脱出ボタン転生

異世界転生したら脱出ボタンだった件
ここのえ九護
ここのえ九護

第十八話 全てはこれから

欲と願い

公開日時: 2021年9月27日(月) 07:00
更新日時: 2021年9月27日(月) 10:10
文字数:2,515


『何を――――! 何をふざけたことを言っているのです!? この私の崇高な願いが……欲であると!? そのような戯れ言に付き合うつもりは――――!』


『いいえ、お祖母様。聡明な貴方なら、今の私の言葉だけでわかったはず。貴方が穢れだという欲望も、貴方が崇高だというその願いも。どちらも何かを成したいという思いであることに変わりはない』


 傷ついたバーバヤーガとトリグラフを庇うように、先王リリエリスの前に敢然と舞い降りたラエルノアの駆る光神甲冑――――ノア・シエラリス。


 自身の放った言葉に明かな動揺を見せるリリエリスに対し、ラエルノアはコックピットの中で穏やかな笑みを浮かべ、僅かに距離を詰める。


『ら……ラエルノア……ッ! 口を慎みなさい――――それ以上その口を開けば、たとえ我が血族といえども容赦は――――!』


『お祖母様――――たった今私は、お祖母様が初めて露わにしたその欲望こそが、私への誕生日プレゼントだと言いました。その気持ちに嘘偽りはありません。そして私は、お祖母様から頂いたこの贈り物が堪らなく嬉しいのですよ――――』


 怯えるように後ずさるロウ・イリディールに向かい、ラエルノアはまるで幼子をなだめるようにその両手を広げ、ゆっくり、しかし確実に近づいていく。


(ラエル……それが、本来の君の……)


 その光景をバーバヤーガ内部から見つめていたボタンゼルドは、普段のラエルノアがまず示すことのない、深い優しさと愛情の熱を感じ取っていた。


(俺は大きな思い違いをしていた――――ラエルは愛情や優しさを表に出さなかったのではない。あまりもその気持ちが大きすぎ、俺がその全貌を掴めていなかったのだ――――)


 ボタンゼルドが持つ強力な精神感応の力。それは今、目の前で祖母に微笑みかけるラエルノアの持つ、優しさと愛の形をはっきりと掴んでいた。


 ラエルノアは全てを愛していた


 自身の遺伝子を残すために死ぬまで争う小さな虫も、その日の空腹を満たすために獲物を追う小動物も、日の光を少しでも浴びようと、精一杯にその葉を広げる草花も。自らの欲と願いのために生きる、ありとあらゆる存在を愛していた。そして――――


『お祖母様がご存知の通り、私はエルフという種に馴染めませんでした。自らの欲を押さえ込み、感情を殺して生きるエルフのあり方が、私には酷くつまらない物に見えていたのです』


『そ、そうです――――っ! 貴方は物心ついた時からあらゆる物に興味を示し、不思議に思うことがあれば、その疑問が解決するまで誰構わず、日が落ちていようと尋ね続けました! そのような恥知らずで欲深き行動を見て、私は――――!』


『はい――――お祖母様は、そんな私の姿をいつも優しく見守って下さっていました。たとえ日が暮れ、辺りが闇に包まれても、私の傍にいつまでもいて下さいましたね――――』


『それは…………っ! 私は、幼い貴方が心配で……っ』


『ええ、心得ております。お陰で、ラエルノアはここまで大きく成長することができました。感謝しています――――』


 ノア・シエラリスが更に前に出る。

 ロウ・イリディールは下がる。


『此度のことで、急激な変化を望まないエルフの願いはすでに我が父エーテリアスにしかと届いています――――お祖母様と父が争う必要などありません。ただ自らの願いを相手に伝え、共に手を取り合い、双方の欲が満たされるように知恵を絞るだけで良いのです』


『欲を……満たす……? 私は……私たちエルフは決してそのような……!』


『出来ますよ。太陽系人類も、あのマージオークだって当たり前のようにやっているのです。エルフに出来ないわけないじゃないですか。ね――――お祖母様』


『あ、ああ――――ラエル――――』


 ついにリリエリスが捕まる。


 ラエルノアは大きく広げたノア・シエラリスの両腕で包み込むようにリリエリスの乗る甲冑を抱きしめると、自らのぬくもりの代わりにその思いを伝えた。


 果たして、ラエルノアの思いはリリエリスへと届いたのか。

 ノア・シエラリスに抱きすくめられたリリエリスのロウ・イリディールは弛緩したようにその強力な圧を低下させ、だらりとその腕を下ろし――――


『――――!? 離れろラエルッ!』


『っ!? チッ――――!』


 だがその時だった。


 異変に真っ先に気付いたボタンゼルドの警告の意思はラエルノアに届き、ラエルノアは即座に反応してロウ・イリディールから距離を取る。


 突如として再起動したロウ・イリディールは、その手に先ほどまで鞘に収められていた長剣を握りしめ、それをラエルノアめがけてなんの躊躇もなく切り抜けていた。


 もし後一瞬でも回避が遅れていれば、いかにミアス・リューンの技術の粋を集めて建造されたラエルノア専用の甲冑とはいえ、確実に両断されていただろう。


『クフ……クフフ……クフフフ……ッ! ああ、ああ――――残念ですねぇ! あと少しで一番厄介そうな方を殺せたのに! 本当に残念です――――人生という物は、本当にままなりませんねぇ――――! アハハハハハハハ!』


『っ……声が、さっきまでの人と全然変わって……!?』


『なるほど……なんとなくですが、この私にも読めてきましたよ。この突然のクーデターの背景がッ!』 


誰だい君は? お祖母様をどうした――――? 返答次第では、殺すよ』


 突如としてその雰囲気も、そもそもがその声すらも完全に別人となったリリエリスの様子に、ラエルノアとリリエリスの会話の行く末を見定めていたティオやクラリカの間にも再び緊張が走る。


 そして先ほどまでとは打って変わり、酷く低い――――まるで地獄の底から響くような強烈な圧を込めたラエルノアの声が、その変化したリリエリスに尋ねる。


『おお、怖い怖い――――! でも誰だと思います? 出来れば私はこのままずっとエルフの女王になっていたいのですけど――――さすがに到達者アーテナーの前で正体を隠しきるのは難しいですか。ねぇ――――ボタンゼルドさん?』


 どこか道化じみた、聞く者全ての神経を逆なでするようなその物言い。


 しかしその声に名指しされたボタンゼルドは、脳内に直接流れ込んでくるその男の思考を感じ取り、決意を込めた呟きを発した――――。


『――――チェルノボグ。貴様が、チェルノボグだな』



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