踊る海馬の血風録(サステナブル・フレームワーカー)⑤ 不俱戴天
■ ドイッチェラント 世界首都ゲルマニア
壮大なブランデンブルク門を潜り抜けると天空を貫く超高層ビルがポツダム広場に向かって立ち並んでいる。ここはゲシュタポ本部や総統官邸など権力の中枢を担う国家機関が集中している。枢軸特急を運行する鉄道省もここに置かれている。
異世界逗留者たちを乗せた車列は通りを南に下り、ゲシュタポ本部の南側にある総統官邸前に到着した。すでに武装親衛隊や秘密警察がバリケードを設置し、装甲車や戦車がひしめいており、臨戦態勢にある。
ものものしい警備体制に重武装した男子が何名か混じっている。拡声器を掲げてヒステリックに叫ぶ女子SSの脇を固めている。女が支配する枢軸世界では貴重な存在だ。それはすなわち、重水素二量体(ダイマー)能力や銃が通用しない戦闘を想定している。
それはおそらく、軍用ナイフを用いた近接格闘戦だ。銃が使えない、照準したり発砲する時間がない、そもそも防空圏が狭すぎて飛び道具の出番がない。そして銃身よりも短い距離で、食うか食われるかのシビアな闘いにおいて男子の腕力と瞬発力勝負が求められる。
「男の子がいるけど……それほどまでにヤバいの?」
車を降りたハウゼルは現場の指揮官に状況説明を求めた。まず、エルフリーデ大総統の消息に関しては無事を確認したものの、先行き不透明だという。
「ほとんどだまし討ちに近い方法で奇襲されました。総統官邸を十重二重に取り巻く対空火器がひとつ残らず宙に舞うなんて誰が想定します?」
女指揮官はリアルタイムで目撃したという。青い目を大きく見開いて、興奮冷めやらぬ様子だ。
「向こうは反重力を支配しているのね? その程度ならダイマーダンサーの敵ではないはずですよ」
あまりの不甲斐なさをハウゼルがやんわりと責める。すると、女は不服そうに言った。
「誰がかなうものですか。何しろ相手は『メンロパークの魔術師』トーマス・エジソンですよ」
そういわれてハウゼルは総統官邸周辺を見やった。無残に倒壊したり焼け焦げた残骸がそこかしこにある。浮揚させられた戦闘車両の末路だ。
「ごめんなさい。荷が重すぎるわね。貴女(あなた)はよくやったわ」
ハウゼルがねぎらうと総統官邸から警備兵が走り出てきた。
「アーデント・ハウゼル武装親衛隊中佐。お待ちしておりました。こちらへ」
◇ ◇ ◇ ◇
異世界逗留者たちは招かれるまま官邸に入った。内部は蜂の巣をつついたような騒ぎで、散発的に銃声が聞こえる。敵は建物を完全に掌握していないらしい。何しろ官邸は枢軸世界の心臓部であるだけに、地下深く要塞化されている。巧妙に隠された秘密通路から特殊部隊が反撃の機会をうかがっている。掃討は困難だろう。ハウゼル達は風通しの悪い抜け穴を息を詰まるような思いで潜り抜けた。
薄暗い地下空間を半透明な壁が取り囲んでいる。ときおりほとばしる電光が輪郭を照らし出す。
その向こうに校倉涼子がいた。
「来たわね。不正トライアングルの頂点」
彼女はハウゼルの顔を見るなり罵りの言葉をぶつけた。
「条件は何なの? とても呑める内容じゃないでしょうけど」
ハウゼルが牽制球を投げると、涼子は鼻で笑った。
「三千世界を旅したお前なら結果は火を見るより明らかなはず。もっとも、エルフリーデに勝る交換材料がこの地上にあるとは思えないけど」
その言葉の裏をハウゼルは素早く読み取った。
「確かに『地球』にはないわね。地球、には……」
列車長はハーベルトにかわって白紙委任状を握っている。その特権を最大限に活用して国立研究所(アーネンエルベ)の国家機密にアクセスしていた。ダイマー共有視野に背筋も凍る禁忌技術(エクストリーム)が羅列される。
ドイッチェラントは地球外に大総統の命運を左右する鍵を隠匿していた。
「そうよ。それを詳らかに……全世界に公表してくれれば、下らない戦争は一気に鎮火するわ。簡単なことでしょ?」
やり取りを聞いていた倉橋ヨエコが口を挟んだ。
「ハウゼルさんを困らせないで! 私達を亡き者にしたいのなら喜んで命を投げ出すわ」
「相互評価群(コーポレーター)を抹殺したいのでしょう?」
ヨエコの背後から田實ヒナが歩み出る。
すると、校倉はチッと舌打ちした。
「坊主憎けりゃ……でお前らみたいな不正野郎と与したドイッチェラントまで憎いとか、そういうレベルの低い問題じゃねーんだよ! エジソン博士が求めておられるのは。あたしの私怨なんかどうでもいいんだけど」
テロリズムに高尚も下劣もないとハウゼルは思ったが、エルフリーデというカリスマを失うことは枢軸世界の即時破滅を意味する。しかし、いくら背に腹は代えられぬといえども、機密を機密として隠匿するにはそれなりに理由がある。
そうすることが人類全体の公益にかなうと判断されたからだ。
ハウゼルは難しい判断を迫られた。
「わかったわ。そこまでわたしを脅迫するからには、秘密の内容を知っているんでしょう? いいえ、貴女たちは把握している。そして、それが理にかなうと結論づけた」
「公益に、よ。エジソンはアカシックレコードに触れて、その存在を『識った』けど、ドイッチェラントから公式発表されることに意義があるの」
校倉涼子が突き付けた提案はハウゼルを板挟みにした。しかし、彼女は迷うことなく事態を前進させる。
「わかった。明かしましょう。その代わり、結果についてあなたたちが責任を持ちなさい」
■
月面に形而上的生物の「死骸」があるなどと、誰が想像しただろう。コード2047世界は騒然とした。そもそもは本初始祖世界(ソースコード)から世界線が分かれた際に引きずってきた問題だ。
当時のエーデルヴァイス海賊団は大分裂後の事態収拾に手一杯でそれどころではなかった。先送りした問題はいずれ解決されねばならない。
しかしヒトラーの予言を信じる一握りの人々は冷静に発表を受け止めた。
彼はこう遺言している。やがてユダヤの天才的頭脳が想像だにできない快速な交通手段を発明して、創世の秘密を解き明かすだろう。それは同時に落胆を招く。自分たちの主は誰であるか、来る支配階級の二極化に誰が関与しているか痛感するからだ。
コード2047世界の人々はアーネンエルベが解禁した画像に息をのんだ。
月の裏側。三白眼そっくりな地形、黒くて不気味なクレーターに始祖露西亜の天文学者はツィオルコフスキーと名付けた。その縁にあってはならない物体が転がっている。
はらわたをまき散らして横たわる鳥の死体そっくりなもの。そこから少し離れた場所に歩行生物が突っ伏している。
「創造主の座を争った跡……だと?」
新造なったTWX9421μの食堂車でソーニャ・ファイストが目を白黒させた。
「熾烈な戦いであったことはジルバーフォーゲルの記録映像が物語っています」
スミン・クローネが大分裂後に撮影された記録を掘り起こした。ドイッチェラントは月の異変を承知していたものの、その起源や存在理由を調査することは断念した。
「それでも、連合は振り上げた拳を降ろさないだろうね」
ハバロフスクの蒸気魔はメインスクリーンを見ながら揶揄した。
「共同戦線なんて西側の文学者が夢想した敗北主義の極みですよ。人類存亡の危機だからこそ、漁夫の利を狙う。それが人間の性ってもんです」
臨席した将兵が校倉涼子の楽観論を斬り捨てた。
「おっと、開戦時刻だ」
ソーニャが腕時計を見やると同時にドイッチェラント国歌が高らかに鳴り響いた。
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