枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

戦乱渦巻く異世界を軍用列車で平定せよ!日独伊三国同盟を枢軸特急が駆け抜ける
水原麻衣
水原麻衣

社会病理の対流圏(ヘヴンズドア・インサフェイス・オンフットルース) ㉑ 最終話 アナスタシア

公開日時: 2021年1月14日(木) 20:20
文字数:5,124


社会病理の対流圏(ヘヴンズドア・インサフェイス・オンフットルース) ㉑ 最終話 アナスタシア



l ■ ウラン・ウデ(承前)


 メイド姿の女性兵士が惨劇の後片付けをしている。エプロンドレスにふわふわフェイクファーのオーバーコートを羽織って動きにくそうだ。スレンの生命活動はとうに停止しているが、骨の髄までワールドノイズに染まっている。旅人の外套効果を万全を期すためには、そこまで重ね着しても不安が残る。メイド服の裾がまくれて、ひざ上丈のドロワースが見えた。素肌は網タイツに覆われている。

 ハーベルトは彼女らに短く労いの言葉をかけた。そして、荒ぶるバーベル像の方へ駆け出した。

「何も殺さなくたって……」

 祥子は非業の最後を遂げた親子をちらと横目で睨みながらこぼした。同僚の死を目の当たりにしたというのに、無表情のままだ。

「殺らなきゃ、私たちがどちらかの市民に殺されていた。そして、今度は経済的勝利者(ヘブンズドア)と生活困窮者(フットルース)の階級闘争に発展していた。スレンは司令塔であり、ゲレルトヤーはマッチポンプだったのよ」

 望萌が刃こぼれした銃剣を交換しながら言った。向こうではハーベルトが「どう、どう」と像をなだめている。アウトカムに手綱をつけることが出来ればの話だが。

「それでも拘束するなり、行動不能にするなり、別の手立てはいくらでもあったはずだよ」

 祥子は納得がいかないらしい。

「貴女もしつこいわね! 死んでしまった者は今さら仕方ないわ。それにスレンは失った故郷の代わりに地底世界(シャンバラ)を得ようと躍起になっていたのよ。誰が彼女を説得できて? 『住めば都だ』とゲルマニアに亡命を勧めろとでも?」

 機関銃のようにまくしたてられて祥子は論点を変えた。

「荒井先生を助けに行くんだよね? とても生きているとは思えないけど……」

 祥子はイルクーツクで一度は死ぬ覚悟を決めており、当座の生存目的を与えられたところで、心が動かない。

「シャンバラ誘導体として機能しているということは、まだ見込みはある。君が『漢(おとこ』を自任するのなら万難を排して救出すべきだね」

 ハバロフスクの蒸気魔が背中を押した。

「ひょっとして……それは『命令』ですか?」

 祥子が確認するとファイスト中佐は大きくうなづいた。


 ■ ウラン・ウデ(承前)


 バイカル湖対岸の工業都市に侵入したヴェスペ隊は制空権確保に手間取った。思わぬ方面から反撃を受けた。付近に生息する特定外来異生物(アウトカム)が枢軸軍機を外敵に認定した。モー・ショボーを中心に空軍パイロットが見たこともない飛行生物が我が物顔で乱舞している。機銃掃射しようとした矢先、TWX1369が割って入った。

 アウトカムをかばうように枢軸特急が飛び去っていく。

「それはサラメーヤの鳩よ。獄卒鳥の一種。ワールドノイズに乗じて舞い込んだの。刺激してはだめ」

 ハーベルトは戦闘指揮車で鳩の群れを追い抜いた。

 ツェッペリンNT飛行船の二番艦が群れに囲まれている。

「フリードリヒスハーフェン、彼を自由にしてあげて」

 ヤンジマが心配している。

「了解しました」

 シュリーマン艦長は檻の開錠を命じた。十メートル四方のコンテナが投棄(パージ)され、ハーベルの像が空中に躍り出た。それは競走馬のように嘶くと、獄卒鳥を従えて西の空へ走り去った。

「餅は餅屋というか、特定外来異生物(アウトカム)にはアウトカムしか知り得ないプロトコールがあるのね」

 望萌が量子オペラグラスで遠ざかっていく群れを追いかけている。

「ルテニウムとセシウムの混合比が理論予測値に達しました」

 フリードリヒスハーフェンの技術将校がバイカル湖の状況を伝えてきた。ハーベルトはヴェスペ隊にダツァンの空爆開始を命じた。


 ■ イヴォルギンスキー・ダツァン


 聖地が突如として俗世の些末事に汚された。Mk-82 500lb爆弾が炸裂し、岩肌を大きくえぐる。

 裏山に沸き起こった濁流はもうもうたる湯気をあげて洞窟に襲いかかる。地下空間の水嵩が上昇してみるみるうちに寺院が没した。

 宇宙人エリスの一行はとうに脱出しており、地底王国の開口を待ちわびている。チベット教徒達は地の利を得ており、水流の及ばぬ高台で祈りを捧げている。魔改造雀蜂(ウェスペ)操縦席のタッチ式翡翠パネルが爆撃目標をクローズアップした。

 ひときわ大きな岩のうえで一人の僧侶が読経を続けている。続いてミサイル警戒用レーダーが鳴り響く

 男がすっくと立ちあがり、大きく口を開いた。身の危険を感じたパイロットは反射的に回避行動をとった。

 ヴェスペは旧来のスーパーホーネットに比べて機体がふた回り大型化した分、運動性能が低下している。逆に低速時の安定性が増して、対地攻撃機としての適性が向上している。

 それが命取りになった。

「なっ――」

 ハーベルトは戦闘指揮車の大型ディスプレイで玩具の最期を看取った。オレンジ色の火球が膨れ上がる。

 黒煙が晴れると、バラバラになった部品が斜面に張り付いた。粘液が巨人をねっとりと押し流していく。それらは伐採抜根された材木のように斜面を滑り、まんべんなく散らばった。それらは腰まで浸かったまま、ヴェスペ隊の方を向いた。僧侶に倣ってあんぐりと口をあける。次の瞬間、もう一機のヴェスペが爆発した。

 ハーベルトが撤退を命じる間にも、火球が連なっていく。

「ヴ・リル……」

 閣下が低く唸った。いや、それはオノマトペではなく、固有名詞だ。ファイスト中佐が補足した。

「何なんです? それ」

 望萌は空耳を疑った。

「ヴ・リル。あってはならない力だ」

 蒸気魔と呼ばれた女はゆっくりと発音した。

「ヴ・リル? あのネフィリムと関係がある。そう、言いたげですね? 大佐。まさか、それって禁忌技術(エクストリーム)?」」「いや、正確には是であり非でもある。地底王国シャンバラの動力源なのだよ。国立研究所(アーネンエルベ)も匙を投げた。未知なる力だ。大総統がかねてより着目しておられた。極秘裏に」

「超絶技巧(ブレイクスルー)としてですか?」

「連合よりも先に見つけたと自慢しておられたよ。熱力学第二法則対策の有力候補だ。しかし、こんな使い方をされては成すすべもない」

 ヘテンが混合したラピスラズリの溶剤は確かにネフィリムの行動力を奪った。それは却って彼らの潜在能力を引き出した。昼行燈と化したネフィリムは、ただ突っ立ってるだけでなく、口から見えない破壊力を放つトーチカとなった。

「どうするのよ。閣下」

 このままではフリードリヒスハーフェンが対空砲火に晒される。望萌は気が気でならない。だが、虹色の脳細胞は土壇場に活性化する。ハーベルトはキリキリと歯を食いしばって対策を練る。

望萌が困り果てて、エルフリーデに泣きついた。

すると、彼女はため息をついて、一つの情報を開示してくれた。

◇ ◇ ◇

「どうするの? イチゲロフはすっかり生気を取り戻して、通常運転よ」

 岩場で航空戦力に向かって一喝する僧侶。その背後から宇宙人エリスが歩み出た。枢軸軍に向かって堂々と降服を勧告している。

 ハーベルトは相手の態度を笑いのめした。

「降参するのはあんたよ。おかげでバイカル湖の財宝が衆目に晒されたわ。ロマノフ王朝の秘宝はいろいろと言い伝えがあるけど、最重要アイテムはアレクサンドラ皇后の宝石箱よ」

 ハーベルトは湖底に露出した財宝をエリスの視野に三次元投影する。ぼんやりとした光芒(ハロー)に包まれて輪郭が明確ではない。「こ……こんな……地底王国の扉では……?」

 エリスは予想外の結果を拒絶した。

「王家は軍資金を遠征軍に託したのではなく、最初から投げ捨てる腹積もりだったのよ」

「――?!」

 ハーベルトの言葉に誰もが言葉を失った。

「ピヨトール大帝の脅威部屋(クンストカメラ)をご存知かしら? 彼はたいそうなゲテモノ好きなの。奇形児やら鉱物やら古今東西の珍品を蒐集して他人に見せびらかすための部屋を造ったの。それがクンストカメラ。今でいう博物館のはしりよ」

 彼女は宝石箱をとりまく作業班にスポットをあてた。防護服を着た一団が蓋をあけ、瓶詰の肉塊を取り出した。黄色い液体のなかで焦げ茶色の軟体動物がうごめいている。

 慎重にガラス容器をおろし、そのまま全員が後ずさりする。別のグループが一斉に銃を構えた。

「アナスタシア発勁体?! まさか! それは真っ赤な偽物よ。ホンモノがここにあるはずがない」

 パニックに陥ったエリスは、つい、余計な事まで口にした。

 ハーベルトは相手の動揺を手玉に取った。

「どうして財宝の真贋がわかるの? わかったうえで、手の込んだ茶番を仕組んだの? 何のために?」

 閣下はケラケラと笑いのめした。

「どういうことだってばよ?」

 祥子は説明を求めた。

「ロマノフ王朝にアナスタシアさんという萌っ娘がいたの。一家は処刑されたはずだけど、彼女だけは生き延びたという説をロシア国民は熱心に信じている。一説では革命軍が硫酸をぶっかけても死なずに最後まで耐えたとか」

「どこの宇宙人だよ?!」

 とても信じられない話だ。

「アナスタシアはピヨトールがノルウェー王フレデリク四世から譲り受けた宇宙人幼児(スターチャイルド)よ。凍土から掘り出した。アナスタシア発勁体。大帝は革命を予見して保険をかけたの」

 ハーベルトが畳みかけると、エリスは激しくかぶりをふった。

「――だから、それはダミーだ。彼は革命の混乱に乗じてダミーを投棄した。そしてロマノフ王朝にまつわるミステリーとアナスタシア生存説が大衆の間に広まり、巨大な確率変動エネルギー場が育った」

「風説の流布によってバイカル湖にワールドクラスの穴をあけたまでは良かったのね。いつか、『ロマノフ王朝が健在である』異世界をどこかから呼び込んで、一気に再興するために……」

 ハーベルトはガラス容器に拳銃を突き付ける。

「馬鹿な真似はよせ。だいたい、本物のアナスタシア発勁体をどこで入手した?」

 エリスはもはや正気を失い、動悸や眩暈に襲われている。

「ドイッチェラントの考古学は世界一よ。凍土はシベリアにもあるもの。もっともこれを見つけたのは僥倖だったわ」

 ハーベルトは安全装置を解除した。

「待って! その子を殺したら自分たちだって熱力学第二法則に抗う貴重な鍵を……」

「わたしたちをマンマと嵌めて、ワールドノイズの源を発掘できたんだからいいじゃない。あなた、アナスタシアの真贋はもう、どうでもいいのでしょ?」

 ハーベルトが恋人を振るような目つきをする。すると相手は見る見るうちに青ざめた。

「わかった、わかったわ。と、取引をしましょう!!」

 エリスは半べそをかきながら、荒井吹雪とアナスタシアの交換を持ち掛けた。

彼女が逃げ去ったあと、ネフィリムの掃討作戦が始まった。

脅威と思われたヴ・リルパワーは、指向性兵器であることから、ネフィリムの口を封じる事で対策に成功した。もっとも、多大な犠牲を払わされた。

空母ライトから囮のドローンを射出し、重巡洋艦ノーザンプトンが粘着榴弾をネフィリムに撃ち込んだ。その後、ウェスペ隊によるピンポイント爆撃と艦砲射撃で物言わぬネフィリムを各個撃破した。

 ◇ ◇ ◇ ◇

 TWX1369 移動病院車 集中治療室


「……利用したつもりが、されたってね。でも、どうしてエリスはテンパったの?」

 祥子は包帯だらけの恩師を見やった。吹雪は危篤状態を脱してスヤスヤといびきを立てている。

 ハーベルトは笑いを噛み殺しながら答えた。くっくっく、と肩が震えている。

「だってさ。本物のアナスタシアが、彼女が自分の死を自覚したら、その瞬間に、生存説も何もかも消え失せてしまうのよ。あはあはあは」

 閣下はこらえ切れずに椅子から転げ落ちた。スカートが盛大にめくれ、アンダースコートを大サービスしている。

「でも、シワノにアナスタシアを渡しちゃったよ。いいのかしら?」

 祥子は将来不安に駆られたが、閣下は陽気に笑い飛ばした。

「いいのよ。あれは永久凍土から掘り出したなんて嘘っぱち」

それを聞いて、祥子はあんぐりと口を開けた。

「アーネンエルベに急きょ培養させたHERA(ヒーラー)細胞よ。ヘンリエッタ・ラクスという女性の子宮頸がん細胞。どういう原理か知らないけど無限増殖するの。コード1986の世界では様々な医療研究に使われているわ」

「ひどいや。ハーベルト。でも、それって……」

「大丈夫。熱力学第二法則の克服にはつながらないわ。ヒーラー細胞はポリオウイルスで死ぬもの」

きゃらきゃらと子供のようにはしゃぐ同僚に、祥子は少しだけ安らぎを感じた。

それもつかの間、邨埜純色から救援要請が入った。

「原子力巡洋艦ロングビーチ? 貴女たち。何やっているの?」

ハーベルトがヘッドセットを被ると、通信が途絶えた。

「ローズバード大統領が……」


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