向こう見ずな天の川(アンナスル・アルワーキ)⑰ 銀翼の祥燕
■ 私市市 磐船神社(承前)
「そうだ。お前が封印されている間に殺(や)られた」
男は簡潔に曳航学園の顛末を語ってみせた。
「そ、そんな……エリスって詐称している女の間違いじゃないでしょうね?」
あからさまに動揺するヒナ。
「ふん、新しい脳に慣れるまで込み入った話は避けた方がよさそうだな。これだから精神生命体は困る。俺みたいな不老不死(アンデッド)に進化すれば肉体を乗り換える度に精神を融合させなくて済む」
和蘭坂遥祐(おらんだざかようすけ)はもどかしそうに前髪を弄りながら言った。苛立たしげに運動靴の踵をコツコツと岩に打ち付ける。
あからさまに貶されたヒナはムッとした表情でため口をきく。こんな下種に救われるぐらいなら幽子情報系(ソウス)に還元されておけばよかった。
「どこが違うというの? 転生したって聞いてたけどこんな醜男(ぶおとこ)とは思わなかった」
すると遥祐は無言でさっと右腕を差し上げた。ヒナの体操服が飛び散り、ブルマのゴムが切れる。今度は左腕をクロスするように振り下ろす。バナナの皮を剥くようにヒナのブルマとピンク色のレオタードが裂け、スクール水着姿になる。そして、遥祐が万歳をすると、濃紺の生地が紙吹雪となった。
「ひあ……」
可愛らしいフリルのついたチューブブラにへそ出しパレオ姿の少女がグラビアアイドルのように横たわっている。まるで岩場で日光浴しているかのようだ。サワサワと風が裾を洗う。パレオが盛大にめくれあがり、ハイウエストのショーツが丸見えになる。
「恩人を怒らせない方が身のためだ。今や俺は精神世界や物質文明だけでなく、宇宙開闢(ビッグバン)さえも管轄する完全無欠モードに進化しつつあるのだからな」
遥祐は持論をとうとうとまくしたてた。
自分は南極でハーベルトと対決した際に不意を突かれて敗北した。盤石と信じて疑う余地もなかった自前の社会福祉学に致命的なエラーがあった。それは煎じ詰めれば、完全なる格差の是正だった。熱力学の第二法則に従えば、全体的な幸福などあり得ない。豊かであろうとする者は搾取する必要性から逃れられない。だが、それは宿命ではない。
ブレイクスルーをやってのけた人物がたった一人だけいる。
天照大御神だ。
彼女は弟であるスサノオに畑を荒らされるなど散々な目に逢わされたが、忍耐力と寛容な心で受け流した。しかし、自分の部下である機織り女たちを弟にショック死させられて堪忍袋の緒が切れた。それで懲らしめのため天岩戸に引き籠った。すると世界が闇に包まれた。タチカラオというマッチョな神が強行突入を試みたが扉はびくともしない。
「そこにアマノウズメというアイドルが彗星の如く現れた。彼女は自分こそがアマテラスより美人だと宣言し、天岩戸前でゲリラライブを敢行した。嫉妬心を煽られたアマテラスが見事釣り針に引っ掛かったというわけさ」
「……それがどうしてエントロピーの克服につながるの?」
ヒナが眉間にしわを寄せる。水着美人が台無しだ。
「イリア・プリゴジンの非平衡散逸構造理論を知っているか? 太陽神(アマテラス)が天岩戸に引き籠ると闇が支配する。これは熱力学第二法則の比喩だな。閉鎖されたシステム内部ではいずれ秩序が枯渇する。しかし、『然るべき刺激』を与えて、『外部から常に秩序を取り入れ』続ける『開放的』なシステムに変革させることはできる」
遥祐の話にヒナはいっそう眉をひそめた。
「そんなこと。口で言うほど簡単じゃないでしょ。誰かがとっくに……」
「凡人にはな。だが、超地球的な存在には造作もない。アマテラスは太陽神で自身が開放系なシステムだった。言っておくが、太陽神は最高神の一柱だぞ。しかし、彼女は機織り女を雇っていたんだ。『神』に捧げる供物を織るためにな。最高神が仕えている『神』って何だ? 神話という枠組みから開放された『何者か』を想定しているんだ……」
「はいはい。わかったわかった」
熱弁する遥祐をヒナがストップさせた。
「で、あの岩戸の前で八咫烏(ひとでなし)たるあたしが躍れば刺激になるのね? 中にいるとは思えないけど」
狂人の妄想にはついていけない、というヒナ。
「ああ、確かに今は昼だ。だが、じきに帰ってくる」
少年はオレンジ色の空を見上げた。天岩戸は神代の昔から数えて何十万度目かの洗礼を受けた。
■ 木津川畔
「ハーベルト、行くよ!」
祥子はスカートをめくってひらりと操縦席に納まった。真新しいカツラが風になびく。河川敷に急造された滑走路は世界屈指の工兵隊が仮設したものだ。もっとも、準戦時下のコード1938で建設許可されるはずがない。旅人の外套効果が凡人の目を眩ませている。河原は昭和の風景そのものだ。陽が西に傾き、渡船がみなもに尾を引いている。
しかし、霊的な感覚には緊迫した空気が伝わってくる。
ねばついたアスファルトが独特のオイル臭を放っている。枢軸兵たちの足元には細長いレールが一本だけ引いてあった。遠目にみると、そこに白銀のデルタ翼が乗っている。 操向車輪は降りていて、レール上の受け皿に乗っている。後輪はそのままで地に足をつけている。前輪から熱病/咆哮ネットワークノードが真っ直ぐにのびて、TWXの後部に接続している。
「私も長年、鉄道員(ぽっぽや)をやっていますが、機関車で飛行機を牽引するなんて前代未聞ですよ」
ハウゼルが納得がいかない表情で運転台にあがる。男山山上の管制塔からゴーサインが出ると、汽笛が鳴った。
「わたしだって陸(おか)でカタパルトを使うのは初めてだわ」
試作機の尾部から世界の終末を思わせる劫火が噴きあがった。どす黒い噴煙が鬼の形相を形づくる。
祥子を乗せたアンチ・アマノイワフネは彼女の名前をもらい受け、祥燕と命名された。機体はロケットのごとく蹴り出される。その前方を枢軸特急が黒煙をあげて先導する。向かい風が祥燕をふわりと空中へもちあげた。その様子を二宮の残留思念が愛おしそうに見送っていた。
――と、その時、偽エリスが量子レーダーに敵影を捉えた。
「未確認飛行物体、急速接近中!!」
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