枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

戦乱渦巻く異世界を軍用列車で平定せよ!日独伊三国同盟を枢軸特急が駆け抜ける
水原麻衣
水原麻衣

愛を知らずに魔法は使えない(インディゴ・ブルーフィーダー・バイツ)③超音速巡行誘導弾(ブラモス)

公開日時: 2020年12月6日(日) 20:20
文字数:4,291


マーシャル・クリロフ



 ■ マーシャル・クリロフ

 ネデリン級ミサイル追跡艦の二番艦、マーシャル・クリロフは全長百四十メートル、排水量一万四千トンと小型ながら、情報収集艦としては申し分ない性能を備えていた。そのコンパクトボディに極超音速巡航ミサイルを捕捉するミサイル追跡システム、一万海里に及ぶ核航続力、北極海における作戦行動を前提とした砕氷能力、そして艦首上部構造物の居住性だ。

 それはロシアを軍門に下したドイッチェラントの手によって徹底的な嵩上げが施されていた。煌々と照らされた戦闘指揮所は冬の早い落日に慣れた拘留者たちの目に眩しく、バラ色の太陽にさえ思えた。室温は摂氏二十三度前後に維持されており、暖かな食事も用意されている。

「白樺の皮を燃やして凍傷を防ぐのがやっただったんだ。煤が酷くてたまったもんじゃない。もっぱらの話題と言えば内地に残してきた家族や懐かしい故郷の食べ物の事だったよ」

 瘦せこけた一等兵が我慢しきれず糧食にかぶりついた。テーブルの上には兵士たちの心情も加味してコード2045の献立は一切並んでいない。余りのギャップに人間としてダメになってしまうだろう、という大総統府の配慮だ。それでもライ麦パンやジューシーな骨付き肉、ポテト付きサラダと言った質素とは思えないボリューム感がある。

「魚もありますよ」

 ハーベルトが燻製魚の缶詰を空けた。

「いや、もう結構。満腹だ。それにしても、ラファームシノワが牙を剥くとはな」

 日本人将校八幡九郎は満足そうに箸を置いた。

 QCDの洗礼を受けた残留思念たちは物分かりがよい。ソースコードの日本敗戦や進駐軍の占領の厄介な歴史を皇国民にどう説明しようかハーベルトは肝を冷やしたが杞憂に終わった。

「始祖(オーソ)ロシア、高麗土候国、蓬莱、新興国がぐるりと包囲網を築いています」

 ハーベルトは枢軸基幹同盟を取り巻く脅威をざっとおさらいした。

「おまけに鬼畜米英と手を組んでいるとはな。目から鱗だ」

「鬼畜ではありませんよ。真の敵は高次知能集団(エイリアン)です」

 ハーベルトは歴史が変わったのだと念を押した。

「それでも天皇陛下が御健在であらせられることは何よりの僥倖だ」

 八幡はコーヒーカップを固辞し、かわりに煙草を咥えた。

「いやはや、まるで悪夢をみているようだ。ソ連が中立条約を破棄して、満州が飼い主に噛みつく世界なぞ」

 八幡中佐の副官笠岡日生は奥歯に物が挟まる言い方をした。女だらけの軍隊など認めがたいと言いたくてかなり我慢しているのだろう。

「笠岡君。ドイッチェラントのご婦人方に失礼ではないか。ところで、我々は何を?」

 拘留者の行く末を案ずる男にハーベルトは改めて協力を求めた。前進を是とするドイッチェラントは残念ながら日本兵たちの妻子を蘇生する願いはかなえられない。そのかわりに奇跡的な復興を遂げた枢軸日本の護りを託したのだ。

 関東軍に与えられた新たな任務はドイッチェラント戦闘列車部隊の運用である。

「いかんせん私どもは女所帯です。鬼の軍団を操る相手には力不足なんです」

 ハーベルトがエーデルヴァイス海賊団の経緯を説明すると、笠岡はさもありなんという顔をした。

 ■ 小興凱湖

 ハンカ湖は白鳥の湖だ。オオハクチョウだけではなく、カモ類や雁が春と秋に数十万羽も渡来する。そのうち、サカツラガンはシナガチョウとしてラファームシノワ側で家禽化されている。

 ソースコードにおいてラムサール条約に指定された湿地帯。その北側はトゥリログとクラエフスキーを結ぶ国境線上に流し網が張られている。

 そこから奥まった場所にマドレーヌが陣取っていた。ハンカ湖の北に面積百四十平方キロの小興凱湖がある。

 二つの湖を結ぶ幅一キロの砂州。そこは満潮時に沈んでしまうが、格好の養魚場として繁栄している。

 朽ちかけた小屋に成人男性の腕ほどもあるケーブルがいくつも引き込まれ、ざわざわとノイズが漏れ聞こえる。室内にはシノワ東北の田舎にそぐわない最新機器類がきらめいている。

「やはりドイッチェラントのアキレス腱を切るしかないのね」

 マドレーヌ・フラウンホーファーがVRグラスを外した。網膜に八幡のワールドクラス波がくっきり焼き付いている。

「蜂起させるなら今がチャンスですよ」

 技術将校が要らぬ助言をした。

「いいえ。集団がハーベルトと祥子を放した意味がなくなるわ。焦りは禁物よ」

 マドレーヌはモニタリングを続けることにした。

 ■ ハンカイスキ国立自然保護区 プリモルスキ地方、ロシア連邦

 マーシャル・クリロフ号のメインマストは船内の和やかな雰囲気とは打って変わって、薄氷を履むが如き緊張感が漂っている。

「白鳥を観察しろ、ってハーベルトはどういうつもりなの」

 祥子は素足を震わせながら量子オペラグラスを覗いている。

「網タイツのうえにこれを履きますか? 暖かいですよ」

 荒井吹雪がエプロンドレスをめくってドロワース型宇宙服を脱ぐ。吹きさらしのアンテナマストは猫の額ほどしかない。

「いいよ」

 祥子がポットからコーヒーを注いだ。

「シノワ側は水路が立派な整備されているようね。フナやサケが獲れるのかしら」

 吹雪が辛抱強くオペラグラスで監視を続ける。水鳥が養殖魚を虎視眈々と狙っている。

「悠長なことを言ってないでマドレーヌの尻尾を掴んでよ。結局のところ目視だのみだなんて、ハーベルトの玩具も大したことないや」

「しっ、声が大きいわよ」

 女教師が諫めると、下の方から男たちの声が聞こえてきた。ジョロジョロと放水する音がする。

「しかし……」

「笠岡君。露助に騙されるな。あいつらは魔女だ」

「無謀ですよ。彼女達の科学は本物です」

「そんなもの手品でどうにもなる。ともかく、後鳩桜などという偽帝は断じて認めん。女の天皇だとぉ?」

「だから、どうしようってんです?」

「決まっているだろう。この艦を乗っ取る」

「運命量子色力学とやらの粋を集めた艦ですよ。おまけに我々は陸軍です」

「思う念力岩をも通す。貴様、それでも大和男児かぁ!」

 銃声が響いた。

「笠岡さん!」

 祥子がセーラー服を破り捨て、素早くアンダースイムショーツ一枚になる。柵を乗り越えて水面ギリギリにホバリング。撃たれた兵士を待ち構える。今なら応急処置が間に合う。

 ところが、待てど暮らせど彼は落ちてこない。

「やっぱりそういうことだったの!」

「貴様!」

 頭上からハーベルトとやりあう声がする。バンバンと続けざまに発砲。何事かと思って祥子がキャットウォークに上がると信じられない光景があった。ドイッチェラント女性兵たちが八幡を拘束している。そこに笠岡の姿はない。

「こんなこともあろうかと笠岡さんのイリュージョンを用意したのよ。収容所生活が厳しくてリンチが絶えなかったというね。絶望感の捌け口として」

 ハーベルトが言うにはノミ、マダニ、南京虫などに悩まされた拘留者たちが同胞を血祭りにしてストレス発散していた。そこに邨埜純色が駆け付けた。八幡にカロリーメーターを突き付けている。

「抑留者たちは操られている。犯人はコイツ」

 ハーベルトがスカートのポケットから試験管を取り出した。大きな吸血虫が封入されている。サイズは一センチはあろうか。

「ダニよ。こいつらは吸血する際に凝固を阻害するために色々な物質を注入するの。例えばアセチルコリン受容体阻害成分。ボツリヌス毒素はシナプス細胞を攪乱させ――」

「あぶない、純色さん!」

 祥子がQCD学者を抱きかかえ、飛翔する。

 アンテナマストが爆散し、もうもうと煙があがる。すんでのところで異世界逗留者たちは難を逃れた。八幡九郎は人間離れした挙動で上部構造物の間を飛び跳ねる。

 ガアガアと水鳥が騒ぎはじめた。

「確率変動を操れるなんて!」

 祥子が湖岸のALX427の上にに降り立った。抱きかかえた純色をおろそうとして、殴り倒される。

「八幡?!」

 純色が振り返ると、男は銃把を握りなおしてくるりと銃口を向けた。

「あの船をいただこうと思ったが、この際、列車でも構わん」

「――!?」

 カロリーメーターを取り落として焦る純色。

「どうした魔女。能なしの口たたきめ」

 狂った将校が引き金に力をこめた。

『殺すのはいつでもできるわ』

 マドレーヌが彼の心に語り掛ける。彼女は獲物を殺す代わりにもっと有意義な指令を与えた。


 ■ ロシア・シノワ国境付近

 荒井吹雪はハーベルトに連れられて湖面すれすれにバードウオッチングを続けていた。

「純色がピンチだというのに、こんなところで油を売ってていいんですか?」

 ハーベルトは教師の懸念を無視して量子オペラグラスに索敵を命じた。

「この湖には数十種類の淡水魚が生息しているのよ。その中のたった一種類を見つけてちょうだい」

 双眼鏡のAIは無茶な注文に二つ返事で応えた。焦点が泳ぎ回って一つの個体にロックオンした。

 水鳥が細長い魚をついばんでいる。

 吹雪のダイマー共感視野にスキャン結果が転送される。

「これは……チョウザメ?」

 彼女は共有知識の中からルチェゴルスクで養われている魚を見つけ出した。

「ご名答!」

 ハーベルトが双眼鏡をいじると、チョウザメに黄色い線が重なった。その方向には小興凱湖がある。

「ノーザンプトン、超音速巡行誘導弾(ブラモス)を!」

 彼女が言い終わる間もなく、ショックウェーブが湖水を揺るがせた。マーシャル・クリロフのすぐ横を白煙が突き抜けていく。

 PJ-10ブラモスはマッハ3を誇る超音速ミサイルだ。射程は最大300キロ。450キロの炸薬が北岸の養魚場を粉砕した。

「うっ?!」

 八幡九郎は脳梗塞を起こしたかのように白目を剥いて立ったままALXから転落した。

 ほっと胸をなでおろす純色。

 ◇ ◇ ◇

 マーシャル・クリロフ戦闘指揮所

「何があったの?」

 当惑するQCD学者にハーベルトは伏せていた情報を洗いざらい開示した。

 マドレーヌ・フラウンホーファーはシベリア拘留者の目を通してALX427の情報収集を目論んでいた。その試みは成功し、マーシャル・クリロフをはじめ膨大な機密情報――ほとんど、九郎の視覚によるものだが、見る目のある専門家が一瞥すれば、そうとうな資料価値がある――が懐疑派に流れた。

「じゃあ、ボクたちの負けじゃん」

 呆れ果てる祥子にハーベルトはドヤ顔でやり返した。

「この機会にリークと言う英単語を覚えるといいわ。意図的な情報漏洩。敵は幾つかのガセネタを掴んだのよ。最初からそのつもりだったし!」

 リアクションに困っている同僚たちに彼女は追い打ちをかける。

「『鈴』も仕込んでやったわ」

「閣下。盛り上がっているところ申し訳ないけど……」

 望萌が悪い知らせを持ってきた。

 ラファームシノワ軍が巡航ミサイルの攻撃を宣戦布告と見做したのだ


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