後編①
■ 生駒山脈 哮ヶ峯(タケルガミネ)
太陽は遠い地平線の彼方に去り、星々の喝采が上弦の月を讃えている。柔らかな光を受けてツツジ科の野草が揺れている。星ヶ丘一帯はオーガニックハーブの栽培が盛んな事で知られている。稜線のすぐ向こうではアマテラスの巻き起こした混乱が煮えたぎっているがここは何事もなかったように平和だ。
それには理由がある。
月が天に近づくにつれて岩肌の翳りが黒昆布のようにチラチラと蠢いた。
まるで妖怪が擬態しているんじゃないかと思うほど不気味な漆黒がある。そこから冷たくて分厚い存在感が伝わってくる。
それらをナイターの灯りが一気に吹き飛ばした。邪悪と陰湿が漂白されて、聖なる存在が姿をあらわした。
ドイッチェラント鉄道連隊の夜間作業車がV字型の照明を支えている。2000ルクスが澄んだ空気をあぶる。その光量に負けじと彫像が怒りの炎を燃やしている。右手に剣を持ち、炎の冠を被り、紅蓮の大車輪を背負って立つ化身。
「こんなところに不動明王(シヴァ)?!」
作業車の武装SSが息を呑んだ。
「みて、貴女(あなた)。こっちは大日如来(ヴィローチャナ)よ」
助手席の女が前方に四体の仏像を発見した。ライトを巡らせると、闇の炎を振り払らおうと身もだえる。
「ええ、観音菩薩(アナーヒター)や地蔵菩薩(クシティガルバ)もいるわ」
運転手がうなづいた。彼女たちは仏教に通暁している。ドイッチェラントの武装SSはナチスドイツを部分的に継承している。かつてヒトラーはチベット密教に必勝法を探し求め、神秘主義に開眼した。その影響力が大きい。
「我が友邦は侮れない国ね。こんな確率変動源をしれっと隠匿している」
スミン・クローネは運転席から降りて量子オペラグラスをかざした。
「不可解です。この場所は天孫降臨の地だというじゃありませんか。どうして仏教遺跡が刻まれているのです?」
助手席の少女が首をかしげるのも当然だ。もともと哮ヶ峯(タケルガミネ)の氏神は彼らであった。しかし、皇族御用達の武器製造業者である物部氏(もののべ)氏が自分たちの守護神ニギハヤヒを祀る口実として廃仏の動きに出た。都で流行る疫病は仏教の仕業だというのである。しかし、病気は終焉せず、物部氏も滅んだ。
暫くの間はニギハヤヒをタブー視する風潮があり、仏教が盛り返した。ニギハヤヒが返り咲くのは、明治政府の廃仏毀釈によってである。
「グダグダですね。多神教の国は理解に苦しみます」
少女はスミンの話に肩をすくめた。
「わかったら瀬織津姫(せおりつひめ)を探してちょうだい。彼女はすぐ近くに封印されているはずよ」
スミンはスカートのポケットからカロリーメーターを取り出した。
「誰なんです?」
「ニギハヤヒの奥さんよ。国家権力が闇に葬ったの。ダンナを無理やりTSした都合上、仕方なかった」
「その女神……を呼び出して饒速日を阻止できるとは思えませんが」
少女は半信半疑の様子だ。スミンは噛んで含めるよう言う。
「彼女は機織り姫と位置付けられている。アマテラスは機織り女を弟に殺されて天岩戸に引き籠ったの。当局が作った神話は瀬織津姫の事を暗喩しているのよ。そういう筋書きにして歴史から葬った。そして、彼女は地元で何と呼ばれているとおもう?」
そこまで言われて、少女はハタと思い当たった。
「まさか、織姫(ベガ)?」
「ご名答。ここからは軍事機密だけど……極大射程織姫砲(グランドベガキャノン)は瀬織津姫を確保しないと撃てない」
「そういうことでしたか! しかし、こんな山奥でどうやって」
「瀬織津姫は弁財天。水を司る神様でもあるわ。封印した施設がある筈。天の川近辺を重点的に走査(スキャン)してみましょう」
武装SSは二手に分かれてカロリーメーターで捜索し始めた。
■ アマノイワフネ(承前)
「人間ごときがこのニギハヤヒに勝ろうなど笑止千万!」
饒速日の命は全身を炎上させ、アウトカムの正体を露わにした。
「その男性特有の傲慢さが墓穴を掘るのよ」
しゃなりとヒナが帯を揺らす。
「同じ手が通じると思うなよ。俺は熱力学第二法則の壁をぶち抜いたのだぞ」
アウトカムが指先の一点に破壊力を集中する。かなりセーブしないとイワフネどころか、この世界を壊してしまう。何しろエネルギーは無限大なのだから。
「で? わたしは八咫烏よ。お前の物理学なんか書き換えてやるわ」
ヒナが言い返すと、絞った光条が迸った。
が、エメラルドグリーンの鱗に遮られる。
「アマノイワフネを壊されてはかなわん。二人とも出て行ってくれ!」
パフ・ザ・マジックドラゴンが棍棒のような尾でニギハヤヒを打ちのめす。彼はそれを焼き焦がした。
野太い悲鳴が響き渡り、魔龍がのたうち回る。ガラガラと祭壇が踏み潰された。
「馬鹿が!」
ニギハヤヒは崩れ落ちる供物の中からひと振りの神器を取り上げた。
「遥祐!」
ヒナが魔龍(パフ)を庇おうと踵を返した。
その瞬間。
「貰った!」
アウトカムが素早く巨躯の陰に回り込んだ。天叢雲剣を思いっきり振り上げ、尾の先端に突き立てる。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が体内に隠し持っていた禁則武器(チートアイテム)である。
神器――であるだけに、西洋の魔龍なぞ虫けらも同然。一撃必殺である。
「なっ――?! ぐはあッ!!!!」
イワフネのハッチが開く。未来の賢者は血反吐を吐きながら夜の生駒山麓に消えていった。
■ TWX1369
「アマノイワフネが蛇行しています!」
急報を受けてハゲ天使がガバと飛び起きた。
「列車長、本当なの?」
ハーベルトは偽エルスを踏み越えて運転台に駆けつける。
「不測の事態が生じたようです。あっ、ちょっと待って」
ハウゼルは探照灯の範囲に人影を認めた。咆哮ネットワークノードを放出して捕縛を試みる。ハーベルトは偽エリスをたたき起こして救出に向かった、
■ 生駒山麓 天野川上流
スミン・クローネはセーラー服を腰まで濡らしながら川底を走査していた。瀬織津姫の気配はおろか残留思念すら見つからない。強力な伝説を残す存在であるだけに、時の政権が全くゼロから創作した形而上のキャラクターとは思えない。七夕伝説はタイ、ベトナム、インドネシア、バリ島にまで伝播している。その影響力から一定以上の幽子情報系(ソウス)が集合体を成していると思われる。
瀬織津姫は確実に「居る」
◇ ◇ ◇
「ありましたか?」
バサバサと水飛沫をあげてハゲ天使が着水する。彼女は弱弱しい笑みを浮かべていた。顔に「一縷の望み」と書いてある。
あいにくスミンは無機質な人物なので労いや慰めの言葉など持ち合わせていない。
「残念ながらサッパリよ。根本から考え直した方が好さそうね」
ザバザバと岸にあがり、新品のアンダーショーツに脚を通した。
「的外れな場所を探しているかもしれませんね。日本の格言に灯台下暗しと言いますし……」
少女がポツリとこぼすと、スミンの頭上に電球が灯った。
「――そうだわ!」
◇ ◇ ◇
勢至菩薩(マハースター)は混迷を晴らす叡智のともしびである。二人は四体の仏像に立ち返り、カロリーメーターで照らしてみた。はたせるかな、すべてを見極める仏の功徳により、残留思念が凝縮しはじめた。、
観音菩薩の蓮台は死者の霊を載せる場所である。そこに見目麗しい姫君が再生された。
彼女は両足が実体化したと同時に血相をかえてスミンに駆け寄った。
「夫が! 夫を止めてください」
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