彗星発、永劫回帰線(マーサズ・ヴィニャード・ブレイクスルー・スターショット)⑰ 蟷螂の斧
■ カール自走臼砲(承前)
「ビーンスタークが平衡を取り戻しました!」
望萌は計測機器を何度も点検して、誤動作でないことを確認した。ビーンスタークの動きが止まった。
さっきまで倒れると信じて止まなかった成果が根本から覆ったのだ。やはり人類の足掻きは蟷螂の斧に過ぎないのか。
宇宙人は勝ち誇ったように言う。
「ハーベルト。観念したらどうなの?」
旅人の外套効果を貫いて宇宙人が侵入した。その事に戦車兵たちは驚くよりも失望した。ビロビジャン上空で枢軸特急がハッキング攻撃された経験を踏まえ、ありとあらゆる乗り物にこのうえない防御策を敷いていたからだ。
「確かに我々の負けかもしれないわね。ALX427が地獄を脱出する時に百裂鬼達が死線を超えられなかった。その現象を応用したファイアウォールを易々と突破されたんだもの」
ハーベルトが肩をすくめて自嘲気味に笑うと、エリスは図に乗った。
「だから地球人はいつまでたっても熱力学第二法則を克服できないのよ。負を持ち込むのではなくて、正を負に貶めるのよ」
宇宙人の傍らに走査線が錯綜した。ひとつ、ふたつ、四つ。倍々ゲームで横縞が増えていく。それぞれが凝縮して百裂鬼を形作った。
そいつらは鼻息荒く、さっそく異世界逗留者たちの制服をむしり取った。毛むくじゃらの指がセーラーカラーをつまむ。ベリベリッとセーラー服がスクール水着ごと裂ける。
「それくらいで勘弁してあげて」
意外なことにエリスが鬼どもを制した。ここは乱闘の場ではなく交渉のテーブルだという。
「取引材料なんてあるの? 無条件降伏以外に」
「いいえ」
ハーベルトに見透かされたエリスはきっぱりと否定した。
「足掻くかどうかはお前たちのお好みよ。どのみちアップロードされるんだもの」
エリスは宙ぶらりんになったビーンスタークを横目に言う。
「まあ無駄吠えしたいのなら、吼えれば? それにしても苦痛が娯楽だとはね。 熱力学第二則の敵が聞いてあきれるわ」
エリスは煽り上手だ。とことん相手をこき下ろす。
だが、その言葉の裏腹に焦りが見て取れる。ハーベルトはそこを突いた。
「じゃあ、さっさと殺せばいいのに。高次知能集団が聞いてあきれるわ」
エリスはうぐっと言葉に詰まるが、立て板に水のごとく喋り始めた。たぶん、その場逃れだ。深慮熟考でなく脊髄反射(アドリブ)が話法の乱れにはっきりと現れている。
「ふぅん。強制アップロードの際に怨嗟のノイズが混入する? 志願者は珍重される? それで自分は集団内部で優位に立たてると?」
あまりの俗っぽさにハーベルトは呆れ果てた。しかし、どうやらこれも嘘くさい。終末を潔く諦めたり、破滅を歓迎する狂信者がいるからだ。
「忘れたの? わたしは集団が遣わした密使よ。他にない権限がある。特典を付与することもできるのよ」
スマイルメッセージの伝道者はえらく熱心だ。
「枢軸を優遇する特別な理由があるんでしょ? 人間の行動原理は利己心よ。得られた差益で何をするつもり?」
ハーベルトは虹色の脳細胞を燃やして、エリスの動機を探った。御多分に漏れず、活発な幹部は野心を持っている。やがて頂点に立つか、別組織を立ち上げる。
「ハイパー核が近くに埋まっているんでしょ? どうかしら? 図星?」
俯瞰的な視野に長けたハウゼル列車長がクスッと笑った。天龍が飛び回ったり、豆の木が生えたり、ワールドノイズが騒々しい。
天を仰ぐと幹が120度ほども傾いでいた。
「参ったわね」
エリスは手を振って鬼どもを消す。
「いいんですか?!」
望萌が止めに入ると、ハヴァロフスクの蒸気魔が制した。
「君、中佐はそういう奴だよ」
エリスはほぼ合意に達した物と受け取り、再会を告げると走査線となって消えた。
◇ ◇ ◇
ハーベルトたちの臼砲から砂丘を一つ越えた場所に、ツインローターヘリが無残な姿を晒している。
瀕死のマドレーヌを憐れむように走査線が照らし出した。
「エ……エリス。あなた……」
煤だらけの顔は赤く腫れ、前歯が折れている。
「フン。お前の企みがあたしに見通せないとでも? 大丈夫。ハイパー核はあたしが貰ってあげるから」
冷酷な女の靴先がフォッケウルフの操縦士をコツコツと蹴る。
「おね……たす……」
火傷のせいか、頬がひきつっている。
「お前の着想はなかなかのものだわ。それの免じて殺さないでやるよ」
走査線が三度ゆらめくと、重症のマドレーヌを覆い隠した。その後には燻る金属片しか残らなかった。
------------------------- 第90部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
彗星発、永劫回帰線(マーサズ・ヴィニャード・ブレイクスルー・スターショット) 最終回 ゲレルトヤー(巨星)
【本文】
■ ウランスハイ上空 高度 三万メートル
死人の肌よりも白い枝が闇を鷲づかみしている。そのまま潰してしまいそうな勢いだ。さっきまでは。
巨木はせっかく掌握した宇宙を手放そうとしている。漆黒の片隅に光明が差した。
X-33ベンチャースターは瀕死のビーンスタークを救うべく、地上に向けてQCDを放射していた。ゴビ砂漠の地質は元をただせば火山灰層である。その成分に放射性タンタルが含有されている。
沼田コヨリは運命量子色力学を成す七つの大罪波から「貪欲」の相互作用を選び出した。極性を「節制」に反転させて目的地に浴びせる。すると、節制の一部が貪欲に相転移し、猛烈な葛藤が生じる。互いに相反する力は砂塵を巻き上げ、成層圏に達した。
放射性タンタルは肥沃なオーマイゴッド粒子を蓄積し、ビーンスタークに降り積もった。
「貪欲が満足されるまであまり時間はありません。藤野祥子のアップロード予定時刻を繰り上げできますでしょうか」
コヨリが集団に思念を送ると、猛烈な反感が返ってきた。
「しかし、九十四式装甲列車による封鎖はいずれ撃破されますが? 現に枢軸は量子工作機械でマーサズ・ヴィニャードに隧道を穿ちました。援軍が続々到着しています:」
彼女の疑問に対し、集団は反逆者の訴追で答えた。
「川端エリスが邪な企てを実行している。可及的速やかに処刑せよ、ですか? しかし、フォッケウルフの姿が見えなくなって随分立ちますし、捜索する時間も労力もありません。このまま、藤野祥子を核としてアップロードを強行します」
コヨリはカウントダウン表示を睨みながら、集団の煮え切らない態度に苛立ちを募らせた。かくなるうえは、ゴビ砂漠全体をオーマイゴッド粒子で焼尽する。そうすれば敵陣営の思念をまるごと簒奪(アップロード)できるはずだ。
そのように彼女が具申すると、大目玉を喰らった。集団はコヨリやマドレーヌのような殉教者の魂は例外処理できるが、強制アップロード者の未練を浄化するコストが割に合わないという。
「では、どうすれば……」
『つべこべ言わず、エリスを逮捕するのだ』
コヨリは仰せに従って機体を再突入させた。
■ ALX427 オヨートルゴイ鉱山
ジョリー、アネット、純色(ぴゅあ)の三名はALX427を駅裏手の鉱山に停車させた。スイッチバックを繰り返して露天掘りの鉱山鉄道を登ると、青一色のオヨールドゴイ鉱山が眼下に広がる。モンゴル語でターコイズの丘と言う意味だ。
アネットが汗でぐっしょり濡れたセーラー服とテニスウェアを放り投げた。ひらひらと風に乗ってどこまでも飛ぶ。すでにブルマ姿になっていたジョリーが量子オペラグラスを後ろ手に渡した。純色は思わず、はち切れそうなブルマに目が行く。おっきい。
「なに人のヒップをジロジロ見てるんだい。覗くのは接眼レンズだよ」
ドヤされて純色は解析結果を閲覧した。
「銅、モリブデン……それにホウ素12Λハイパー核。かなりの埋蔵量だわ」
「それだけじゃない。純色。どこを見ているんだい」
ジョリー列車長が右手で双眼鏡のダイヤルをいじくる。焦点が横滑りして、斜面の一角で止まった。ズームアップすると女子の心をくすぐる宝石があらわれた。思わず息を呑む純色。その断面には銀色に輝く蜂の巣に黄金の太陽が無数に散りばめられている。
「ペリドットだよ、純色。彗星のカケラさ。シホテリアニ隕石の成分にも含まれている」
「ケイ酸塩化合物ですね。猿ヶ森の鳴き砂と同様」
「宇宙人の欲しいものリスト筆頭アイテムさ。どうする?」
「決まってるじゃないですか」
純色はニコニコしながら斜面を駆け下りていく。ブルマの裾からスクール水着がはみ出すほど足を振り上げ、急こう配を降りる。アネットとジョリーは息を切らせながら追いかけていく。
数分後、彼女たちは隕石と対話を始めた。心を開いて、今までの経緯を包み隠さず共有する。
すると隕石は意外な反応を示した。戸惑いと不安の洪水に三人は首まで浸かった。
「あなたたちは……女性という種族ですか。いつも漠然とした不安を抱えているようですね。種族固有の物なのでしょう。わたしと共通点があります。わたしは彗星の部分でありながら、尽きる事のない不安を感じるべく、個性を付与されました」
隕石は目的をもってソースコードのゴビ砂漠に遣わされたという。それが45億年前なのか九千年前なのかわからない。ただ、自分は不安を抱えたまま、長い年月を孤独で耐えてきたという。
「高次知能集団(うちゅうじん)どもが地上の生命を根こそぎ焼いてどこぞへ帰ろうとしてるんだけどさ。貴女(あなた)、どう思う?」
ジョリーはシホテリアニ隕石を騙した沼田コヨリの悪事を隕石に教えた。
「私にも帰属意識はありますが、無関係な第三者を巻き込んでまで戻りたいとは思いません」
隕石(かのじょ)は常識人のようだ。彗星は警報装置がわりに将来不安を感ずる機構を発芽させたが、冷静な第三者目線を造りだすミスを犯した。
■ TWX1369 戦闘指揮車両
閣下とエリスの共同発掘チームは阜康(フカン)隕石の発掘を着々と進めていた。宇宙人(エリス)はビーンスタークの倒壊を防いだカラクリを明かした。
その仕組みは、簡単なテコの原理だ。例のコロナウイスを大気中に集約して「つるべ」をつくる。そこにQCD波で編んだ「ヒモ」をひっかけて、ビーンスタークに結び付けたのだった。
おもりを吊るす代わりに莫大なQCDパワーで支えている。今度はビーンスタークが倒壊する際の運動エネルギーを利用して隕石を吊り上げる。
「名付けて棒倒し作戦よ」
濃紺ブルマ姿のハーベルトが、ショスタコーヴィッチの調べに乗って演説する。
「「「ヤヴォール・ハートレー」」」
同じくねじり鉢巻きに体操着スタイルのドイッチェラント工兵達が作業を開始した。ハーベルトは便座のうえで翡翠タブレットの留守録を聞いた。
「まぁ!……隕石がそんなことを?!」
エリスに聞かれないようオーディオ出力をダイマー聴覚にリンクする。純色の忠告が正しければ、駐車場跡のクレーターで見た恐竜の化石はワールドノイズではないという結論に達する。特定の時代に属していない、いわばオーパーツだ。
ハーベルトは自分の考えを静かに録音して、返信メールにそっと添付した。
◇ ◇ ◇ ◇
女同士のいがみ合いは怖い。シレっとエリスの傍に戻る。何食わぬ顔で作業を続行した。
「すいぶん長い化粧だったじゃない。あなた、何か隠してない?」
エリスが勘ぐると、ハーベルトはコロコロと笑った。「宇宙人に隠し事なんか通用するの?」
エリスはムッとした顔で持ち場に就いた。
ビーンスタークは大気圏内コロナウイス支点によって隕石と平衡を保っている。純色が刻々と変化するカロリーメーターを見守っている。彼女の絶妙なQCD配分によって電離層に届こうかと言う巨樹が倒れずに済んでいる。
■ オヨートルゴイ鉱山
ALX427のXバンドレーダーが超音速で接近する高速飛翔体を捉えた。すぐさま純色がダイマー聴覚にささやきかける。
「X-33が急降下してくるわ。どうせ集団の刺客でしょうよ」
マドレーヌか、コヨリか。ハーベルトは、どちらに対応した出方をすべきか逡巡した。エリスがあらわれた途端にマドレーヌが行方不明になった。何らかの理由で消された、と見るのが妥当だ。となると、マドレーヌとエリスは考え方が似通っているか、価値観を共有していた、と思われる。
その時、ダイマー聴覚に鈴を転がすような清々しい声が割り込んだ。瑞々しくて凛とした女声。
”沼田コヨリというのはシホテリアニを篭絡した人物ですね”
ダイマー聴覚でなく、異世界逗留者の心に浸透する。同時にひまわり畑が広がった。一つ一つの花が燦々と輝いている。いや、それらは太陽そのものだ。数え切れないほどの恒星が納豆のようにひしめいている。
それはまさしく高炉に投げ込まれた納豆。
ねっとりとした高温ガスが纏わりついている。
「阜康(フカン)隕石さん?」
純色が声の主に反応した。さん付けで呼ぶからには相当に親密な関係だ、とハーベルトは判断した。
”そうです。純色。それに、初めまして、閣下さん”
「ちょ、納豆に知り合いはいないわ」
いきなり敬称で呼ばれてハーベルトは面を喰らった。
「納豆ではなくてよ」
ジョリー列車長がペリドットと遭遇した経緯(いきさつ)をかいつまんで説明した。
「その納豆子(なっとうこ)さんが何の用?」
ハーベルトが頑として相手を本名で呼ばない時は、よっぽど一目を置いた状態だ。自分のメンツを守るために意地でも綽名を使う。
”符牒はお好きにどうぞ。わたしは部分集合にすぎません。それよりも皆さん。藤野祥子さんをお忘れではありませんか”
「祥子はとうに過去の存在よ。敵一人殺してビビってるようじゃ歩兵失格よ」
ハーベルトは想いを断ち切ろうと強がってみせた。
”彼女はチャンスンを殺めた罪悪感で放心状態に陥っています。そこが集団の狙い目です。茫然自失している今こそ、事務的に虐殺できる”
隕石は集団が祥子を核として、ゴビ砂漠から意識エネルギーを根こそぎ奪い取ろうとしている、と述べた。
「だったら、コアを破壊するまでよ」
ハーベルトは純色に具体的な破壊手段を提案した。またしても、彼女の趣味が全開する。
”そんな!”
あまりの暴挙に納豆子が制止する。
「聞き分けのない娘はガツンと引っぱたいてやるしかないわ。目が覚めたら、また回収できるわよ」
”回収……ですか。イリュージョン蘇生技術はお持ちなのですね。そうでしたら、お好きなように”
「そうねぇ……おあつらえ向きの一発があるわ。そうとうキツイやつが」
ハーベルトは、とある米軍基地の座標をダイマー共有視覚に示した。
「ビッグスターですか?! よくご存じで。確かにビル空軍基地に待機していますが、あれは試作中ですよ?」
アネットがミサイル鉄道中隊の稼働状況を問われて驚いた。第4062機動ミサイル航空団は三基ずつの弾道ミサイルを搭載した十個の鉄道車列から成っている。ビッグスターミサイルは最新鋭の大陸間弾道弾で、もちろん禁忌技術(エクストリーム)の一つだ。
「ちんたら、異世界隧道を通っていたんじゃ撃破されかねないわ。ベーリング海峡トンネル経由でハバロフスクまで届けて頂戴。あとは」
「なるほど、ムリヤで空中発射とな?! 面白い!!」
キツネ目の中佐が色めき立った。
ハバロフスクの蒸気魔はハーベルトに悪趣味を吹き込んだ張本人だ。はた迷惑な事この上ない。
「実に愉快な試みだ。きみ。うん。空中発射は浪漫だよ」
■ TWX1369 戦闘指揮車両
川端エリスがファイスト中佐の挙動に気づいた。口元に笑みを浮かべて、「うんうん」とダイマー通信に相槌を打っている。
「そこのお前! 一人で何を納得しているの?!」
蒸気魔の首根っこを掴んで尋問する。隣席の望萌がとっさに足払いをかけ、エリスはもみあったままシートに倒れ込む。
「君の戒名を相談していたのだよ」
中佐は右手の中指を突きだした。リングをはめる場所には意味合いがある。行動力と迅速性。ファイストを象徴する一撃がエリスのスカートに潜り込んだ。リングの表面にはギアがはめ込んであり、高速回転の摩擦熱で猛烈な熱気を生み出す。
「ギェーッ?!」
シュウシュウと蒸気が立ち込め、エリスの身体が虚空に蹴り上げられる。
「今だ。ハウゼル君!」
蒸気魔が煙の中から命じると、TWXのサンルーフが開く。川端エリスの華奢な体が弾道を描いた。
「指、大丈夫ですか?」
望萌が水蒸気をかき分けてファイストに近寄ると、アンダースイムショーツ一枚の彼女が涼しい顔をしていた。
「旅人の外套はまだ改良の余地があるようだね。うん」
■ ウランスハイ上空
「マドレーヌから聞いたわよ。この期に及んでどういうつもり?」
「それはこっちの質問。信念を簡単に捨てる人間が恒久平和だなんて、ちゃんちゃらおかしいわ」
X-33の機内は一触即発の状態にあった。狭いコクピットで睨み合いが続く。
「抵抗しなければ、裁判を受ける機会を与えてやるよ」
コヨリがカロリーメーターを突き付けて威嚇する。
エリスは臆せず歩み寄ると刺客の横っ面をはたいた。カロリーメーターが地面に転がる。
「こんな玩具でわたしに勝てると思ってるの? いい加減に気づいたらどうなのさ。知的生命体を燃料にしようとしている、その先に何があるのかを!」
「燃え尽きてもいい。どうあれ、恒久平和にたどり着ければ!」
コヨリが力強く主張すると、エリスは畳みかけた。「買いかぶりすぎよ。集団は”あいつら”に一勝もしてない。今度も不発に終わるわ。だから、あたしは見切りをつけたのよ。ステイツの奥の院に住まう勢力と与することにした」
その一言でコヨリは血相を変えた。
「スメラン?! あなた、いくら落ちぶれても堕落した連中に魂を売ってはダメよ。地位に不満があるの? 交渉してあげてもいいわ。それだ……」
「うるさいよ!」
エリスはオーマイゴッド粒子をX-33に集中させた。機体は瞬時に爆散し、二つの肉塊を原子に還元した。
”やはりそうか。裏切者(エリス)の意思は確認した。遅滞に費やした時間は無駄ではなかった”
薄れていくコヨリの精神に彗星の声が囁いた。
■ 始祖露西亜航空輸送軍 ムリヤ輸送機
そびえ立つように見えるミニットマンミサイルもムリヤが背負えば爪楊枝のように見える。機体の全長は88メートル。本来は大気圏往還機を背負って運べる仕様だ。対するミニットマンは全長18メートル、総重量は35トン。積載可能量の一割にも満たない。
ザポリージャ機械製作設計局謹製のターボファンエンジン六発が内モンゴルの空を架け昇る。
「すていつのミサイル工学世界一ぃ~~」
機内は軍事予算を子供の小遣い程度にしか思ってない連中が支配していた。
蒸気魔が怪気炎をあげると、ハーベルトがツンツンとスカートを引っ張る。
「旦那。元をただせばドイッチェラントの技術ですよ。かのフォンテーヌ・ブラウン女史が……」
「えーいわかっておる! 改良工夫も世界一なのだよ」
蒸気魔が足を振り上げる。勢いでスカートが脱げ、純白のプリーツスコートが翻る。ぽとりと落ちる閣下。
「でも、着想はドイッチェラントが~」
這いずるように縋り付く。
「しつこいよ。君」
中佐は腰のチャックに手を掛けた。
なおもハーベルトがスコートにしがみつくと、蒸気魔は天下の宝刀を抜いた。
「認めたまえ。これは命令だ」
「はい」
さしもの閣下も小声でうなづいた。
「閣下も頭が上がらないなんて……」
望萌が怪訝な顔をすると本人が恨めしそうに答えた。「気使ってるのよ。鈍感」
よどんだ空気を払うように蒸気魔が声を荒げた。
「さて、諸君。本番だよ」
■ 払暁の空に
払暁の空に一筋の飛行機雲が描かれた。パッと茜色の傘が満開する。誘導索がさらに大きな傘を引っ張り出す。
ムリヤの機内にカウントダウンがこだまする。
「ミニットマン改ビッグスターミサイル。点火Tマイナス30秒。29、28……」
人々が固唾を吞んで見守る中、スレン・オチルバトはただ一人、俯いていた。マタニティードレスをめくると、緩いブルマ―にポッコリと小さな起伏が出来ていた。
ブルマのギャザーを掴んで降ろす。お腹に小さな足の形が浮き出ていた。
「ゲレルトヤー♪」
彼女は愛おしむように、我が子の足型を撫でる。空中発射ミサイルは無事にビーンスタークの核心を打ち砕くだろう。
スレンは納豆子の説得力を信じている。歳ふりた知性は凍てついた少女の心をどのように溶かすのだろう。
それは、母親となるスレンにとっても興味深いテーマだった。機会があれば後学の為に訊いておきたい。
そして、いつか我が娘も藤野祥子と対面する日が来るのだろうか。
彼女は生きとし生けるものすべての幸福を願った。
「それまでにゴビ砂漠が緑になればいいね。ゲレルトヤー」
スレンが下腹部を撫でると、もう片方の足が浮き出た。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!