針鼠の恋愛事情(グリーパス・スタン・アマルガムハート) ⑫
■ ビラ川河川敷
運命量子色力学者(キューシーディー)が激しく力線を撃ち合っている。コヨリがカロリーメーターを振り上げれば、オレンジ色の傘が鮮やかに咲く。それが同心円状に広がって、中心から鋭い閃光がほとばしった。
「憤怒か?!」
純色は落ち着いた感じでカロリーメーターのダイアルを捻る。くるりと振り向きざまに一発。機械から純白でやわらかな光がじわじわと放たれた。慈悲のビームが川幅の中ほどで閃光とぶつかり合う。互いの光線は拮抗し、一進一退の攻防が続く。
「留萌、処置を」
列車長が命じると、留萌はスカートを胸までまくりあげて、裏地に張り付いたカプセルを取り外す。豆粒ほどのスイッチを入れたとたん、ブンっとレーザーがほとばしった。
「やああ。わたしのすかーと〜」
鋭利な輝きはプリーツスカートを斜めに切断し、アンダースコートに焦げ目を作っている。
「もおお。ヤダ」
涙目でスカートを脱ぎ捨てる留萌。
「気を付けてね」
ハウゼルがカプセルを受け取って出力を調整する。レーザーが素麺ほどの太さになった。「こんなものかしら」とカプセルを振ると、留萌のボロ服が豆腐を切るようにスパスパと破れ落ちた。「ちょっ……」
留萌はブルマ姿でしゃがみ込む。
「グズグズしないでこの子を脱がして! あたしもいつまでも持ちこたえられない」
純色が急かす。ハウゼルがブレースを手際よくビキニ姿に剥いた。レーザーでブラ紐を容赦なく切る。ガリガリに痩せた胸に干しブドウが二つ乗っている。洗濯板は凪いでいる。すなわち、心肺停止状態。留萌が「ごめんね」と小声で謝ると、押し当てたカプセルが放電した。カッと目を見開いてエビ反るブレーズ。二度、三度、電撃が繰り返すたびにブレーズがのたうつ。だが、息を吹き返す気配はない。彼女のブラは無残に溶け落ち、アンダーショーツもところどころ穴が開いている。
「ちょっと、おばさん達〜。まだなの〜〜?」
純色がうんざりしたように叫ぶ。川面は沸騰し、石が爆ぜ、川底が剥き出しになった。もうもうと立ち込める水蒸気をかいくぐって、銀色のビームが飛来した。背後の灌木がパッと燃え上がる。
「もう! こんな時に『閣下』殿は何をやってるのよう!!」
列車長は恨めし気に天を仰いだ。
■ 対岸 ビラ川河川敷
さすがは本家QCD学者だ。傍流が渾身の力を振り絞った攻撃を加えても、びくともしない。ホウ素12Λを無駄に消費させられるだけだ。沼田コヨリはカロリーメーターの残量表示を見てジリ貧だと感じた。そこでしぶしぶ次の手を打った。そろそろビロビジャン市内にはウエストナイル脳炎が蔓延している頃だろう。
人間の中枢神経には網様体と言われる部分があり、五感をフィルタリングしている。脳は自分に都合のよい情報だけを受け入れる。地下鉄の車内で乗客が爆睡できる仕組みもここにある。コヨリはQCDを用いて脳炎ウイルスの遺伝子を光学的に組み替えた。脳炎は脳幹の網様体を刺激して患者の認識を恣意的に偏向させた。
人間原理である。量子力学はいう。ものみなすべて、人間に認識されて初めて確定する、と。コヨリが外挿した人間原理は局地的な事象を人間の認識力で自在に揺さぶる。
テント内の大型液晶モニターには市街全域の白地図が大写しされている。人体の経絡図のように患者の分布が咆哮のネットワークに準じて組織化されており、市内要所に結節点となるべき患者がいる。ネットワークの頂点が真っ赤に点滅している。
「カーミラ、あんたはシュルルフを。あたしはこの子達に社用族を統率させる」
コヨリが予備のカロリーメーターを投げ与える。カーミラは黙ってそれを受けとった。
「引きこもりの奴隷になってたまるか」
カマラはウエストナイル脳炎に多少の免疫があるようだ。必死で抗っている。既に社用族の二人は身包みはがされ、薄ピンク色のアンダーショーツ一枚の姿で枯れ木に縛り付けられている。
「社用族は社会の歯車らしく、アホみたいに回ってりゃいいんだよ。バカの空回り」
カーミラがカマラの横っ面をはたいた。
「バカなの? 働かざるもの食うべからず、よ。養って貰う身分の癖に」
カマラも負けじと言い返す。すると、カーミラは驚くべき詭弁を投げ返した。
「お前は下水管よ。ただ口から食べて排泄するだけ。毎日毎日くりかえす。それって生きた下水管と同じじゃん。会社の言いなりになって汚物を垂れ流すだけの社用、無用、不要!」
「少なくとも若年無業者(ニート)より生産的でしょ。誰にも頼らず自活している」
「会社に食わして貰ってるじゃん。それで人生に何が残る。何も残らない。ただ、食べて出すだけ。起きて、食べて、出して、寝るだけ。お前にニートを嗤う資格はないわ」
「は? バカなの? 貯蓄が出来るわ」
「僅かばかりの蓄えも強制参加の飲み会や贈答品の自爆営業、挙句の果てに身体を壊して療養費でパー。やっぱ垂れ流しじゃん」
若年無業者(カーミラ)と社用族(カマラ)は平行線を辿った。コヨリは面白いので二人をそのままにして、アマラの操縦に取り掛かる。彼女は派手なアフターファイブ(死語)を謳歌しているらしく有名咆哮者とも親交が深い。カロリーメーターを咆哮システムにリンクさせると、ウエストナイル脳炎のネットワークが一気に活性化した。うわ言のような咆哮が市内各所に轟いている。
そして五分も立たぬうちに効果が目に見えてきた。
■ ビロビジャン市上空
TWX1369は予期せぬ対空砲火を浴びた。旅人の外套効果が抑制してくれたが、装甲に傷がついた。
「あれは何?」
荒井吹雪が車窓から古めかしい大砲を見つけた。繁華街の路上に三脚式の銃架に防盾と銃が載せてある。これを二輪式の台車で運搬するようだ。女の子たちがスカートがめくれ上がるのも気にせず、銃座に乗ったり降りたり、せっせと作業している。
「デグチャレフ=シュパーギン大口径銃よ。三十口径の重機関銃。ロシアでは割とポピュラーな火器」
望萌は粛々と座標データを空母ライトに送信した。
アムール川上流。ゲルマン民族の血を引いたスズメバチが高迎え角で月明かりに挑む。エンジンをロジウム塩触媒対応型に換装し、推力重量比を九ちかくまで嵩上げした。くぐもった唸りが雷鳴の轟きに変わる瞬間、街に皆殺しのメロディが響いた。
レイセオン社製のAN/ASQ-228赤外線センサーポッドが対空銃座を確認。ペイブウェイ・レーザー誘導爆弾がシュパーギン大口径銃を紅蓮に変える。
「蜂の巣が留守になったわ♪」
コヨリは咆哮/脳炎ネットワークを通じて別動隊に突撃を命じた。虫の鳴き声とせせらぎの音が地鳴りのように高まっている中、夜陰に乗じて濃紺の人影がいくつも水面に浮かんだ。年の頃は十五、六か。少女たちはずぶ濡れの髪を後ろにまとめ、肌にぴったりと張り付いたスクール水着を脱ぎ捨てた。Tバックのぱんつ一枚になると、ナップザックから部品を取り出した。川の中州で半裸の少女たちが内なる声に従ってテキパキと武器を組み立てていく。コヨリが組み立て方を指導しているのだ。ものの十分も立たぬうちに対戦車ミサイルが組みあがった。ベンツが開発した歩兵用の誘導爆弾で、照準装置に夜間索敵能力を持たせてある。普通、戦車の装甲を打破するためには強大なパワーが必要で、個人の運用に
不向きなほど重い。だが、二重タンデム弾頭といって、成形炸薬を二段階に配置することで、最初の爆発で装甲を破壊したのち、内部で高温高圧のガスを誘爆させる。
「ミラン3対戦車ミサイルを設置したら、速攻でその場を離れて」
コヨリが一撃離脱を命じると、素っ裸の少女たちはアムール川の波濤に消えた。
古いアメリカ製の艦艇はこのような沿岸からのソフトキルを考慮した設計になっていない。もっともテロ対策が進んだコード2030あたりの艦はストリートファイター戦略といって、テロリスト個人とガチで戦えるが。
ミランは空母に引導を渡そうとしていた。
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