『やあ、よくここまで来たね。ボクの名前はスヴァローグ。この完全な世界を管理しているんだ』
『完全な世界だぁ……!? 初っぱなから胡散臭いこと言い出しやがって!』
『あのねー、私たちもいきなり君たちに攻撃されてそれなりに血管ピクピクしてるんだよねー。完全な世界とかどうでもいいからさ、帰るか死ぬか――――ここで選んでもらえるかなー?』
広大な光り輝くホールの中。
自らをスヴァローグと名乗った響き渡る声を前に、背面のスラスターを吹かせて滞空するクルースニクと、その翡翠色の長い髪をなびかせて悠々と腕を組むユーリー。
そのホールの遙か果てを肉眼で見ることは出来ない。
薄く広がる雲海と、中央に鎮座する太陽のような眩い輝き。
その太陽を囲むようにして、上下左右全方位の壁面には地球上のどのような大都市よりも密集した超巨大都市が張り付いている。
それは、ユーリーがかつて自身の内に宿るルミナス人であるカレンと共に赴いた、ルミナス・エンパイアの光の皇国の構造に似ていた。
『あはは――――実はボク、ここには友達を助けに来たんだよ。とても頑張り屋で、いくらボクが無理だって言っても働くのを止めなかったしっかり者の友達をね』
『助けにきただと? またわけわからねぇことを――――!』
『待て、ミナト・スメラギ――――ここからは私が彼と話そう』
全方位から響くスヴァローグの声。
だがその時、すでに完全戦闘モードのミナトやユーリーを制し、その場にもう一つの声が響いた。
『私だ。ストリボグだ。スヴァローグよ、聞こえるか』
『あれ? ストリボグ? どうして君の声が聞こえるの?』
『ストリボグのおっさんと話せる石ころをラエルから渡されてンだよ! おっさん、あんたこいつと知り合いなのか!?』
クルースニクの内部、マルチサイロに納められた漆黒の石からストリボグの声が響いていた。
それはあの青と赤の惑星で遺跡を調査した際、通信途絶前にストリボグがラエルノアへと持たせた通信用の石だった。
『スヴァローグよ、ヴェロボーグの身に危険が迫っている。お前もそれを察知したのか?』
『そうだよストリボグ。もうすぐボクたちみんなが恐れていた事が起こりつつある。ボク一人じゃどうしようもないから、ヴェロボーグにも助けてもらおうと思ったんだけど、探したのに見つからなくてさ』
『ならばスヴァローグよ。今すぐ無意味な争いは止め、ヴェロボーグを共に解放しよう。ヴェロボーグを解放する脱出ボタンはすでに私が見つけた。これ以上彼らを傷つける必要はない』
『えっ?』
その時発せられたストリボグの言葉に、スヴァローグは驚いたような声を上げる。
正しくはその言葉の中の、脱出ボタンという言葉に反応していた。
『へぇ……? ヴェロボーグの脱出ボタンを見つけたの? そうなんだぁ…………?』
『そうだ、スヴァローグ。すでに脱出ボタンはこの宇宙に現れている。故にこの地を傷つける必要もなく、無益な血を流す必要もない。今すぐ争いを止め、共にヴェロボーグを脱出させ――――』
『アハ……ッ! そっかそっかぁ! もうあるんだ、脱出ボタン? しかも今の君の口ぶりだと、結構近くにあるんじゃないの……?』
『……? どうしたスヴァローグ。随分と興奮しているように聞こえる』
明らかにその口調を変えたスヴァローグに、ストリボグは尋ねる。しかし――――
『――――じゃあもうこんな場所に気を遣う必要もないね! いちいち人形に任せるのもまどろっこしいし、脱出ボタンだけボクが貰うことにするよ!』
『んんー? ちょっと嫌なよかーん!』
『おいおいおいストリボグのおっさん!? なんか妙なこと言い出したぞこいつ!?』
『どうしたスヴァローグ。何を言っている? 脱出ボタンは囚われたヴェロボーグを救うために――――』
『使うわけないでしょ? ボクがなんでヴェロボーグを助けようとしてたかまだわからないの? 脱出ボタンを貰うためだよ! それでこの宇宙からできる限り遠くへ逃げるんだ! もちろん、ボク一人でね!』
スヴァローグのその言葉と同時、ホールを照らしていた太陽が不安定に明滅する。
強固な重力安定性を構築していた巨大戦艦の内部がガタガタと振動し、どこまでも広がる都市群が徐々に崩れ始めていく。
『おいてめぇ!? てめぇ一人で逃げるってのはどういうことだ!? 外で戦ってる奴らや、さっき喋ってた女はどうすんだ!? この街は!?』
『アハハハハ! そんなのどうでもいいねー。元々この世界は他のみんながいくら頑張っても作れなかった、ボクだけの完璧な世界なんだ。君たちが戦ってるのは全部人形だし、君たちと同じような有機体は、この太陽の中にいるキア一人だけなんだ』
『なんだって……!?』
『ヴェロボーグもストリボグも馬鹿だよねぇ……? 完璧で最高の世界を作る方法なんて簡単だよ。ボクが完璧に支配できる観測者を一人だけ作って、他は全部人形で埋め尽くせばそれでいいのに! あんなに悩んで頑張って、泣いたり悔しがったりして馬鹿みたい! この宇宙から逃げる前にヴェロボーグにもそれを教えてあげたかったけど、もういいや!』
空間の振動が強まる。
重力の均衡が崩壊し、それまで保護されていた圧力が急激に高まる。
土星直径の半分にも匹敵する巨大構造物が、支えを失って押し潰されていく。
『何を言っているスヴァローグ? 我らの使命はより良い観測者を生み出し、正のエントロピーで宇宙を満たすことだったはず。我ら自身の存続は重要ではない』
『それを真っ先に諦めて引きこもった君に言われたくないよストリボグ! ボクとヴェロボーグがあの後どれだけ苦労してきたか君は知らないじゃないか! 今の宇宙を見てご覧! 最も優れ、繁栄し、種族同士での争いもない文明を構築したのはこのボクだ! このボクが生み出した、ボクに忠実な完成された一個人だけの世界――――グノーシスこそが全ての答えだ!』
崩壊する町並みの中、スヴァローグの絶叫が響く。
偽りの町並みが見る見るうちに崩れ去り、極大の圧力によって押し潰される。
しかしその中央。明滅してその形状を不安定にする太陽の輝きの中に、アルコーンに似た悪魔的な影がうっすらと浮かび上がる。
『スヴァローグ……! 私と別れた後、お前の思考回路に何があった――――!?』
『ボクは何も変わってないよストリボグ。指示されたとおりに完全な世界を作った。もし今みたいに滅びても、また一人作れば良いだけなのも簡単でいいよ! ねえ、キア? 君だってボクのために死ねて嬉しいだろ?』
『はい、我らが神――――私は貴方のために生まれました。私は、貴方のお役に立てて嬉しいです――――』
恐らく通信の回線が繋がっているのだろう。
スヴァローグの問いに答える、か細い少女の声がミナトとユーリーの耳にも届く。
スヴァローグが言ったことが本当ならば、グノーシスとはこの少女――――キアただ一人だけの種族。
外でアルコーンを操っているのは、恐らく無機的にチューニングされたロボットのようなものなのだろう。
そして、そのただ一人だけの有機体であるキアすらも、スヴァローグの命令に従うだけの存在だ。そこに自由意志など存在しない。
激しく明滅する目の前の太陽から、アルコーンを二回り大きくしたような異形の悪魔――――ミナトたちの感覚で言うならば、TWと同じ巨大な人型機動兵器がゆっくりと出現する。
『さーて、ボクの脱出ボタンはどこかな? こっちが大きすぎると逆に見つけ辛いからね。ささっと行って、早く拾ってこなくっちゃ!』
『わはー! 出てきた出てきた! ボス! ボスが出てきたよー! でもミナト、ちょっとこれ以上ここにいるのはまずいかもっ! 早く出ないと重力が強すぎて脱出できなくなるよ!』
『クソが……ッ! ユーリー、お前は先に行ってろ! 俺はまだ――――ここでやることがあるッ!』
ついにその姿を現した真のグノーシス。
崩壊を続けるホールに鎮座する巨大な悪魔を前に、しかしクルースニクを駆る勇者ミナトは、激しい決意を秘めた瞳でそう呟いた――――。
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