「じゃあ、ラエル艦長もボタンさんのクッキー喜んでくれたんですね」
「うむ! ティオが手伝ってくれたおかげだ! 感謝する!」
ラースタチカ内部、ティオの私室。
ラエルノアのあの部屋ほどではないが十分に広々とした室内で、ボタンゼルドとティオは隣り合ったベッドで横になっていた。
「そんなことないですよ。ボタンさんって料理も凄くお上手で……本当になんでもできるんですねっ」
「それほどでもないぞ! かつて一度代理ではあるが戦艦の艦長になったことがあってな。その時に少しでもクルーの気晴らしになればと料理の勉強をしたのだ。大変だったが、なかなかに好評だった!」
「へええ……そんなこともあったんですね。ふふっ……」
「むむっ!? 何か面白かったか?」
柔らかなマットレスの上で体ごとボタンゼルドに目線を向けていたティオは、彼のその両腕をぶんぶんと伸び縮みさせて話す姿に笑み零す。
「いえ、違うんです。その、なんというか……ボタンさんはずっとボタンさんだったんだなって思って。いっつも一生懸命で、誰かのために頑張ってて……きっと、僕と会う前からずっとそうしてきたんですね」
「そう、なのだろうか……正直なところ、俺は自分が生き残るのにも一杯一杯だった。艦長として料理を学んだのも、みんなが元気になればそれだけ生き残る確率が上がると思っていたからだ」
「そんな……それってとっても凄いですよっ! 生きるために精一杯考えて、それで本当にやっちゃうんですから――――っ!」
ボタンゼルドのその言葉にティオは僅かにその身を起こし、自らの思いを伝えようとした。
しかしその時、ティオの脳裏にボタンゼルドの心の中で見た終わりなき戦いの記憶が思い浮かぶ。
今もボタンゼルドの心を縛り、苛む殺戮の記憶。
ティオはそのままちょこんとベッドの上に座ると、改まった口調で口を開いた。
「あの……前の戦いでボタンさんの心と繋がった時なんですけど……すみませんでした。勝手にボタンさんの心の中を見てしまって……」
「はっはっは! それなら気にするなと言っただろう? 俺の心の中にあるのは事実だけだ。自分の心の中にある事実からは、決して逃げることはできない。無論――――隠すことだってできないものだ」
申し訳なさそうにその表情を曇らせるティオに、ボタンゼルドはどこか寂しげな笑みを浮かべて頷く。そして――――
「そういえば――――それを言うなら俺もティオに謝らなくては。実は俺もあの時、ティオの記憶らしき物を垣間見たのだった!」
「ええっ!? 僕の記憶ですか!? ど、どんなことでしょうっ!?」
思い出したようにそう口にしたボタンゼルドに、ティオは目を丸くして詰め寄る。
「どこかの美しい星で君が父上と手を繋いでいた。これからはその星で二人で暮らそうと――――そう話していた」
「綺麗な星に――――お父さんと? もしかしてそれって、僕がラースタチカに助けられた宙域の近くにある、ホウライ恒星系でしょうか?」
「そこまではわからない。青い空とどこまでも広がる草原――――そこがとても美しい星だったのは間違いないのだが……」
「そうですか……」
あまりにも断片的すぎるボタンゼルドの話。
どうやら今のティオの記憶に、それらに思い当たる節はなかったようだ。
「力になれずすまない……しかし俺の見た君と父上はとても仲良しだった。きっと君の父上は今もティオを探し、心配しているに違いない」
「そう、ですよね……僕も心配です……」
そう言うとティオは俯き、その不安な心を映し出すようにして両膝の上で拳をきゅっと握りしめる。自分自身が何者かもわからず、大切な存在である家族の安否も不明。そのような状況のティオの辛い心情は、ボタンゼルドにも痛いほどよくわかった。だから――――
「――――大丈夫だっ! もし君が望むなら、君が父上やご家族と再会できるその時まで、俺も君のそばにいよう!」
「えっ……?」
「今の俺はどこにも行くあてのないただの脱出ボタンだ。ならばせめて――――それまで俺に君を守らせてくれないだろうか?」
「ぼ、ボタンさん……っ」
そのキリリとした丸い顔をさらにキリリとさせ、熱すぎる思いをたっぷりと乗せてそう言い放つボタンゼルド。
それは常人であれば思わず吹き出しかねない、ボタンゼルドの珍妙すぎる姿から放たれた途轍もなく真面目な言葉だった。
しかしその言葉を受けたティオは、なぜか丸く柔らかそうな頬を真っ赤に染めてもじもじすると、目力の強すぎるボタンゼルドの瞳から隠れるように顔を俯かせ――――
「は、はい…………こちらこそ、その……よろしく、お願いします…………」
と、そう小さく呟いたのだった――――。
――――――
――――
――
「――――それで、姫君はなんて言ってきた?」
「はっ! ラースタチカは現在アンドロメダ銀河の第二円盤軌道上とのこと。太陽系までは概算で255万光年。太陽系到達は167時間後とのこと!」
「うへぇ……マジか。これは困った、どうしたもんかね……?」
土星を眼下に待機する、全長5000メートルを超える巨大な戦艦のブリッジ。
整えられた頭髪の半ばまでを白髪にした、初老の女性がうんざりした様子で椅子からずり落ちる。
この艦の名はUSS.インドラ。
太陽系統合軍が保有する艦船の中でも最大の艦であり、ラースタチカを除けば最も高い火力と防御力を誇る最強の戦闘空母である。
「だ、大丈夫ですかルシャナ提督っ! お気を確かに!」
「こいつは相当に厳しいな……! 君ら、あのグノーシスとかいう訳のわからん奴ら相手に一週間やり合えるか? キツくないかね? どう考えても死ぬだろうよ?」
「し、しかしながら提督っ! それはラースタチカ一隻が戻ってきても同じ事なのでは……?」
「同じなわけあるかーいッ! 姫様が戻って来たらどうやったってエルフも動く。エルフが動けばルミナスだって動く……! ラースタチカよりも、姫様が今どこにいるかってことの方が重要なんだよ」
ルシャナと呼ばれた初老の提督はそう言って自分用の豪華な椅子に座り直すと、提督用の帽子もしっかりとかぶり直して正面の闇を見据える。
「さて――――グノーシスと姫様、どちらの方が地球にとって厄介か? いっそのことグノーシスと共倒れになってもらうってのも、アリっちゃアリなのかねぇ――――?」
ルシャナは一瞬口に出たその言葉を遮るように口を閉じると、先ほどまでとは打って変わった威厳ある口調で全軍前進の指示を下した――――。
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