真空崩壊砲。
それは、ヒッグス粒子によって定義されているこの宇宙の安定したエネルギーバランスを故意に崩すことで、その射線上に存在するあらゆる物質、波長、エネルギーそのものを跡形もなく自己崩壊させるラースタチカの最大火力である。
真空崩壊砲の恐ろしさは、発射前に時空間断層によって通常の宇宙空間と射線上を完全に区切らなければ、撃った瞬間に宇宙全体が消滅してしまうほどに激しい。
たとえいかなる存在であっても、この宇宙の中に存在している以上その破滅からは逃れられない。理論上、真空崩壊砲の直撃を受けて生き残ることは不可能。しかし――――!
『真空崩壊か――――なかなか考えたねっ? 確かにそれならこのアイオーンも無傷じゃいられない。けどねぇ!』
幾重にも重なった幾何学模様の描かれた正円の渦。
青と白の光が激しく渦巻き、遙か数百光年の先からでも視認できる閃光を放つ。
隔離された亜空間に囚われたアイオーンめがけ、全てのエネルギーが無に帰す極大の破滅の光が迫る。
しかしスヴァローグはその光景を前にしても一歩も引かず、自身が生み出した究極の邪神――――アイオーンの全身に力を注ぎ込む。
アイオーンの一つ眼が禍々しく光り、その人骨のような口腔部から赤黒い粒子が放出される。
『ボクを誰だと思っているんだい!? 君たちを生み出したのはこのボクだ! 君たちを設計したのはこのボクだ! 自分を作ってくれた創造主に逆らおうなんて――――これだから出来損ない共は嫌なんだッ!』
その叫びと同時、アイオーンの背に備えられた八つの手足が生物的な流動性で前方へと回り込み、アイオーンの体を覆うようにしてラースタチカめがけてその切っ先を突き出す。
『見せてあげるよ――――これが君たちを生み出した、創造主の力だッ!』
瞬間、ラースタチカが構築した青と白の領域の内側で禍々しい紫色の光芒が奔った。まるで全てを飲み込む大蛇のようにのたうちながら進むその紫の光は、アイオーンへと迫っていた真空崩壊のドミノ倒しと正面から激突。
そしてなんと恐るべき事に、ラースタチカの真空崩壊砲はアイオーンの放ったその光に拮抗することすら出来ずに逆流し、瞬く間に押し返されていく。
「ら、ラエル艦長! 真空崩壊現象が逆行! 確かに消失したはずの場のエントロピーが修復されています!」
「なるほど――――これは凄いね。つまり彼は時間を逆行させているんだ。そして逆行したことで急上昇した場のエントロピーは真空崩壊とは逆の原理で膨大な破壊エネルギーを生み出す――――ぜひ次に作る兵器に取り入れたい考え方だよ」
『アハハハハハ! 余裕ぶっちゃって! 君たちに次なんてないよ! ここで終わり! 創造主であるボクから見捨てられた君たちは今この場で滅びるんだ! さようなら出来損ない共! ボクは新しい別の宇宙で、ボクだけの世界を――――』
自身の持つ最大火力を無力化され、今度は逆にアイオーンの放ったエネルギーに飲み込まれようとするラースタチカ。
その白い船体が紫色の光に照らされ、構築した青と白の時空間断層が粉々に砕け散っていく。だが――――!
「でも良かったよ。やれたとしても、きっとその程度だろうと思っていたんだ――――後は頼んだよ、二人とも」
『ああ! 任せておけラエル! ここから先は――――!』
『――――僕たちが絶対に通しません!』
『っ!?』
その時だった。
ラースタチカがアイオーンの光芒に飲まれる寸前。
その全てを滅ぼす創造主の光の前に、その左腕を失ったままの機械仕掛けの魔女――――バーバヤーガがその手を広げて立ち塞がる。
「魔女の大釜、起動しますっ! 空間湾曲蒐集フィールド、フルロード! 次元融合炉、出力制限解除――――!」
バーバヤーガの胸部装甲が限界まで展開され、一瞬にしてバーバヤーガを中心とした直径数千キロメートルの範囲の空間の光が大きく歪んだ。
そしてその前方、ラースタチカに迫っていたアイオーンの紫色の光芒は、ラースタチカの眼前に飛び込んだバーバヤーガの魔女の大釜へと直撃。
凄まじい圧力と暴れ狂うエネルギーの渦がバーバヤーガの決して強靱でない機体に圧倒的負荷をかける。
「うあああああああああ――――っ!?」
「ぬううあああああああっ!」
バーバヤーガのコックピット内部。
その心と意識を重ね合わせ、魔女の大釜へと流れ込む膨大なエネルギーをなんとか制御しようと、何千手にも及ぶエネルギー調整を脳内で繰り広げるティオとボタンゼルド。
もとより、バーバヤーガそのものには吸収したエネルギーの流れを大釜の中で敢えて消滅させず、さらには相手めがけて撃ち返すなどという芸当は想定されていない。
それを可能としたのは、ボタンゼルドの持つ神域のパイロットとしての認知力と、その補助を受けたティオによる繊細な大釜の圧力調整。
しかし今、バーバヤーガが受けた膨大なエネルギーの渦はとてもではないが大釜一つに収まる量ではなく、さらにはそのエネルギーの正体すらまともに解析できていなかった。
「だ――――駄目ですっ! 魔女の大釜が、割れるっ!?」
未だにエネルギーを受け続けるバーバヤーガの装甲板が木っ端微塵に弾け飛び、残っていた右腕が光の粒になって砂のように消えていく。
脚部スラスターが火花を上げて爆発。辛うじて残されたバーバヤーガの頭部と胴体部分は大きくバランスを崩して後方へとじりじりと押しやられていく。
「せめて――――せめてこの攻撃を無力化して――――! ラースタチカのみんなだけでもっ!」
びっしょりと汗を流し、必死の形相で脳内の演算を繰り返すティオ。
亜麻色の髪が額に張り付き、呼吸が浅く、荒くなる。
バーバヤーガと一体化した意識と視界が真っ赤に染まり、ティオの小さな心臓がドクドクと早鐘を打つ。しかし、その時――――。
「いいや――――大丈夫だ、ティオ。やはり君は立派なパイロットだ!」
「え――――?」
その時、力んで固く握りしめられたティオの手の上に、大きく暖かな青年の手のひらが重なる。
それに驚いたティオは、咄嗟にその視線を横に向けた。
だがそこには自分専用のソケットにすっぽりと填まったまま、自信満々の笑みを浮かべるボタンゼルドがいつも通りまっすぐにティオを見つめていた。
「ボタン……さん……?」
「見えたんだ、ティオ。ようやく俺にも君がどのようにして大釜を制御しているのかが理解できた。今から俺の言うとおりに大釜のフィールド圧力を変えてくれ!」
「は、はいっ! わかりましたっ!」
そしてその外部。
どのような存在でも滅ぼすはずの自身の攻撃が、何者かによって抑えられていることに感づいたスヴァローグが忌々しげな声を上げる。
『ほんっとうに面倒くさいな――――ボクはボクの思い通りに物事が進まないのが一番イライラするんだよ――――!』
アイオーンがその球状に突き出した砲口部分に、再度破壊のエネルギーを圧縮する。
先ほどアイオーンが放った一撃目のエネルギーは前方で滞留していたが、その結果を黙って待つほどスヴァローグの気は長くなかった。
『これで今度こそ終わりだよ――――! ああ、ああ、本当に面倒でふざけた出来損ない共だったよ、君たちはねぇ!』
スヴァローグは心の底からの不快感を込めてそう口にすると、アイオーンが圧縮した二撃目のエネルギーを解放しようとした。だが、しかし――――!
『そうか――――それは済まなかったな! ならば、今からもっと面倒にしてやるぞっ!』
『どうか、お願いします――――っ! 魔女様あああああああ――――っ!』
『えっ…………この声、どこかで――――!?』
刹那。その願いにも似た少年の叫びが、スヴァローグの脳髄を射貫いた。
確かに聞き覚えのあるその声。スヴァローグは自身の過去の記憶の中でその声の主を必死に探そうとするが、彼にそれをする猶予は残されていなかった。
その身を崩壊させながらも、機械仕掛けの魔女はついに自身の大釜からアイオーンの放ったエネルギーをそっくりそのまま撃ち返して見せたのだ。
『う、嘘でしょ!? ボクの攻撃が、こっちに戻って――――!?』
真空崩壊砲ですら慌てる様子を見せなかったスヴァローグの声が、恐怖と驚愕に震えた。だが果たして、その時の彼は自身が恐怖していると自覚することが出来ただろうか?
未だ健在の時空間断層によって囚われたまま、邪神アイオーンの姿はバーバヤーガによって反射された自身の光芒に飲まれ、そして消えた――――。
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