痛痒の大海(カミノアデラント)⑤ テロリズム
■ 蜂狩港 第六突堤アクセン波止場
アクセン波止場はその名の通り枢軸基幹同盟(アクセンメヒテ)専用の船着き場である。正式名称ではないが市民の愛称が定着している。
陸(おか)にあがったハウゼルはスカートをそよぐ北風を懐かしく思いながらも、言い知れぬ違和感を感じていた。恭順した敵性人物を部下として扱う事にドイッチェラント軍人としての良心が反発している。田實ヒナと倉橋ヨエコは生まれも育ちも日本人だ。アーリア人の彼女とは肌の色が違う事を差し引いても西洋と東洋の精神的ないし文化的な距離は埋めがたい。ハーベルトどうやって祥子と至近距離を保っているのだろうか。考えているうちに自分ひとりが真空の宇宙に放り出されたような気がしてきた。心細いなどという生半可な心境ではない。磯香の混じった北風は氷のように冷たくて、体感温度と気力を奪う。ブルマとアンダースコートのうえにもう一枚重ねてくればよかった。ハーベルトが現地採用
した異世界逗留者(ソジャーナー)二人は心の隙間を埋めてくれそうにない。
ハウゼルは日本人の女の子をどう扱ってよいか途方に暮れていた。
せめて、ヌイグルミのブレッヒマンが傍にいてくれたら。膨張する不安を列車長として職業意識で抑えつけた。
そんな弱気を見透かしたようにハーベルトが釘を刺した。
「私たちは互いに牽引しあって戦わなければならない。前進しましょう」
そういうとしゃんと胸を張り、祥子の手を引いて道路を横断した。そして、新人二人組がおずおずとついていく。鬱鬱としている暇はない。ハウゼルは任務に向かい合う事にした。
■ ライブハウス メルティングサラダボウル
ハーベルトは髪をフレンチプリーツというアップスタイルにした。先頭を歩く彼女は、まるでグラビアアイドル気取りで人混みをかき分けていく。
瀟洒な洋館の前には人だかりが出来ていて、入り口から演奏が聞こえてくる。開港イベントを音楽で彩ろうと観光協会が主催している。
蜂狩市民は枢軸の将来に不満を感じ始めていた。帝國の絶対防衛圏は理性の砦だと大本営は喧伝している。枢軸人(すうじくびと)にあらぬ者は人にあらずであるから、狂人の侵入を阻む防塁が必要である。
こう言って、帝国陸海軍は戦時国債を売りさばき、脅威をあおり、備えの必要性を訴え、事あるごとに軍事力をアピールした。この事がかえって国民の不安を増幅した。慌てることなく懐柔策を繰り出した。
国防力の増強は平和と安定をもたらす。国家存亡の危機感を生産活動における品質維持の緊張感に置き換えることで経済が発展する。そういう名目で官製の文化事業を振興し始めた。蜂狩開港記念行事の一環としてトロイメライ艦隊の寄港式典が実現した。
ドイッチェラントの伝統芸能はジャズ・ミュージックだ。ライブハウス玄関口の特設ステージでは、エーデルヴァイス海賊団の流れを組む女の子たちがスイングジャズを奏で、フリフリのスカートからブルマを覗かせている。スイングとは「ノリノリ」という意味を持つが、隠語で女子同士の密着した関係をあらわす。
そういうわけで会場は黄色い歓声が飛び交うなか、あちこちで百合の花が咲き誇っていた。
ハーベルトが異世界逗留者たちにパンフレットを配った。プログラムには学生部門のコンクール入賞者が名前を連ねている。
「聖イライサニス学園の演目が目白押しよ。その中に元祖川端エリスが潜んでいるはず」
ダイマー共有聴覚に提督の注意喚起情報が流れる。川端エリス本人は阜康(フカン)隕石に倒されていなかった。八咫烏をはじめとするヤンガードライアス彗星の住人は肉体や精神が滅びても存在する。それどころか形而の上下を自由に往来出来るという。
その事を蜂狩山脈に埋もれたペリドット層が伝えてきた。
昏睡死した川端の恨みは日本海溝よりも深く、容易に取り除けない。今もどこかに潜んでおり、枢軸特急に報いる機会を伺っているだろうとスミン・クローネが結論付けた。
助言に従って、ハーベルトは蜂狩当局の招聘を喜んで引き受けた。トロイメライ艦隊を無傷で返すほどエリスはお人好しではないだろう。
壇上では学生たちのバンド対決が始まっていた。挑戦相手はもちろん曳航学園音楽科の女性陣だ。その背景には毒まむし平和会がいる。舞台裏や水面下で溝口組の関係者と火花を散らしている頃だろう。尻尾を出すのは時間の問題だ。
祥子はちゃっかり囲み取材を受けている。地元有力紙の記者にインフォプレナーを向けられて、ごく自然な流れで聖イライサニスの事を答えた。それで祥子が引っ張りだこになった。
ハーベルトは人を操る術にたけていた。それはメディアの影響力を利用することだ。彼女は毒まむし平和会に対する先制攻撃の第一波を放った。ドレスをさっと脱ぎ捨て、セーラー服姿になるとマスコミが食いついてきた。
すっかり彼女が出番を控えた女子高生だと勘違いしている。ハーベルトはアドリブで対バンの抱負を語った。よくもまあ口から出まかせを並べ立てるものだ。ハーベルトは地球外の出身ではないのか。偽エリスは半ば呆れつつ、バンドメンバーのふりをした。
ハウゼルは自分たちの虚像が出来上がっていく様子をなすすべもなく見守るしかなかった。
「マスコミは凄まじい力を持つ組織よ。かわいい女がただ、外を歩き回り、写真を撮られて文句を言っているだけで世の中が回っていくわ」
ハーベルトはとんでもなく自由奔放で自分の王国を築く勢いだった。
ドイッチェラント海軍空母ライトの甲板に後桜鳩上皇があらわれた。暁宮(あかつきのみや)殿下が純白のドレスに身を包み、穏やかに微笑んでいる。
上皇は国民にとって母のような存在だ。人々の心を推し量り、痛みを和らげる言葉をかける。この国には共和制を訴える人々が潜んでいる。
大衆が上皇をどのように捉えているのか、素早く的確に判断して、手を振ったりお言葉を述べねばならない。国民感情は朝廷と軍部に分断されており、互いの確執から上皇暗殺の危険が常に付きまとう。前女皇陛下は生前譲位を受けた直後に精神疾患を発症しており、後継者として実妹に白羽の矢が立った。しかし彼女は不安を口にせず、ただ耐えていた。
「観衆に不穏な動きがあります」
量子オペラグラスが警告した。
上皇の称号を失わせようと女たちが足を引っ張る可能性が大きいと。
「醜悪で侮辱的な言葉を投げつけるかわりに爆弾を投げるなんて彼女たちにとっては当たり前の選択肢よ」
ハーベルトはドイッチェラントの大総統に対する不穏分子の活発化を伝えた。
お祭り気分が吹き飛んだ。皇室が存亡の危機に瀕している。
彼女は国民の愛を取り戻すことができるのか。
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