列車の窓ガラスを拡大する。二枚扉や窓ガラスに紫色のステッカーが貼ってある。半紙を思わせる白紙に毛筆体でキャッチコピーが記入されている。出版社の車内広告のようだ。
『週末、お気軽異世界転移。ライク・ア・ライター』
そして、列車は猛烈に加速し、私市行き普通と接触した。
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