『あれは――――ば、バーバヤーガ……? ティオ――――ティオなの!? 無事だったんですか!?』
『違う――――あのバーバヤーガは、ラースタチカの亜空間デッキから射出された別の機体じゃない。間違いなく、たった今撃破された機体が再構築されたんだ。そんなことが……ありえるのか?』
青と白で区切られた時空間断層が光の粒子となって崩壊し、大きなダメージを負ったアイオーンの元に残された艦隊が殺到する。
『なーんだ……少しだけびっくりしたけど、どう見てもただの雑魚じゃないか。大したエネルギーも感じないし――――』
まるで値踏みするように、自らの放った膨大なエネルギーを事も無げに消失させた存在――――バーバヤーガに目を向けるアイオーン。
再構築を終え、再び戦場に現れた傷一つないその姿に、しかしスヴァローグは嘲るように鼻を鳴らす。
『どうも、君たちはボクがもうボロボロで死にかけだと思ってるみたいだけどさ……たとえそうでも、ここで君たちを消し飛ばすことくらい簡単なんだよ――――ッ!』
刹那、傷ついた邪神アイオーンが雄叫びを上げる。
アイオーンは再びその全身から紫色の粒子を迸らせると、この瞬間にも自身めがけて襲いかかるエルフの騎士や、光の巨人めがけて数百条にも及ぶ熱線を撃ち放つ。
それらの熱線は一つ一つが意思を持つように不規則に曲がりくねり、回避機動を取る騎士や巨人たちを正確に射貫く――――ことはなかった。
再びその両目を輝かせたバーバヤーガの魔女の大釜が、アイオーンの無数の攻撃を全て吸い寄せ、無力化してしまったのだ。
『チッ! この雑魚が――――ボクの邪魔をしてッ!』
一度ならず二度までも自身の攻撃を無力化されたアイオーンは、激昂と共に標的を変える。
現れた場所で佇み続けるバーバヤーガめがけ、一瞬で光速を越える領域に突入した邪神が襲いかかる。
同時に、アイオーンの周辺領域に一度はその数を減らしたアルコーンの群れが出現。エルフやルミナスの巨人たちがアイオーンの邪魔を出来ぬよう、次々と周囲の艦隊めがけて攻撃を仕掛ける。
もはやスヴァローグは残されたアイオーンの全てのエネルギーを放出し、なりふり構わぬ最後の攻勢へと打って出たのだ。
『消えろ消えろ消えろ――――! ボクの邪魔をする奴は、みんな消えされええええええッ!』
数百キロ離れた位置から、秒とかからずにバーバヤーガの眼前へと出現するアイオーン。それは、亜空間を経由しなければエルフでも不可能な超光速機動。
当然、ただのTWであるバーバヤーガにはアイオーンの動きを捉えることも、反応することもできない。
『アハハッ! これで終わりだよッ!』
スヴァローグは取るに足らないゴミ虫をようやく潰せる喜びに笑みを浮かべ、アイオーンの残された片手に生成された紫色のブレードをバーバヤーガめがけて振り下ろした。しかし――――!
『えっ!?』
しかし、その攻撃がバーバヤーガに触れることはなかった。
バーバヤーガは瞬時にして目の前から幽鬼のように消え去り、アイオーンの背後へと回っていた。
見えなかった。
驚愕するスヴァローグの背後で、バーバヤーガの両手に備えられたかぎ爪から、光の刃がゆっくりと生成される。
『この――――出来損ないがああああああッ!』
アイオーンは即座に動く。傷ついたとはいえ、その出力も速度も反応も、火力も装甲も全てにおいてアイオーンはバーバヤーガを上回っている。
アイオーンは失われた片腕の代わりに背中の八本の脚を振り回し、さらには紫色の粒子を放出して加速。今度こそバーバヤーガを切り裂きにかかる。
しかし、ああしかし――――!
『あ、当たらない――――! なにが――――何が起こってるの!?』
アイオーンの攻撃はその全てが空を切った。
それはスヴァローグにとって、まさに悪夢ともいえる光景だった。
あまりにも理不尽、科学的にも、物理的にも説明できない。
光の速度を上回るはずのアイオーンの攻撃が、亜光速にすら到達できないバーバヤーガに掠りもしないのだ。
『うわああああああ――――!? なんで、なんでなんでなんでえええええ!?』
スヴァローグの視界と意識の中、バーバヤーガはまさにゴーストのように現れては消え、現れては消える。
スヴァローグにとってなによりも恐怖だったのは、一度消えたバーバヤーガが出現する場所の全てが、常にアイオーンにとっての死角に位置していたことだ。
スヴァローグの光速を越える反応が徐々にバーバヤーガの機動に振り回され初め、気づけばバーバヤーガの両手に輝くかぎ爪による傷が、アイオーンの装甲を確かに削り取り始めていた。
なんだ、この化け物は。
それはまるで、意識を持つ存在を狩り殺すためだけに存在しているような機動。魔女から死神へとその役割を変えたバーバヤーガが、創造主たるスヴァローグの心を恐怖と絶望に落とし込んでいく。
『――――投降しろ。君が今すぐに戦いを止めるというのなら、俺もこれ以上君を傷つけるつもりはない』
『っ!?』
その時、目の前の死神が声を発した。
否、たった今その死神を操る一人の青年が声を発したのだ。
『恐らく君は俺たち人間の尺度で測れる存在ではないのだろう? だが俺たちはこうして今も話せている。ならば――――これ以上無益な争いをする必要はないはずだ!』
『ふざけるなッ! ボクは創造主だ! 謝るのはお前たちだッ! ボクは間違ってなんかいない! お前が誰だろうと、ボクのやることは全部正しいんだあああああッ!』
『そうか――――ッ!』
その心を塗り潰す絶望を振り払うように絶叫するスヴァローグ。
しかしアイオーンの持つ全てを破壊するエネルギーも、あらゆる物質を切り裂く刃も、なにもかもが今のバーバヤーガには意味を成さなかった。
バーバヤーガが何か、突如として新しい力を得たわけではない。
ただバーバヤーガを操るパイロットの技量が、この宇宙に存在するあらゆる物理法則を上回っていたのだ。
そしてそのバーバヤーガのコックピット。
普段はティオが座るそのコックピットシートには、金髪の髪に青い瞳を持つ、精悍な相貌の青年が座っていた。
「ティオ……これは君がやったのか? 君の願いが、俺を――――」
青年――――本来の姿へと戻ったボタンゼルドは、自身の膝の上で今も眠り続けるティオの横顔をそっと撫でると、汗一つかいてないその顔を正面へと向け、尚も足掻き続けるアイオーンへと最後の接近を仕掛ける。
『アアアアアアアア! なんでなんでなんで――――!? なんでいきなり、お前みたいな奴が出てくるんだよおおおおおッ!?』
「まだ――――抵抗するというのならッ!」
半狂乱となり、超光速でバーバヤーガへと突撃するアイオーン。
しかし、バーバヤーガを駆るボタンゼルドにはその全てが見えていた。
ただ静かに、淡々と操縦桿を左右逆に入れ、フットベダルをゆっくりと踏み込む。
刹那の交錯。
アイオーンの紫色の光芒と、バーバヤーガの青白い炎が閃光の中で交わる。
『あ、ああ――――嘘、だよ。こんな――――ことって――――』
交わる光の向こう。バーバヤーガはアイオーンの超光速の機動から流れるように逸れ、同時にその悪魔の機体の破損部分――――弱点が露出し、致命傷となる箇所を的確に両断していた。
最後の刻。スヴァローグの断末魔が機体から漏れ聞こえ、アイオーンは膨大なエネルギーを放出してついに自壊した。
「ティオ…………君の願い、確かに果たしたぞ」
消滅するアイオーンの光に照らされるバーバヤーガ。
そのコックピットでボタンゼルドは静かに呟き、柔らかなティオの髪をそっと撫ぜた――――。
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