向こう見ずな天の川(アンナスル・アルワーキ)⑬ 禁野火薬庫爆発事件 (2) 親殺しのパラドックス
■ コード1938/2047 陸軍造兵廠 禁野弾薬庫跡
「おばあちゃん!」
祥子が一歩踏み込んだ瞬間、明菜の喉元に銃剣が突き付けられた。
「下手したら、お前の祖先がどうなるかわかっているんだろうね?」
川端エリスが脅すと、猿ぐつわを噛まされた女学生が嗚咽した。
「立場と今後の展開を理解できてないのはアンタの方よ。ペンローズ過程で『時間軸』をブラックホールに放り込むかわりに、『空間軸』――つまり、現代の星ヶ丘一帯をブラックホールに『投棄』することで、西暦1939年の世界線をここに『呼び寄せた』。こんな大仕掛けを組んだ狙いは……ずばり、祥子にあるんでしょ?」
ハーベルトは相手の意図をあっさりと見抜いた。
「参ったわね……さすがは猛将トロイメライ・フォン・シュリーフェン。そうよ、アドルフ・ヒトラーの遺伝情報に感染した宿主を、その子孫――遺伝子情報媒介者(キャリアー)に殺させれば、因果関係が破綻する。早い話が親殺しのパラドックスが生じる」
「あははは! 気でも狂ったの? 祥子には明菜を殺す理由がないわ」
何を馬鹿な事を、とハーベルトが一笑に付す。
「動機はお前だろうが! いつまでも隠し通せると思うのか? 私から言ってやってもいいんだぞ!」
エリスの物凄い剣幕に祥子はただならぬ気配を感じた。
「隠す……って、何だい? ハーベルト……隠し事って何なんだよ……嘘だろ? ねぇ……」
地球の裏側まで貫通するように祥子がこちらを見据える。
「隠すって……ねぇ……あはは」
ハーベルトは鼻先をくいっとあげて、視線をそらした。
「ハーベルト! ボクはキミの事を友達だと信じていた!! お母さんだと頼っていた!!! お嫁さんだと愛していた!!!!」
動悸と驚愕と失望が祥子の声帯を震わせる。
「―――……」
とうとう恐れていた時が来たのだ。ハーベルトは祥子を慮ってハンス・シュティールと明菜の関係を伏せていた。
お前の祖母は遠赤外線光学タンパク質活性法によって「視姦」された。
お前はアドルフ・ヒトラーの血脈を受け継いでいる、などと中学生の女の子に平然と暴露できるほどハーベルトは冷血になれなかった。しかし、小さな親切大きなお世話という格言があるように、良かれと思った気遣いが仇となる場合もある。
「教えてやろう。藤野祥子、お前の祖母は……」
エリスが残酷な真実を告げようとしたが、祥子がさえぎった。
「知っている! 知っていたよ!! ボクはとっくにわかっていた。だけど、どうして黙っていたの? わからないよ、ハーベルト!!」
ごめんなさい、と消えるように言うのがやっとだった。
「カラスのおばさん!! そのナイフを貸して!」
祥子はエリスから銃剣を奪い取ると、武鳥明菜に刃を向けた。
「ヒトラー・ユーゲントの事も、ハンスおじいさんの件もボクはとっくに知っていた。キミが二の足を踏むのもわかっていたさ」
「墓場にまで持っていくつもりはなかった。貴女(あなた)は幼すぎると……」
ハーベルトが綺麗ごとを並べると、祥子は瞳を潤ませた。
「……だからこそ、キミに言ってほしかったんだ。ハーベルトのばか」
「馬鹿な真似はよしなさい」
ハーベルトが銃剣を払いのける。負けじと祥子もダイマー能力で刃を氷結させた。つるりと手が滑る。
「今度こそボクは死ねるよ。この人を刺せばボクは『最初からいなかった』ことになるんでしょ。さよなら、ハーベルト」
祥子は勢いに任せて、銃剣を突いた。
「ぎゃあ。やめて! おかあさん!!」
------------------------- 第175部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
向こう見ずな天の川(アンナスル・アルワーキ)⑬ 禁野火薬庫爆発事件 (3) おかあさん
■ コード1938/2047 陸軍造兵廠 禁野弾薬庫(承前)
おかあさん、という言葉に祥子は敏感に反応した。刃先がピタリと停まり、銃剣を取り落とす。
まるで自分が呼ばれたような気がして、複雑な気持ちになった。希死念慮が急速に萎み、なんだかほんわかした気持ちが沸きあがる。あろうことか、若かりし頃の祖母に対する親愛――というより、母性愛が目覚めたのだ。
もちろん、明菜は祥子を母親と誤認したわけではない。危機に瀕した未成年者が本能的に保護者を呼ぶことは当然だ。
「お、おばあちゃ……いや、明菜ちゃん、ごめんなさい」
祥子は銃剣を再び握ると、背後からエリスを素早く突いた。
「――?! な、?!」
八咫烏は肝臓に致命傷を受けたらしく、こんこんと出血しながらくずおれた。人間の肝臓静脈は下大静脈につながっており、然るべき急所を損なえば一撃必殺も可能である。もちろん、祥子は枢軸兵として近接剣戟戦の訓練を積んでいる。銃剣格闘には短剣道がセットになっている。
「ごほっ!」
エリスはたった今、自分の身に起こった事を理解できないまま血の海に沈んでいく。八咫烏の肉体を得た彼女であればホモサピエンスの奇襲を回避するなど造作もない。しかも、相手は発達段階にあるメスだ。その動きがなぜ見切れなかったのか。
いや、それよりも、祥子の行動原理が理解できない。
おかあさんと武鳥明菜に呼ばれて、なぜ心中を思いとどまったのか。皆目見当もつかない。
いや、思い悩んでいる暇はない。だんだんと視界が暗くなる。エリスは八咫烏としてのヒーリング能力を総動員した。
血圧が下げ止まら……ない。ぼんやりした人影が丸太に跨っている。判断力が急速に衰えている。
ヒトカゲって何だ……。
……
物言わぬ肉塊に構わず、祥子はロープを切り開いた。血糊はダイマー能力できれいさっぱり洗浄した。人命を奪う事に躊躇はない。自分はモンゴル人を一人殺しているのだ。黙々と簀巻きをほぐしていく。
解放された武鳥明菜はぐったりして眠りについた。精神的に限界がきていたのだろう。ハーベルトは記憶消去術を施したうえで本初始祖世界(ソースコード)に送り返してやろうと考えた。機関車から衛生兵を呼びつけて明菜の治療にあたらせる。
「祥子、ちょっとその銃剣を見せてちょうだい」
「いいよ。これがどうしたの?」
偽エリスに用済みになった刃物を手渡す。彼女はしげしげと見つめて「やっぱり」と意味深に呟いた。
「わたしにも貸してちょうだい」
ハーベルトが銃剣をひったくる。桜の中に「昭」の一文字が刻まれている。
「内務省令の検査印が入ってるわね。ふむん、これは名古屋造兵廠が大阪造兵廠に下請外注(アウトソーシング)したバージョンよ。戦争が激化して砲弾だけじゃなく小物類も製造していたの。玉鋼といって、摂津県で採れる砂鉄が原材料なの」
ハーベルトは枢軸の武器製造事情にやたらと詳しいようだ。さすがは戦車を玩具にして育った子女だけはのことはある。
「ていうか、その刀。ヤンガードライアスの破片で出来ているわよ。何なのよ、これ」
偽エリスは銃剣を不思議そうに観察している。
「彗星のかけら……。じゃあ、偽エリス。これはペリドットで出来ているんだね」
祥子が銃剣の成分と彗星の共通性に気付いた。
「そうか、それでさっきのおかしな現象の説明がつくわ。砂鉄は隕石や地球内部のマントルに類似した組成をしているのよ。彗星出身の八咫烏と何らかの形で干渉してもおかしくない」
ハーベルトがそこまで言うと、銃剣がダイマー聴覚に語り掛けてきた。
懐かしい聞き覚えのある声だ。
『皆さん、お元気そうで何よりです』
「「阜康(フカン)隕石?!」」
ハーベルトと祥子が同時に叫ぶ。
「ちょ、納豆子さん。生きていたの?」
ハウゼルが銃剣に尋ねると『そうです。こうして皆さんと再会できるなんて夢のようです』と答えた。
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