「でも本当に驚きましたよ。まさかティオにそのような力が備わっているなんて……さすが、私が選んだ人だけのことはありますねっ!」
「あ、あはは…………」
広大な白い雲海を抜け、青空の中を突き進む一機の飛行シャトル。
それは平らな円盤状の客室の四方に、それぞれドーナツ状のリングが取り付けられ、その部分から発生する力場で自由自在に衛星軌道上と大気圏内を行き来する一般的な乗り物である。
豪華ホテルの客室かと思うような広々とした室内。
豪華なソファーに座りながらテーブルを囲むティオとクラリカ、そして窓際から外を眺めるボタンゼルドとラエルノアの四人。
「おお……!? こ、これがこの世界の地球か……! な、なんと凄まじい……!」
ボタンゼルドは先ほどから室内の全方位をぐるりと囲むガラス張りの窓にへばりつき、そこから見える光景にその目を見開いて感動の声を上げ続けている。
眼下に見え始めた地球の都市は、ボタンゼルドの世界では信じられないほどの巨大な樹木が林立していた。
恐らく、一本一本の木の高さは軽く数十メートルを超えている。幹の太さも大小様々で、その樹木の木陰の下に、同じように木材で出来た広々とした建物が並んでいるのがうっすらと確認できた。
「どうだい? やはり君のいた世界の地球とは違うかい?」
「うむ! まずもって自然物の多さに驚いた。ラースタチカやバーバヤーガほどの凄まじい技術を持った世界なのだから、さぞかし高度に機械化されているのかと思っていたが……」
その平べったい顔を必死にガラスへと押しつけ、少しでも外の光景を見ようとするボタンゼルドにラエルノアが穏やかな様子で声をかける。
ボタンゼルドは素直に自身の驚きを口に出すと、やってきた白衣姿のラエルノアに向かって興奮した様子で何度も頷いた。
「太陽系連合もエルフの技術を基にしていることに変わりはないからね。建物や乗り物を作る素材も今ではほぼ全てが特殊加工された木材だから、私から見ると、地球は大分つまらないエルフの世界に似てきたように見えるよ」
「…………俺のいた世界は、二百年もの間続いた戦争で全てが荒れ果てていた。人類は太陽系の外に進出することも出来ず、技術革新もなく、希少な資源を奪い合い、総人口は減り続けていた」
なにやら面白くないという風にその光景を語るラエルノアに、しかしボタンゼルドは僅かに俯き、思い出すようにしてかつて自分がいた世界について話し始める。そして――――
「きっと、この世界にも俺の知らない多くの問題があるのだろう。だがそんな戦争しかない場所で生まれ育った俺には、この光景は楽園のように見える……ラエル、君たちは今まで本当に頑張ってきたのだな……」
「っ……! そう…………確かに、そうかもしれないね…………」
そう言ってまっすぐに自分を見つめるボタンゼルドの瞳に、ラエルノアは何かを気付かされたかのようにその表情を変えると、珍しく自分から交わっていた視線を逸らした。
「……ありがとうボタン君。君と話していると、ティオが自分からああなったのも少し分かる気がするよ」
「うむ? それはどういうことだ?」
「誤魔化しが効かないってことさ。本当に、君は興味深い存在だよ……ボタン君……」
ラエルノアはそう言うと、見た者誰もが思わず息を飲むような笑みを浮かべる。
そしてボタンゼルドがより周囲の光景を見やすいよう、その小さな身をそっと自分の手のひらに乗せると、そのまま何も言わずに二人で眼下の景色を眺め始めたのだった――――。
「――――オ? ティオ? どうしたのですか? 何か気になることでも?」
「え!? あ、いえっ! な、なんでも……ないです……」
そして一方。客室中央に座るティオとクラリカ。
クラリカはなにやらティオに話を振っていたようだが、ティオは視線の端でじっと話し込むボタンゼルドとラエルノアの様子に釘付けとなり、全く話を聞いていなかった。
「ふふっ……そう心配しなくても、ティオが男性でも女性でも私は貴方への対応を変えたりしません。私が貴方を素晴らしいと認めたのは、貴方が男性だったからではないのですから――――たとえ女性同士でも今は遺伝子配合が可能ですし、なんなら養子という手もありますっっっっ!」
「ありがとうございますクラリカさん……その、最後の方のお話はよく分からないんですけど、クラリカさんがそう仰ってくれてとても嬉しいですっ」
ちらちらとボタンゼルドとラエルノアの様子を見やりながらも、笑みを浮かべてロシアンティーの入った白磁のカップに口をつけるクラリカと談笑を続けるティオ。
(ラエル艦長があんなに優しい顔で誰かと話してるところ……見たことない……)
だがその実、今もティオの心はざわざわと落ち着かず、すぐにでも二人が何を話しているのかを尋ねてしまいたくて仕方がなかった。
(うぅ……ラエル艦長は命に関わる病気じゃないって言ってたけど……こんなんじゃ思いっきり生活に支障がでてますよぅ……治せるお薬もないなんて…………っ)
ティオは痛みを押さえるように自身の胸元に手をあて、その薄紅色の唇をきゅっと引き結ぶ。
日増しに強くなるこの症状だが、ラエルノアは心の問題であることだけをティオに伝え、それ以上は特に何も教えてくれなかった。
ラエルノアが言うには、この症状は自分で乗り越えなくては意味がないらしい。
『大抵の知的生物は一度は体験する症状だからせいぜい楽しむと良い』とまで言われたティオは、今もこうしてボタンゼルドの一挙手一投足に目を奪われ続けていた。
「でも、どうして突然ティオの性別が変わってしまったのでしょう……? ラエルからはティオのお父様の力について聞き及んでいますけど…………あ、いえ。これは失礼……私としたことが配慮に欠ける質問でした」
「そんな……! 気にしないでくださいクラリカさん。実はもうそれについてはラエル艦長にも相談してて……」
「まあ、そうだったのですね。ティオさえ良ければ私も力になりますよ? もちろん、無理にとは言いません」
その心の底からティオのことを思い、青いフレームの眼鏡の奥の白銀の瞳をまっすぐに向けるクラリカ。
ティオは自分のことをここまで真剣に思いやってくれるクラリカに対し、感謝の気持ちから自分の内にある正直な気持ちを包み隠さず伝えた。
「実は――――」
その柔らかそうな頬を赤く染め、話しながらも数秒ごとにちらちらとボタンゼルドの方に視線を向けながら話を続けるティオ。
その時、懸命に話し続けるティオは気付けなかった。
黙って話を聞いていたクラリカの顔が徐々に青ざめ、やがてその顔から全ての感情が消え失せ冷たく凍り付いていくことに――――!
「というわけなんです……僕は一体どうしたら……っ!」
「ほっほーう……? なるほどなるほどぉ…………話して下さりありがとうございます。大丈夫ですよティオ。貴方の辛さはよーーーーっくわかりました。でも安心して下さい…………私がすぐにその元凶を消し去ってあげますからねぇ…………ッッ!」
「え……?」
ティオの話を聞き終えたクラリカはゆらりと幽鬼のように席を立つと、そのままゆっくりとボタンゼルドの存在する場所へと歩みを進めた――――。
そしてそれから数十秒後。
突如として左右に開いたシャトルの底面から小さな脱出ボタンが絶叫と共に落下。
虚空に射出されたボタンゼルドを再び発見するために時間を食った一行は、その後の四文明トップによる会合に大幅に遅刻することになってしまったのだった――――。
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