向こう見ずな天の川(アンナスル・アルワーキ)⑳ 酔夢、風速40万光年
話は数分前に遡る。祥燕と敵機はくんずほぐれつの空中戦を繰り広げていた。
強烈な機動と並外れた速度で祥燕を翻弄するアマノイワフネ。その船内に三つの人影があった。彼らは直立姿勢で、シートベルトを締めたり耐Gスーツを着るなどの対策を一切取っておらず、とても凄まじい加速度に耐えきれるとは思えない。
それもそのはず、アマノイワフネの船内に操縦席などといった野暮なカラクリは一切ない。その代わり、祭壇が設えてある。
神の乗り物であるからして、然るべき様式に則った手続きを経ねばならない。
日本神話の主要アイテムといえば三種の神器だ。八咫(やた)の鏡、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)だ。そして、五色旗がなびいて虚空に蛍光色の神代文字や漢数字がきらめいている。
神輿の前で神酒、清め塩、茄子、鯛などが三宝に乗っている。これらはいくら船が揺れ動こうとも微動だにしていない。
「一体どうやって操縦しているのよ」というヒナの疑問に、凛とした声が「操縦ではない、儀式である」と答えた。
発言者は神々しい光の衣を纏った若い女。
アマテラスである。
彼女はヒナのあられもない姿に惑わされ、開放系エントロピー変化の逸脱者として遥祐の眼前に顕現した。
「とるまりんそじゃ~な~と申したな。主ら、あの女を葬りさえすれば、我(われ)があるべき姿を取り戻せるというが、その言葉に偽りはなかろうな」
アマテラスは訝し気に二人を睨みつけた。邪神にせよ地母神にせよ、召喚直後の神格はたいてい機嫌が悪い。彼らにしてみれば虫けらの如き人間に招かれること自体があり得ない。従って交霊術師や魔方陣に立つものは死の危険に晒される。
和蘭坂遥祐が瞬殺されずに済んだのは、彼が魔法の龍であるからだ。それも相手の気まぐれで許されているに過ぎない。神格の機嫌を少しでも損なえば問答無用で幽子情報系(ソウス)に還元されるだろう。
彼がアマテラスを手玉に取っている理由は、有利なカードを持っていることに尽きる。
「貴女様(あなたさま)を謀(たばか)って何のメリットがございましょう? ニギハヤヒ。申し上げたとおり、あの藤野祥子は男子(おのこ)の魂を持って生まれたおなごであります。そして貴女様は持統天皇の差し金で女神に変えられた。ですから、あの女の生き血で禊ぎを済ませれば、すなわち毒を毒で制することにより……」
「くどい!」
アマテラスはくだらない男の交渉術にはまった自分を呪った。そして、祥燕をさらに追い詰めるための祝詞をあげた。
◇ ◇ ◇
アマノイワフネは猪突猛進してくる枢軸軍機に対し疑問符を投げつけた。
「なっ――どういうつもりだ?!」
敵機の挙動は予想を大幅に裏切った。アマテラス――いや、ニギハヤヒはロングレンジ攻撃を連発して相手の回避行動を誘い、消耗戦に持ち込もうとした。相手がそれを逆手に取る事も想定している。
至近距離から突撃してきたら、道反玉(ちがえしたま)で迎え撃つ。そのの威力はあらかじめ見せつけてある。爆撃誘導員は灰燼に帰した。
藤野祥子の武勇伝は魔龍から耳に胼胝ができるほど聞かされている。意図的な行動か、それとも、やはり無軌道な雌餓鬼(めがき)に過ぎないのか。
「何をしている?」
遥祐に促されて、ニギハヤヒは頭に血がのぼった。下等な存在に指図される謂れはない。それが彼/彼女から冷静さを奪った。
祥燕はアマノイワフネと衝突する瀬戸際まで迫り、ふわりと風に乗った。二宮忠八が発見した飛行原理である。
そして、左舷から得体の知れない化合物が投擲された。それは放物線を描いてアマノイワフネに降り注ぐ。
二宮忠八の製薬会社は戦後の混乱期にメタンフェタミンを商って富を得た。それは別名ヒロポンの名で一世を風靡した。そして、強い中枢神経興奮作用を持つメチル基系の有機化合物だ。服用した者は強い中枢興奮作用によって幻覚を見るとされる。
いや、正確にはソースコードに重なる平行世界に片足を突っ込んでいる。彼らは幻覚(リアル)を見ている。
「しまった、これは――」
和蘭坂遥祐が事態に気付いた。だが、何もかもが遅すぎた。メタンフェタミンはアルクイーク・ノーヴォスチ号で製造されていたメチル基と同質であり、メチルラジカルは先述のとおり、強力無比な確率変動源でもある。
コード1939世界はアマノイワフネを異世界混入遺物と見做し、全力で排除しにかかる。
アマノイワフネは制御を失い、風車(かざぐるま)のように回転する。祥燕も姿勢のコントロールを欠いたまま、ワールドノイズに翻弄される。
「うわーっ。ハーベルトぉーーー!」
「偽エリス、祥子をネットワークノードで捕縛して! 列車長、回収と同時にセリュックへ転轍!!」
ハーベルトが迅速な対応を呼びかける。。オーマイゴッド粒子が錐もみ状態の祥燕を掌握し、TWX1369に連結した。
「いや~ん。ハーベルト。ムチャクチャだよ。ボクだってオンナノコなんだからッ」
祥子のスカートが傘をめくるように裏返ってブルマ―が丸見えになる。
「ムチャクチャはそっちよ。だいたい貴女(あなた)ねぇ、いきなりメタンフェタミンとか……ひゃん☆」
ハーベルトが尻餅をついた。盛大にスカートを見せびらかす。M字の奥は濃紺の闇が支配していた。
ワールドノイズの光芒が木津川を、京都府を、日本列島を、世界を呑みこんでいく。
「防腐剤(アンチセプティック)全量車外投棄!」
ハウゼルが汽笛を鳴らすと、TWX1369は天から垂れた糸のごと異世界隧道を登りゆく。そして、下界に雪が舞い降りた。
……
…………
……………………
宇宙はレース飾りの雲に阻まれていた。
「――?!」
意識を取り戻した偽エリスは顔面の阻害要因を振り払った。
「ハーベルト! アンダースコートのゴムくらい替えておきなさいよ、もお」
彼女が立ち上がると、機関車に誰もいない。メインスクリーンには燃え盛る天体が大写しになっている。輪郭を舐める炎がライオンのたてがみを思い起こさせる。
「ちょ、まさか、ここって……宇宙?」
宇宙人エリスはスクリーンの恒星が太陽系に所属していることを認識した。彼女の母星アルデバランが小さく光っている。
「ここよ。偽エリス」
ダイマー聴覚からハウゼルが呼びかけてきた。祥子を含む三人は祥燕の船内で量子オペラグラスを覗いていた。
「ここはトラピスト・ワンの地表よ。敵は大変な事をやらかしてくれたわ。百聞は一見に如かずよ」
ハーベルトは双眼鏡が捉えた驚異の世界を中継してくれた。
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