水の民が住む青と赤の惑星軌道上でのグノーシスとの戦いから数日。
傷ついた艦隊の再建を終え、更にはラースタチカからの幾ばくかの技術供与を受けた一万隻以上のマージオーク艦隊を引き連れたラースタチカが、船体後方に備えられた六基の巨大スラスターから青白い尾を引いて移動を開始する。
目指すはグノーシスの強襲を受ける太陽系。
すでに救援要請受諾の通信は太陽系統合軍へと送っている。
通信越しに話した統合軍将官の様子はかなり切羽詰まったものだったが、どうもグノーシスは太陽系の惑星をできる限り傷つけないように侵攻しているらしい。
それを聞いたラエルノアは、グノーシスもまた太陽系がヴェロボーグにとっての最後の場所であることを知っており、今回の攻撃もそれが理由だろうと推論を立てていた。
「いずれにしろ、私たちの救援が間に合うかは神のみぞ知る、だね。統合軍にはせいぜい頑張るように言っておいたよ」
「ううぅ……ちゃんと間に合うといいんですけど……」
焦りまくるティオをよそに、ラースタチカのブリッジから眼下の惑星を眺めるラエルノア。
そもそも彼女たちが今いるこの場所は、太陽系が属する天の川銀河ですらないのだ。
いかに時空間跳躍が可能になったとはいえ、その移動速度には限度がある。いくら焦ったところで、それで太陽系が救われるわけではなかった――――。
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「というわけでっ! ミケ殿から話は聞いた――――! 太陽系に戻るまでさほど時間があるわけではないようだが、少しでも親睦を深めるのだ!」
「これはまた随分といきなりだね? それでお手製のクッキーまで作ってやって来たって言うのかい?」
「その通りだっ! ラエルが忙しいようならこのクッキーだけ置いて失礼するっ!」
「別に忙しくはないよ。さ、中にどうぞ」
「うむ! 失礼するっ!」
なにがどういう訳なのかはわからないが、突如として艦長室――――つまりラエルノアの私室の前に単身やってきたボタンゼルドは、かわいらしくラッピングされた大量のクッキーをその背に背負いながら部屋の中へと入っていく。
「お、おお……おおおおっ!? これは……っ!? こ、これが君の部屋か!?」
「そうだよ。なかなか洒落た部屋だろう?」
最初こそ威勢よく室内に突入したボタンゼルドだったが、そこに広がる奇妙な――――しかし不思議と秩序立った凄まじい光景に歩みを止める。
まずその部屋はとてつもなく広かった。天井までの高さは軽く四メートル近く。
奥行きや幅は中型のホールに匹敵するほどに見えた。
いくらラースタチカが居住性を重視した深宇宙調査船とはいえ、このようなスペースを個人のために与えることには何らかの意図があるのだろう。しかもそれだけではない。
室内にはさらさらと水が流れる幾筋もの水路が引かれ。その水路を挟むようにして咲き誇る色とりどりの花々と、寄り添うようにして生い茂る草木。
草木の陰からは焦げ茶色のリスが不思議そうにボタンゼルドを見つめ、花と花の間には蝶や蜂のような、奇妙な虫の姿を見てとることができた。
「こ、これが個人の部屋……!? テントウムシが飛んでいるっ!?」
「ボタン君は虫は苦手かな? でもどうやら、他のみんなはボタン君と友達になりたいようだね」
「虫が俺と友達にっ!? まさか……ラエルは虫やリスの考えていることがわかるのか!?」
「虫や動物だけじゃないよ。私はここにいる植物とも対話することができる。私にとっては、彼らもこの船で宇宙を旅する大切な仲間なんだ」
「なんということだ……っ。君は本当に……なんと言っていいかわからんが、とにかく凄まじいな……!?」
「フフ……私にとっては当たり前のことなんだけどね。さあ、どうぞゆっくりしていきなよ。今お茶を入れてあげるからさ」
ラエルノアはそう言って流れる水路の奥に見える一角へと白衣を翻して姿を消す。
残されたボタンゼルドはクッキーの入った袋を白いテーブルの上に置くと、彼の常識からは到底信じがたい光景の室内を見回して『うむむ』と唸った――――。
「――――あはははっ! それで私が戻ってくるまで、部屋中のみんなに挨拶してたのかい? 君は本当に面白いね。私の部屋に入ってまず初めにそんなことをしたのは私の人生でも君が初めてだよ」
「俺は虫も動物も苦手ではないっ! ラエルの友であるという彼らが俺に興味を持ってくれたのならば、俺もラエルの友として挨拶をするのだっ!」
それから数分後。
室内の虫や動物、花や草に片っ端から挨拶回りをしたために泥まみれになったボタンゼルドを前に、暖かい紅茶を用意したラエルノアは心底おかしいとばかりに笑い声をあげていた。
「しかし君が植物とも話せるのも驚いたが、この部屋にも驚いた! ラースタチカは君が自ら設計したと聞いたが、この部屋もそれで用意させたのか?」
「そうだよ。そもそもラースタチカは私が乗っているかどうかで総出力に天と地ほどの違いが出るんだ。君ごとグノーシスを吹き飛ばした真空崩壊砲も、私がラースタチカにいなければ出力が足りなくて撃つことは出来ない。文字通りこの船を支える私の心身の健康のためにも、このくらいの特別待遇は必要なのさ」
「なんだと!? なぜ君の存在が船の出力に影響するのだ!?」
汚れたボタンゼルドの体を綺麗にしたラエルノアは彼の小さな体を丁寧に椅子に座らせると、自身も着席した上でボタンゼルドお手製のクッキーを口に運ぶ。
さくっとした小気味よい音が響き、口にしたラエルノアは満足げに微笑んだ。
「ラースタチカもそうだけど、現在の太陽系連合が運用している最先端の兵器はどれもこれもエルフのテクノロジーが元になっている。エルフの技術は知的生命体の持つ複雑な精神構造を利用するんだ。難しい話は省くけど、パイロットの精神がリラックスして充実していれば船やTWも強くなるし、逆にメンタルがガタガタならガラクタになる」
「そういうことか……俺もバーバヤーガをティオと一緒に操縦したからわかるが、まさか機械のエネルギー出力にもパイロットが深く関わっていたとは……」
「だからだよボタン君。私が真っ先に君用のソケットを作ったのも、普段ティオだけで操縦するバーバヤーガに、君のその強靱な精神も作用すれば絶対に強化される確信があったからだ。結果は予想以上だったけどね」
「ならば、君にとってはこの部屋のような場所が一番落ち着くということなのだな」
「……そういうことだね。ほら――――話してばかりでなく君も食べるといい、とてもおいしく焼けていたよ」
向かい合って座るボタンゼルドの口にもクッキーをひょいと投げ入れると、ラエルノアはリラックスした様子で伸びをし、実に涼やかな室内の空気を一杯に吸い込んでみせる。
「ふぅ――――実は、私はエルフのことがあまり好きじゃなくてね」
「うむ……なんとなくだが、君の口ぶりからそれは感じていた」
「まだエルフと会ったことのない君に話してもわからないだろうけど――――エルフからは命の熱を感じないんだ。一緒にいても全然わくわくしない。生まれたばかりの頃は私も彼らと暮らしていたんだけど、とても退屈でつまらない日々だったよ」
唐突にそう切り出したラエルノアは、しかしどこか自嘲気味に薄く笑って周囲の草木に目を向ける。
「でも結局……いくら嫌っていようと私にも彼らの血は流れているんだ。こんなエルフ好みの部屋が一番落ち着くなんて……そのいい証拠さ――――」
「ラエル……」
その時、寂しげに微笑むラエルノアの側に美しい紫色の蝶が舞い降りる。
ラエルノアはすらりとした人差し指にその蝶を止まらせると、ボタンゼルドの方を向いて少しだけ肩をすくめた――――。
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